グラムロックの名盤、時代を超越して
輝き続ける儚くも夢のつまったT.REX
の『ザ・スライダー』

伝説のロックスターは数々、存在するが、T.REXのマーク・ボランとは、いったいどんなアーティストだったのだろうか。何年経っても、何十年経っても、懐メロにならないフックとメロディーを持った楽曲の数々は、スタンダードとも趣を異にし、そのキラめくグリッターサウンドは70年代に突如出現し、今なおリスナーをドキドキさせている。その秘密をアルバム『ザ・スライダー』と共に探る試みをしてみよう。

スター、マーク・ボランの謎すぎる魅力

あまり洋楽を聴かなかった人も、映画『20世紀少年』の主題歌になった「20 センチュリー・ボーイ」を演奏していたバンドと言えばピンとくるだろう。原作のマンガの中で主人公のケンヂが大好きだったT.REX。中学生の時に学校の放送室で「20 センチュリー・ボーイ」を大音量で流したことに始まり、作品の中にたびたび登場するキーソングだ。
以前からこの曲はたびたびTVのCMソングに起用されてきた。何度も聴いてよく知っている曲のはずなのにイントロのギターリフが流れるたびにドキッとして振り返ってしまう。たぶん初心者のギターキッズでも簡単にコピーして弾けるリフだ。約40年も前に発表されたロックソングが、未だに聴く人の心を揺さぶるのは、いったいどういうわけなのか?ということをずっと考えていた。マーク・ボランが「絶対、これは最高にカッコいい」と一点の曇りもなく信じきって弾いているから古くならないのか、そこに込めたエネルギー、空気の振動が時空を超えて伝わるからなのか、とかいろいろ思っていたら、『20世紀少年』が大ヒットして、やっぱりT.REXは不滅なんだと思ったわけなのだが、今回、改めていろいろな曲を聴き直して感じたことは、T.REXの音楽は不思議なぐらいに時代を感じさせないということだった。
1947年9月30日にイギリスのイーストロンドンで生まれたマーク・ボランは15歳で学校を辞め、ミュージシャンになるべくアクションを起こし(パリに住み、魔術師とお城で暮らしていたという逸話もある)、パーカッショニストのスティーヴ・トゥックとともにT.REXの前身であるフォークロックユニット、ティラノザウルス・レックスとして1968年にデビューする。その後、新たなパーカッショニスト、ミッキー・フィンと出会い、アコースティックギターをエレキギターに持ち替え、T.REXとして活動を開始。1970年に発売したフライレコーズからの1stシングル「ライド・ア・ホワイト・スワン」が注目を集め、人気がブレイク。ドラマーのビル・レジェンドとベースのスティーヴ・カーリーを加え、バンド体制になった翌年にはシングル「ホット・ラヴ」や「ゲット・イット・オン」が全英NO.1のヒットを記録し、アルバム『電気の武者』もNO.1を獲得。ラメのメイク、スパンコールの衣装とともにマーク・ボランは一躍、大スターとなる。70年代前半にはデヴィッド・ボウイやロキシー・ミュージック、モット・ザ・フープルを中心としたグラムロックムーヴメントが巻き起こり、日本でも熱い注目を集めることになるが、T.REXはグラムロックの先駆け的存在と言われていた。当時、ジョン・レノンがグラムロックのことを「口紅つきのロックンロールだろ」と評したというエピソードを聞いたことがあるが、言い得て妙だ。キラキラのビジュアルのみならず、ストリングスを取り入れていたり、コーラスが効果的に使われていたりとサウンドは無骨なロックとは違っていたが、基本的にはロックンロールだったり、ハードロックだったりと、その音楽は決して難解なものではなかった。
そして、デヴィッド・ボウイがアンドロイド的なクールな雰囲気を醸し出していた存在だとしたら、マーク・ボランには小学生の女のコも“かわいい!”とキュンとさせてしまうようなチャーミングな魅力があった。妖精と呼ばれていたのは有名な話だが、実際、小柄な身体でレスポールを弾きながら独特の声で歌う姿は男性フェロモンをまるで感じさせなかった。ロックアイドルとなったマーク・ボランは、インタビューで“僕は30歳になるまでに死ぬだろう”と予言めいた発言をし、実際、30歳の誕生日を迎える2週間前の1977年9月16日にパートナーであり、黒人女性シンガーのグロリア・ジョーンズが運転する車(ボランが大好きなミニクーパー)が街路樹に激突したことによって29歳で他界してしまう。“そんなことってあるのだろうか”と、当時、ショックとともにものすごく不思議な気持ちになったことを覚えている。
中には亡くなったから、余計にその存在が評価されるアーティストもいるだろう。他界した後に作品が再評価され、ロングセールスを記録するアーティストもいるだろう。でも、何だか、T.REXは、そういうパターンとは違うような気がしてならない。当時の時代を知っている人はともかく、「マーク・ボランってそんなに若くして死んだの?」と彼らの曲に触れてから知る人も多いような気がする。例え、マーク・ボランがまだ生きていて孫かなんかが居ても、T.REXの最盛期の曲は今もCMソングや何かに使われて街に流れていたのではないか、という気がするのだ。と同時にまったく色あせない曲、生活感の欠片も感じさせない曲、時代とか人生を背負っていない不思議なふわふわした魅力を持つ曲たちを聴くと、そもそもボランは何者だったのか?という想いにもとらわれる。永遠にキラキラした曲たちをプレゼントするために、どこかの星から期間限定でやってきたのかもしれないという妄想まで抱かせる。これまでに数々の人たちが彼のことを“魔法使い”とか“宇宙人”と表現してきているが曲を聴けば聴くほど“うーむ、そうかもしれない”と思わざるを得ない解き明かせない謎がある。

アルバム『ザ・スライダー』

72年にリリースされたT.REXの代表作。前年に発表された『電気の武者』と並べて語られることの多いアルバムであり、シルクハットをかぶったモノクロの写真は、T.REXの映画『ボーン・トゥ・ブギー』を撮ったビートルズのリンゴ・スターが撮影したものだとも、グラムロックと切っても切り離せない名プロデューサー、トニー・ヴィスコンティの手によるものだとも言われている。華やかでキラびやかなT.REXを思いきり堪能したい人は「20th Century Boy」や「ボーン・トゥー・ブギー」、
「チルドレン・オブ・ザ・レボリューション」などのヒット曲がずらり収録されたベスト盤『グレイト・ヒッツ』を聴くのをお勧めしたいが、もっとT.REXの本質に触れたいなら、やはりオリジナルアルバムである。本作にも全英1位を獲得した「メタル・グルー」や「テレグラム・サム」が収録されているが、全体の印象は聴けば聴くほどハマる中毒性のある曲が多く、派手というよりはポップで切なくて儚い。トニー・ヴィスコンティによる一風変わったストリングスアレンジ、不思議な響きのコーラス、マーク・ボランの中性的でビブラートのかかったヴォーカルが地に足が着いていないような、ふわふわとしたムードを醸し出し、またたく間にT.REXワールドに連れていかれるアルバムである。
ブギーのリズムはT.REXを象徴するものだったが、本作の「テレグラム・サム」を聴いても分かるように、彼らのブギーはいい意味でチャラい。重みがないという意見もあるかもしれないが、冒頭で書いたように初心者キッズを熱狂させ、踊らせるブギーなのである。そういう曲があったかと思えば本作には彼らがティラノザウルス・レックスから始まったことを思わせるフォーキーで、切ないメロディーの「ミスティック・レディ」やボランの弾き語りからできたことが想像できるシンプルな「スペースボール・リコシェット」、スタンダードで美しく、だけど、やっぱりどこかストレンジなバラード「ボールルーム・オブ・マース」(タイトルからして“火星の舞踏場”だし、唐突なシャウトも入るし)も収録されている。そして、ボランのエレクトリックギターのリフの魅力が一発で分かる「ロック・オン」や「ヒューイック・マッケン」、「ベイビー・ストレンジ」、最もセクシーでドラッギーなタイトル曲「ザ・スライダー」など聴きどころ満載だ。
不思議なワードがたびたび出てくる歌詞もT.REXを語る上でははずせないが、ファンタジックでキュートでぶっ飛んでいることはタイトルからも想像がつくだろう。個人的には「ラビット・ファイター」が気になる。この曲の中でボランは“僕のことをラビット・ファイターと呼んでおくれ”と歌っているが、ウサギに例えているところがらしくて、自分自身のことなのか?と思わせる。それと「スペースボール・リコシェット」では“僕はちっちゃいけど、レスポール弾いていつだって人生を楽しんでるよ”と歌っている。とにかく、このアルバムにはたくさんの人たちを夢心地にさせたT.REXの旨みがいっぱい詰まっている。ラストナンバーは本作に漂う儚さがマックスに達する「メイン・マン」。裏ジャケの後ろ姿の写真にピッタリの曲である。ボランは21世紀の今も自分の曲が愛され続けていることを天国でどう思っているのだろうか。それとも、どこかの星で今もレスポールを抱えて歌っているのだろうか。

著者:山本弘子

OKMusic編集部

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