頭の中をライヴ会場に変えてしまう
圧巻のグルーヴと熱狂を記録した
エリス・レジーナの傑作
『イン・ロンドン』

『Elis Regina In London』(‘69)/Elis Regina
※ エリスの主な経歴については前回のテキストの中で紹介したので省きます。
60年代後半からジャズ界を中心に
注目されだしたブラジル音楽
加えて言うならば、ミュージシャン、アーティストの活動もレコードだけでなく、ライヴというパフォーマンスを含めたものが大きな比重を持つようになってきた時代でした。そのライヴが行なえなかったビートルズはそろそろ活動に終止符を打ち、逆にローリング・ストーンズはブライアン・ジョーンズに代わってミック・テイラーを加えて世界最高のライヴバンドと称される黄金時代を迎えようとしていました。
一方、ジャズに目を向けてみると、とにかくこの頃、その動向から目を離せないひとりがマイルス・デイヴィスでした。ちょうど、69年から70年にかけてエレクトリック編成に移行したマイルズ・デイヴィスが制作した『ビッチェズ・ブリュー(原題:Bitches Brew)』(’70)はジャズの流れを変革する問題作で、その音楽にはジャズという枠を越えてロック、ファンク、ブルース、アフリカ、そしてブラジル音楽が混沌とした状態で混ぜ合わせられているといったふうでした。実際にマイルスはブラジル音楽に相当入れ込んでいたそうで、このアルバムにもブラジル人のパーカッショニスト、アイアート・モレイラ(元クアルテート・ノーヴォ)がセッションに参加しているほか、翌年に出たライヴとスタジオレコーディングを収めた『ライヴ・イヴル(原題:Live-Evil)』('71)にはアイアートのほか、ブラジル音楽界きっての鬼才エルメート・パスコアール(いつか代表作を紹介します!)を迎えるほどでした。また、アコースティック・クインテット時代のメンバー、サックスのウェイン・ショーターには噂か本当か「エルメートやアイアート、それからエリス・レジーナの動きに目を離すな」と、助言をしたという噂話が残っています。リオデジャネイロ出身で、60年代から活動し、アメリカに渡ってから頭角を表したミュージシャン、作曲家、編曲家、音楽プロデューサーのデオダート(Eumir Deodato)も米ジャズ界にブラジリアン・フュージョンの新風を吹き込むなど、マイルスのみならず、ブラジル音楽は確実に大きな影響力を持つものとして認知されるようになっていました。
さて話題を主役のエリス・レジーナに戻すと、彼女が初めて渡欧したのは1968年のことだそうです。すでに本国では絶大な人気を誇り、前評判も上々のなか、フランス(カンヌ)を皮切りにイギリス、スイス、スウェーデン、ベルギー、オランダと回るツアーは大規模なものとなり、気合い十分のエリス一行はそれまで知られていなかったブラジル音楽の底力を見せつけたと言われています。実際にパリ・オランピア劇場でのパフォーマンスでは、6回のアンコールがあったそうです。それもあって、翌年、再び公演要請を受けてエリス一行は渡欧したのでした。