マイルス五重奏団で聴く
「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」
を通して激動の
50年代〜60年代の音楽シーンを想う

ロックンロール、R&B、
ファンクミュージックの萌芽

それにしても1956年、1964年に録られた「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」、このふたつのバージョンの違いに何が感じられるか。8年という時間、この時期ジャズ以外の音楽の動きに目を向けてみると、なかなか興味深いのだ。

何と言ってもロックンロールである。エルヴィス・プレスリーが「ザッツ・オール・ライト(原題:That's All Right Mama)」を吹き込んでデビューしたのが1954年、2年後には「ハウンドドッグ(原題:Hound Dog)」「ハートブレイクホテル(原題:Heartbreak Hotel)」のNo.1ヒットを飛ばし、一躍世界の檜舞台に躍り出る。もうひとりのロックンロールの雄、チャック・ベリーが「メイベリーン(原題:Maybellene)」でデビューしたのが1955年、翌年には「ベートーベンをぶっとばせ(原題:Roll Over Beethoven)」の大ヒットが生まれている。他にもカール・パーキンスの「ブルー・スウェード・シューズ(原題:Blue Suede Shoes)」、ジーン・ヴィンセントが放った「ビー・バップ・ア・ルーラ(原題:Be-Bop-A-Lula)」もNo.1と、1956年はロックンロールの大爆発年にあたる。またジェームス・ブラウンがフェイマス・フレイムスを率いて「プリーズ・プリーズ・プリーズ(原題:Please Please Please)」を出したのも1956年と、まぁ濃い〜こと。

1958年に開催された『ニューポート・ジャズ・フェスティバル』を記録したドキュメンタリー映画『真夏の夜のジャズ』にはルイ・アームストロングからセロニアス・モンク、マヘリア・ジャクソン…他と、さながらジャズ史を俯瞰するような垂涎のラインナップになっているのですが、その中にあって(どういう経緯で出演が決まったのかは不明)、ひとりチャック・ベリーが異色の存在で気を吐いています。チャックはフェス3日目のステージに登場し、この前年に全米2位を獲得した大ヒット「スウィート・リトル・シックスティーン(原題:Sweet Little Sixteen)」を得意のアクションをキメながら溌剌と歌い、観客を踊らせている。また、同日にジャズ以外のアーティストではレイ・チャールズも出演しているものの、こちらは契約の関係で映画には記録されていません。レイの演奏はアルバム『レイ・チャールズ・アット・ニューポート’58(原題:At Newport)』としてリリースされ、ヒット曲「アイ・ガッタ・ウーマン(原題:I Got A Woman)」ほか、当日のフェス・ハイライトだったとされる圧倒的な演奏、観客の熱狂する様が収められている。こんなところからも、時の新勢力として、ロックンロール、R&Bに衆目が集まっていたことが感じ取れるのではないか。実はこの1958年のニューポートにはマイルスも初日に出演しているのですが、残念ながら映画には記録されていない(記録されているのかもしれないが、こちらも契約の関係で映像使用を不許可?)。
※マイルスの音源も以前『マイルス&モンク』として発表されていたが、現在は『アット・ニューポート1958』としてマイルスのバンド単独の演奏で編まれ、リリースされている。メンバーはマイルス以下、 ジョン・コルトレーン(ts) キャノンボール・アダレイ(as) ビル・エヴァンス(p) ポール・チェンバース(b) ジミー・コブ(d) 。

ロック勢力について話を続けると、60年にはビートルズが結成され、2年後にレコードが出るや、瞬く間に市場を席巻するようになります。ローリング・ストーンズや多くの英国発のビートバンドがそのあとを追う。世に言うブリティッシュ・インヴェイジョン(逆襲)です。ビートルズは1964年2月7日(マイルスの『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』のコンサートはこの5日後だ!)、初めて米国に上陸し、USツアーを行なう。一方、米国ではアレサ・フランクリンが61年にコロンビアからデビューしているが、まだ爆発していない。ジミ・ヘンドリックスは除隊後、アイズレー・ブラザーズやアイク&ティナ・ターナー、リトル・リチャードらのバックを務め、まだまだ自分の音楽を生みだすというよりは腕を磨いていた段階だ。フランク・ザッパがマザーズ・オブ・インヴェンションを結成するのも1964年で、翌年、革新的なデビュー作『フリーク・アウト!(原題:Freak Out!))』をリリースします。また、一足飛びに米音楽界に新風を吹き込んでいたボブ・ディランの存在も見逃せないでしょう。

ジャズはどうだったのだろうか。いずれにせよ、ものすごい勢いでミュージックシーンが動いていたことが見えてきます。社会情勢についてはここでは書ききれませんが、ふたつ挙げるとするならば、それは公民権運動、ベトナム戦争ということになるでしょう。

拡大解釈に違いないとは思います。それでも想像力を働かせてみると、世の中の動き、猛烈なスピードで描き替えられていく音楽の勢力図が、マイルスのふたつの「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」の演奏から浮かび上がってくるような気がするのです…。

これらロック勢力など鼻にも引っ掛けず、マイルスは自分の道を突っ走っていたのだとは思う。ところが、60年代も後半になるとマイルスはそのロックやR&B、ファンク、アフリカやブラジルなどに代表される米英語圏以外の音楽に刺激され、まるで共闘するように新たな音楽の創造に突進していくから面白い。1970年の第3回ワイト島音楽祭には、ジミ・ヘンドリックス、ジェスロ・タル、テン・イヤーズ・アフター、シカゴ、ドアーズ、ザ・フー、エマーソン・レイク・&パーマー、ムーディー・ブルース、ジョーン・バエズ、フリー、ジョニ・ミッチェル、レナード・コーエン、ドノヴァン、テイスト、他に混じって、マイルスがエレクトリック編成(チック・コリア、キース・ジャレット、ジャック・デジョネット、デイブ・ホランド、ゲイリー・バーツ、アイアート・モレイラ)のバンドで出演し、ロック・リスナーを興奮の坩堝に巻き込んでいる。その様子も今ではCD/DVD、動画サイトで容易に確かめることができます。必見だ。

OKMusic編集部

全ての音楽情報がここに、ファンから評論家まで、誰もが「アーティスト」、「音楽」がもつ可能性を最大限に発信できる音楽情報メディアです。

連載コラム

  • ランキングには出てこない、マジ聴き必至の5曲!
  • これだけはおさえたい邦楽名盤列伝!
  • これだけはおさえたい洋楽名盤列伝!
  • MUSIC SUPPORTERS
  • Key Person
  • Listener’s Voice 〜Power To The Music〜
  • Editor's Talk Session

ギャラリー

  • 〝美根〟 / 「映画の指輪のつくり方」
  • SUIREN / 『Sui彩の景色』
  • ももすももす / 『きゅうりか、猫か。』
  • Star T Rat RIKI / 「なんでもムキムキ化計画」
  • SUPER★DRAGON / 「Cooking★RAKU」
  • ゆいにしお / 「ゆいにしおのmid-20s的生活」

新着