究極のポップロック作品として名高い
、ビーチ・ボーイズの最高傑作『ペッ
ト・サウンズ』

サーフィンや車をテーマにした曲でアメリカ西海岸の若者たちの心を掴み、ヒットを連発していたビーチ・ボーイズ。しかし、人気グループに在籍していることで、ツアーやレコーディングなど多忙を極めた生活では良い音楽ができないと、メンバーのブライアン・ウィルソンはツアーに出ることを拒否し、曲作りに専念する道を選んだ。しばらくしてリリースされたのがビートルズの名盤『ラバー・ソウル』(’65)だ。このアルバムに大いに鼓舞されたブライアンは、来る日も来る日もスタジオにこもり、ソングライティングとアレンジに明け暮れることになる。そして66年、満を持して発表したのが、稀有の名盤としていまだに語り継がれる『ペット・サウンズ』だ。

平均的なアメリカの若者をターゲットに
したグループ

1945年、第二次世界大戦に勝利したアメリカは、60年代初頭には経済的にも安定し、西海岸の中流家庭で育った若者たちは平和を謳歌していた。サーフィン、改造車、デート、映画、音楽などにお小遣いをつぎ込むなど、ゆとりのある生活を送っていた。
61年にデビューしたビーチ・ボーイズは、ウィルソン3兄弟(ブライアン、デニス、カール)と従兄弟のマイク・ラブ、ブライアンの友人のアル・ジャーディンが少し遅れて加わっている。グループ名からも分かる通り、彼らは当時の若者の好きなものを取り上げ、曲にしていた。その狙いはまんまと成功し、メジャーデビュー曲の「サーフィン・サファリ」は全米チャートで14位にまでなっている。続いてリリースされた、デビューアルバムの『サーフィン・サファリ』(’62)、2枚目『サーフィン・USA』(’63)、3枚目の『サーファー・ガール』(’63)が全米で大ヒット。名実ともにスターの仲間入りを果たした。ちなみに、ビートルズは62年にレコードデビュー、ローリング・ストーンズは63年にレコードデビューだから、61年デビューのビーチ・ボーイズがいかに古くから活動しているかが分かるだろう。

絶妙のコーラスとクセのないさわやかな
サウンド

彼らの音楽の特徴は、西海岸のカラッとした天候と青い海を表現したようなポップス感覚である。デビュー当時から、それまで誰もやったことのないコーラスワークには定評があったし、サウンドは浜辺に寝ころんでラジカセ(これ、死語だよね)で聴くのにはぴったりの軽さであった。
当時、イギリスからアメリカに進出したグループは、基本的にアメリカの黒人音楽(ブルースやR&R)を聴いていたから、黒っぽさを売りにしている場合が多かったのだが、ビーチ・ボーイズはロックンロール(例えば「サーフィン・USA」)をやっても、あく抜きをしたのかと思うぐらいのポップな感覚にあふれていた。ここで言うポップ感覚とは、言い換えれば白人っぽさである。イギリスのグループは、コンプレックス(ブルースもR&Bもアメリカの音楽であったから、イギリスのミュージシャンたちは黒人音楽への憧れが強かった)から黒っぽさを目指していたのだが、ビーチ・ボーイズはブルースとR&Bの本場にいたからこそ、気負いなく白っぽい音楽を生み出すことができたのである。
日本でも知名度は高く、ビーチ・ボーイズというグループ名は知らなくても、彼らの初期の代表曲「サーフィン・USA」や「サーファー・ガール」「ファン・ファン・ファン」などを、きっとどこかで聴いたことがあるはずだ。老若男女、誰でも知ってるポピュラーな存在がビーチ・ボーイズというグループのカラーであった。

ビートルズに対するライバル心

ビーチ・ボーイズのヒット曲を手がけていたブライアン・ウィルソンの才能は、だんだんと開花していき、ビートルズがアメリカ中を席巻するようになると、そのライバル心から腰を据えて曲作りやアレンジがしたいと考えるようになる。精神的にも追い詰められたブライアンは、完成度の高いビートルズの楽曲に追いつき追い越すためにはツアーに出ている場合ではないと判断、ツアーに行くことをやめ、スタジオワークに専念することを選んだ。勝手な行動のように見えるブライアンと他のメンバーとの確執も、この頃から顕著になっていく。
そして、65年の終わりに、ビートルズは一世一代の名作『ラバー・ソウル』を発表する。これを聴き、大いに感銘を受けたブライアンは『ラバー・ソウル』を超えるアルバム制作を決意、ビーチ・ボーイズの新アルバム作りをすぐに開始している。

ペット・サウンズの完成

『ラバー・ソウル』のリリースからおよそ半年後、ビーチ・ボーイズの稀代の名作『ペット・サウンズ』が完成。66年の5月にリリースされた。しかし、このアルバムビーチ・ボーイズ名義で出されてはいるが、ブライアン以外はヴォーカルと一部の作詞で参加するだけという、いわばブライアンのソロ作品なのだ。グループがツアーで飛び回ってる期間に、ブライアンは曲作りからアレンジまでをひとりでこなしている。バックには50名を超える一流のスタジオミュージシャンを使い、ブライアンが尊敬していたフィル・スペクター(1)的技術を駆使し、当時としては珍しいコンセプトアルバム(2)となった。
収録されたのは全部で13曲。アルバム発表前に「キャロライン・ノー」「スループ・ジョン・B」がシングルカットされ「スループ・ジョン・B」は全米チャート3位まで上昇している。ブライアンはこの曲を『ペット・サウンズ』に収録するつもりはなかったようだが、メンバーのアル・ジャーディンとレコード会社側が入れようと積極的(シングルヒットしているだけに)だったので、渋々ながら説得されたそうだ。確かにこの「スループ・ジョン・B」は、アルバムの他の曲と比べると異質かなとも思う。なんにせよ、この結果、芸術家気質のブライアンは、メンバーやレコード会社との溝がますます深まったようだ。まぁ、ファンからすると、名曲だけにアルバムに収録されたのはラッキーだよね。
『ペット・サウンズ』に収録された曲は、どれも完成度が高く、何度聴いても新しい発見がある。気心が知れたスタジオミュージシャンたちの巧みでツボを押さえた演奏や、ブライアンの凝ったアレンジ、多重録音、ティンパニやテルミン(3)やラテンパーカッションなど多彩な楽器使用など、それまでのロックではあまり試みられなかった小オーケストラのような重厚な音作りは画期的であった。
ところが、アメリカでの評判は芳しくなく、もともとのビーチ・ボーイズのファンとレコード会社の重役たちからは認められなかった。これは、ある意味で仕方のない結果だと思う。それまで、シングル勝負の若者向け売れ線グループが、急に芸術的で内省的なコンセプトアルバムを出すってこと、普通はないからね。そんなこともあって全米チャートでは10位(僕は健闘していると思うが…)止まりであった。しかし、イギリスでは各方面に絶賛され全英チャートで2位を獲得! エリック・クラプトンは「ポップ・ロックの最高の作品。ブライアン・ウィルソンは天才だ!」と言い、ポール・マッカートニーは本作収録の「「神のみぞ知る(God Only Knows)」」に衝撃を受け「ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア」(アルバム『リボルバー』(’66)に収録)を書いたと言われている。

ビートルズとの相互影響

天才たちの切磋琢磨ぶりは、素人には想像もつかないが、『ラバー・ソウル』に影響を受けたブライアンが『ペット・サウンズ』をリリースした後、今度はビートルズがこのアルバムに多大な影響を受け、『ペット・サウンズ』の翌年、コンセプトアルバムとなる『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を発表している。お互いがいなければ、これだけの名盤を出せなかったのかと思うと、感慨深いものがある。
最後になるが、ローリングストーン誌が実施した大々的なアンケートから『Rolling Stone's 500 Greatest Albums of All Time』が2005年に出されたが、1位が『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』で、『ペット・サウンズ』は堂々の2位に選ばれている。
オマケ:ビーチ・ボーイズ(ブライアン・ウィルソン)に影響を受けたミュージシャンは、海外ではエルトン・ジョンやポール・マッカートニー、日本では山下達郎や桑田佳祐、黒澤健一などをはじめ数多い。

著者:河崎直人

OKMusic編集部

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