時代を越えて
英国伝統音楽の頂に立つ
ジューン・テイバーの
90年代の傑作『Angel Tiger』

『Angel Tiger』(‘92)/June Tabor

『Angel Tiger』(‘92)/June Tabor

ジューン・テイバーはブリティッシュ・フォーク界最高のシンガーのひとりである。誇張でも何でもない。より丁寧に、現役最高のバラッドシンガーのひとり、とすれば異を唱える方はいないのではないか。本人はトラッド(バラッド)だけでなく、フォークからジャズ、果てはパンクロックまで歌う幅広いジャンルにまたがる歌い手なのだが、評価を決定的にしたのがバラッドシンガーとしての活動であったため、もっぱらマニア、コアな伝統音楽ファンに知られる存在と言えるかもしれない。しかし、彼女の信奉者は世界中にいるし、中でもロックファンにも知られる人物として、エルヴィス・コステロは彼女に対して最大限の賛辞を惜しまない。

バラッド(ballad)とは

分かりやすく言えばイギリスなどで主に民間伝承されてきた詩、あるいは音楽を伴った詞のことをさしている。謳われているのは中世の頃から伝わる騎士の物語、妖精が出てくる話、武勇伝や悲喜劇、事件、戦争など様々なものがあるが、ことに殺人や不倫、恋人が婚約者を殺したり、妹が姉を殺したりするマーダー・バラッドは人気が高い。悪く言えば下世話な人の心情に訴えかけてくるというか、その世界観は日本の浄瑠璃語りにも共通するところがあるのではないかと思う。悲惨なものばかりではない。日本でも知られている「麦畑」のような、農民詩人ロバート・バーンズの書いたバラッドもある。というわけで、このあたりもポピュラー音楽の源流域だったりするのだ。

特にスコットランド各地に民間で伝承されていたバラッドを、19世紀に米国からやってきたフランシス・チャイルド(Francis J.Child〔1825-1896〕)が収集し、『イングランドおよびスコットランドのポピュラー・バラッド』として編纂したことは、バラッドが今日まで伝わる大きな働きとなった。もうひとり、こちらは主にイングランドのバラッド収集にあたったセシル・シャープ(〔1859-1924〕)は、さらに収集の旅を米国南部まで伸ばし、英国やアイルランドから移民によって米国のアパラチア山脈に古いバラッドが伝承されていることを検証するなど、重要な成果を残した。
※そのあたりのバラッド伝播の話が2003年公開の映画『歌追い人(原題:Songcatcher)』で描かれている。アパラチア地方を舞台にタジ・マハール、アイリス・デメント、ヘイゼル・ディケンズ、他、ミュージシャンも多数出演。劇中、セシル・シャープとおぼしき人物の登場シーンがある。

ちょうど、テイバーのデビュー作『Airs and Graces』(‘76)に収められている「And the Band Played Waltzing Matilda」という曲など、その典型的な例だが、バラッドははじめ無伴奏の朗読のような形式だった。それが徐々に楽器の伴奏が付いたり、歌曲として歌われ、バラッドはより大衆のものへと広がる。英国でトラッドの電化を試みたフェアポート・コンヴェンションの『Liege & Lief』(’69)などは全8曲中、5曲がバラッドから選ばれている。同じくトラッドとジャズを融合したペンタングルの代表作『Cruel Sister』(’70)も全5曲すべてがトラッド(バラッド)で構成されている。また、こうしたロック世代の当時の若者がトラッド=バラッドに向かってみたのも、米国同様、英国でも沸き起こったフォーク・リバイバル運動による影響を忘れてはならない。テイバーのようなシンガーが現れたのも、60年代前半に、イワン・マッコールやA.L.ロイド、アシュレー・ハッチングス、米国からやってきたアラン・ロマックス…ら先達の運動ぬきにはなかったのだ。その次の世代であるテイバーに影響を与えたアン・ブリッグス、シャーリー・コリンズ、サンディ・デニーといった人たちも、ここではお伝えできないが、いつか紹介したいものだと思う。

ジューン・テイバーは1947年にイングランドのワーウィックで生まれている。詳しい経歴はほとんど明らかにされていないが、音楽、歌をうたうことに目覚めたのは、18歳の頃、やはりバラッド・シンガーである、アン・ブリッグス(1944~)の歌に出会ったことがきっかけだと本人が語っている。自分とさほど年差が違わないブリッグスが追究する深い歌の世界はさぞかし衝撃的なものだったのだろう。
※ブリッグスが歌った代表曲「Black Water Side」はレッド・ツェッペリンが「Black Mountain Side」と改題し、レパートリーにしたことでも知られている。
※テイバーの初期の発掘音源など聴くと、過去にはザ・バンドの「Wheels on Fire」やジェファーソン・エアプレーンの「White Rabit」を歌っていたりする。近年はディランやダン・ペン、ジェームズ・カーまでレパートリーにしている。多感なティーンエイジャーの頃に聴いていたもの、そして彼女の嗜好というのがそのあたりから見えてくる気がする。

テイバーの経歴に話を戻すと、正式な音楽教育は受けたことがなく、テイバーは先のアン・ブリッグスの歌を皮切りに、多くのバラッド・シンガーの歌唱を真似たり、バージョンを変えた歌い方を独自に学んでいったという。そして60年代の半ばくらいから大学に通いながらパブなどで活動を始める。70年代に入ると、英国各地のフォーク・フェスティバルにも出演するようになり、1976年に英トピック・レコードから『Airs and Graces』でデビューする。それとほぼ同時期にスティーライ・スパンの女性シンガー、マディ・プライヤーとデュオのシリー・シスターズを組み、やはり同年アルバム『Silly Sisters 』をリリースしている。両作とも評論家筋から大絶賛され、テイバーは一躍時の人となる。安定感のあるアルトの声は物事を透徹するような説得力を持ち、英詞がわからないことの多い我々日本人でさえ、思わずいずまいを正し、その場に釘付けにされそうな力強さがある。

これまでに発表された作品はソロ、コラボレーションを合わせると30作ほどにもなると思われるが、80年代以降はトラッド、バラッドばかりでなく、ソングライターによる書き下ろし作やカバー曲にも挑戦するようになる。また、どんな難曲も歌いこなす歌唱力もあって、近年はECMからジャズ作品も出している。その一方で彼女とは親子ほども年齢の差がある英国のロックバンド、オイスターバンドと組み、トラッドのほかにヴェルベット・アンダーグラウンドやシェイン・マッゴーワン(ザ・ポーグス)、リチャード・トンプソン、ボブ・ディラン、ジョイ・ディヴィジョン、ダン・ペンらの作品をパワフルに歌ってみせ、古くからのファンを驚かせた。

OKMusic編集部

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