ザ・ストゥージズが放ったパンク、
ポストパンク、オルタナティブ…
さまざまな音が詰まった
『ファン・ハウス』

『Fun House』(’70)/The Stooges

『Fun House』(’70)/The Stooges

パンクロックやグラムロックの概念を創り出したのがイギー・ポップであることは間違いない。彼が率いたザ・ストゥージズは、60年末に登場したロックグループの中では異彩を放っていたと言えるだろう。ドアーズのジム・モリソンのカリスマ性を手本にしながらも、当時とすれば異端ともいえるグラマラスな外見とパンキッシュな熱情を迸らせたイギーのロックアイコンとしての独創性は抜きん出ていた。

しかし、その音楽は早すぎた登場であり、一部の熱狂的なファンを除いて彼らは受け入れられなかった。パンクやオルタナティブの時代になって、ようやく彼らの音楽は理解され認められるようになったのである。今回はあまり知られてはいないが、ロック最初期のオルタナティブ作品となるザ・ストゥージズの2ndアルバム『ファン・ハウス』を取り上げる。

エレクトラレコードの異端ぶり

ロックの異端児ザ・ストゥージズは、同じく異端のドアーズやMC5といった癖のあるグループと同じエレクトラレコードの所属(デビュー時)である。

ロックが飛躍的に進化した60年代中期以降、コロンビア、ワーナーブラザーズなどの大手レコード会社は潤沢な資金をもとに、ロックのスーパースターたちと次々に契約を結んで大きな収益を上げていた。そんな中にあって、1950年初頭にジャック・ホルツマンが創立した新興のエレクトラレコードは、売れるアーティストというよりは癖のあるアーティストを発掘する一風変わったレーベルであった。要するに、ホルツマンはオルタナティブな精神を持った本物のアーティストを探し出す能力を持っていたのである。

そもそもエレクトラはフォーク・リバイバルに感化されたホルツマンが、フォークやワールドミュージックのレコードをリリースするために創設したレーベルで、50年代にはフォークウェイズに影響されたルーツ系やブルース系のレコードをリリースしていた。60年代にはコロンビアのディランに対し、トム・パクストン、フィル・オクス、トム・ラッシュらのニューフォーク勢を輩出、また、早すぎたアシッドフォーク系グループのラブや、ブルースロック系のポール・バタフィールド・ブルースバンドを獲得し、大手レーベルにも一目置かれる存在となった。オルタナフォーク系のティム・バックレーやアメリカーナ系のアース・オペラ、当時は珍しかった東部のブルーグラスグループ、ディラーズといった名アーティストも在籍しているが、彼らはエレクトラでなければ陽の目は見なかったかもしれない。他にも、ジュディ・コリンズやブレッドなど、売れ線の名アーティストもちゃんと名を連ねているところは、さすがはホルツマンと言いたい。

そして、67年にエレクトラからドアーズがデビューし、ドル箱スターになったことで、ホルツマンはエレクトラにしかできないオルタナティブなロックグループの獲得に乗り出すことになる。

MC5とザ・ストゥージズ

67年、ミシガン州アン・アーバーで結成されたザ・ストゥージズのメンバーは、西海岸からやってきたエレクトラの看板スターとなったドアーズのライヴを観て自分たちの方向性を決めた。イギー(当時は本名のジェイムス・オスターバーグで活動していた)はモリソンのようなシンガーを目指し、同州デトロイト出身のヘヴィメタルの元祖であるMC5との対バンを通して、自分たちのパンキッシュなサウンドを構築していったのだが、イギーのステージングは激しく、当時すでに客席へのダイブすら行なわれていたようだ。顔にはメイクを施し、ガーターベルトを付けることもあるなど、派手なロックスターとしてのイメージをオーディエンスに植え付けようと頑張っていたようだ。

MC5は爆音ギターで知られるウェイン・クレイマーをリーダーとするグループで、ザ・ストゥージズとの対バンをするうちに派手なステージングがエスカレートすることになるのだが、彼らのパフォーマンスは当時のロックの主流であった西海岸のフラワームーブメントへのアンチテーゼであったのだろう。自然やコミューンを大切にするヒッピーとは真逆の存在でありたかったのではないか。ザ・ストゥージズもMC5も“愛と平和”より怒りを正面に据えた音楽で勝負したのである。

このふたつのグループのライヴは地元では大きな評判となっていたが、大手レコード会社にしてみれば、それまでにない音作り(ルーツが見えない)のグループなだけに、まだ様子見の時期であった。しかし、オルタナティブな音が好きなホルツマンは両方のグループと契約し、どちらも69年に1stアルバムをリリースする。MC5はライヴ盤『キック・アウト・ザ・ジャムス』、ザ・ストゥージズは『イギー・ポップ・アンド・ストゥージズ(原題:The Stooges)』で、前者はヘヴィメタルの元祖であり、後者はオルタナティブロックの元祖である。どちらも世に出るには早すぎた作品であり、彼らの音楽は70年代中期以降のパンクロックや90年代初頭のグランジロックのプロトタイプともいえる先進性を持っていた。

特にMC5の『キック・アウト・ザ・ジャムス』は、後年ダムドやモーターヘッドをはじめ、レイジ・アゲンスト・ザ・マシーンやホワイト・ストライプスなどがカバーするなど、パンク、オルタナティヴ、グランジ方面のグループに大きな影響を与えたヘヴィな爆音アルバムである。

ルーツを持たない少数派のロッカー

アトランティックに移籍した(クビ同然でエレクトラを追い出される)MC5は2ndアルバム『バック・イン・ザ・USA』をリリースするが、デビュー盤の異端児ぶりはどこへやらで、スタジオ録音ということもあり普通のハードロックグループになっていた。そもそもザ・ストゥージズとMC5の良いところはルーツを持たない根無し草的なサウンドにあり、言い換えれば60sのガレージロックグループのようなチープさが魅力であったのだ。この60sガレージロックの精神こそ、70年代にパンクを生み90年代にグランジを生んだロックスピリットの原型なのである。

当時のロックアーティストたちの多くは、ブルース、カントリー、ジャズ、フォークなどのルーツを明確に持っており、バックボーンを大切にするアーティストが本物のミュージシャンであるとされた時代に、ロック(ロックンロールではない)そのものをルーツにしたスタイルは、ダダイズム的だと言えるかもしれない。

本作『ファン・ハウス』について

盟友MC5の転向をイギーがどう見ていたかは分からないが、ザ・ストゥージズの2ndアルバム(同時にザ・ストゥージズ名義のラスト作)となる本作『ファン・ハウス』は、前作よりもはるかにパワーアップした作品となった。収録はスタジオライヴとしてほぼ一発録り形式になったため、スリリングとも言える緊張感が漲っている。イギーをバックで支えるギターのロン・アシュトン、ドラムのスコット・アシュトン、ベースのデイブ・アレクサンダーのバンドとしてのまとまりは素晴らしく、ライヴで鍛え上げられたタフさが伝わってくる。本作から参加したサックスのスティーブ・マッケイは、ジェイムズ・チャンスを思わせるようなフリーキーさで、グループのカラーにぴったりのアバンギャルドさで他のメンバーを煽りまくる。

収録曲は全7曲、怒涛の勢いで疾走する最初の3曲をはじめ、ロックのエッセンスが凝縮された濃厚なナンバーばかりである。「1970」は「I Feel Alright」の別名で後年ダムドがカバーし、ザ・ストゥージズの名前が広く知られるきっかけとなった曲だ。マッケイのフリージャズ的サックスソロは必聴で、彼らを代表するナンバーのひとつである。タイトルトラックの「ファン・ハウス」はギャング・オブ・フォーやポップ・グループを思わせるファンクナンバーだが、完全にポストパンク的な仕上がりになっているのがすごい。時代を先取りした名演だろう。何よりJBを演じているイギーは珍しい。そして、アルバムの最後は、90年代のニッティング・ファクトリーへと連れて行かれたようなカオスが味わえる「L. A. ブルース」で幕を閉じる。

2005年にリリースされたデラックス盤(2枚組)では、テイク違いやデモなどが収められているので、興味のある人は探してみてください。

本作は最初期のオルタナティブロック作品として、ロック史上に残る名作だと思うのだが、はっきり言って当時も今も評価は高くないようだ。僕としては非常に残念なので、イギー・ポップやザ・ストゥージズを聴いたことがないのなら、ぜひ本作から聴いてみてほしい。きっと新しい発見ができると思うよ。

TEXT:河崎直人

アルバム『Fun House』1970年発表作品
    • <収録曲>
    • 1. ダウン・オン・ザ・ストリート/Down On The Street
    • 2. ルース/Loose
    • 3. T.V.アイ/T.V. Eye
    • 4. ダート/Dirt
    • 5. 1970/1970
    • 6. ファン・ハウス/Fun House
    • 7. L.A.ブルース/L.A. Blues
『Fun House』(’70)/The Stooges

OKMusic編集部

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