ライヴアクトとして復活を遂げた
新生ローリング・ストーンズの
『ゲット・ヤー・ヤー
・ヤズ・アウト』

『Get Yer Ya-Ya’s Out! The Rolling Stones in Concert』(’70)/The Rolling Stones

『Get Yer Ya-Ya’s Out! The Rolling Stones in Concert』(’70)/The Rolling Stones

本作『ゲット・ヤー・ヤー・ヤズ・アウト』は、1969年のアメリカツアーの模様を収録したストーンズ初の公式ライヴ盤である。この年はグループ創立メンバーのブライアン・ジョーンズの脱退と死があり、ジョン・メイオールのブルース・ブレイカーズに在籍していたミック・テイラーを新メンバーに迎えたばかりの時期だ。ヒット曲は出していたものの、ブライアン・ジョーンズの健康状態やジャガーとリチャーズのドラッグ問題等で、2年ほどライヴ公演から遠ざかっており、このツアーは新生ストーンズとして成功するかどうか、ある意味で大きな賭けでもあった。当時の2年と言えば、今の10年以上に匹敵するぐらい音楽の在り方が変化していた時代である。しかし、ロックギタリストとして文句なしの技量を持ったミック・テイラーの加入は、他のメンバーを鼓舞することにもつながり、本作にはライヴアクトとしてのストーンズの面目躍如たる見事なパフォーマンスが記録されている。僕がこのアルバムと出会ったのが思春期の頃というのが大きいと思うが、未だにストーンズのライヴ盤と言えば『ゲット・ヤー・ヤー・ヤズ・アウト』が最高だと思っている。

ブライアン・ジョーンズから
ミック・テイラーへ

1963年にレコードデビューしたローリング・ストーンズは、当初はアメリカのR&Bやブルースのカバーを中心にしたビートグループであった。グループ創立メンバーのブライアン・ジョーンズをはじめ、幼馴染として知られるミック・ジャガーとキース・リチャーズのふたりも黒人音楽オタクであり、グループ結成当初は好きな音楽をコピーし、人前で披露することが至福の時だったに違いない。しかし、ジャガーとリチャーズのふたりが曲作りを始めるようになると、ストーンズは独自の音楽を提示するようになる。「サティスファクション」(’65)の世界的ヒットで、それまでリーダー的存在であったジョーンズの影が薄くなり、ジャガーとリチャーズがリーダーシップを発揮していく。そういう状況下でジョーンズの精神状態は悪くなり、ドラッグを濫用して体を壊し…という悪循環に陥っていく。結局、69年の6月にジャガーとリチャーズから解雇を言い渡され、7月にはプールで謎の溺死を遂げている。

その後、すぐストーンズに加入するのが元ブルース・ブレイカーズのミック・テイラーだ。彼は当時頭角を表し始めていたエリック・クラプトンやジミー・ペイジらに比肩しうる逸材として認知されていた。ジャガーとリチャードにしてみれば、テイラーがライヴ巧者というだけでなく、70年代に向けてグループの方向性を見直すのに必要な人材だという気持ちもあってグループに迎え入れることになったのだろうが、当時のロックで主流だったギター巧者をグループに置いておきたかったというのが一番の理由かもしれない。

楽曲によってシタールやメロトロンといった味付けをするなど、ジョーンズには自らの音楽センスを生かしたスタジオにおけるアレンジャー的な才能に長けていたことは間違いないが、テイラーはライヴ時のアドリブ力に長けており、彼のプレイがグループのメンバーを鼓舞する役割も担っていた。69年の時点でストーンズに必要なのはライヴ力の強化であり、そういう意味で当時のロックシーンを牽引していた優秀なギタリストのテイラーの加入が必然だったのかもしれない。

OKMusic編集部

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