イエスを支え続けた職人プレーヤー、
リック・ウェイクマンの名作
『ヘンリー八世と6人の妻』
イエスに加入する前、すでにデビッド・ボウイ、T-レックス、キャット・スティーブンス、エルトン・ジョン等のレコーディングに参加するなど、彼の並外れた才能は20歳過ぎには業界人の多くが知るところであった。また、ウェイクマンは多忙なイエスの活動の合間を縫ってソロ活動にも尽力する。今回取り上げる『ヘンリー八世と6人の妻(原題:The Six Wives of Henry VIII)』は、彼がイエスに在籍中の73年にリリースされた1st(本作の前に『Piano Vibration』(‘72)がリリースされているが、これは彼自身ソロとして認めていないのでカウントしない)ソロアルバムで、彼の代表作であると同時にプログレッシブロックを代表する傑作だ。
早熟の天才、リック・ウェイクマン
ある日、彼に転機が訪れる。アメリカの著名なソウルグループのアイク&ティナ・ターナーが、訪英する時のサポートミュージシャンを探していると聞きオーディションに参加したところ、トニー・ビスコンティ(デビッド・ボウイ、T-レックスなど)、ガス・ダッジョン(エルトン・ジョン、マグナ・カルタなど)、デニー・コーデル(ジョー・コッカーなど。のちにレオン・ラッセルとシェルター・レコードを立ち上げる)といった大物プロデューサーの目に止まったのだ。特にコーデルはウェイクマンの技術を高く買い、自分のレーベル(Regal Zonophone Records)のスタジオミュージシャンとして働くよう誘っている。これがきっかけとなって、ウェイクマンは音楽大学をドロップアウト、69年に20歳の若さでフルタイムのスタジオミュージシャンとなる。
ストローブスへの加入~脱退
ストローブスのライヴ中に、たまたまウェイクマンがオルガンやピアノをソロで弾くことがあり、そのパフォーマンスに感銘を受けた『メロディーメーカー』(イギリスの有名な音楽雑誌)が彼を大きく取り上げたことで、ウェイクマンは一般のロックファンにまで知られるようになる。その後、ストローブスの人気に翳りが出始めるとギャラは低迷、高価なモーグを買ったこともあって彼はセッション活動へと戻り、ストローブスから脱退を決める。そして、ここでまた転機が訪れる。キーボード奏者を探していたデビッド・ボウイに、バックメンとして参加してほしいと誘われたのだ。ちょうど、ウェイクマンはモテ期に突入していたようで、ボウイの要請と同時期にイエスからも加入要請があった。
それまで、イエスでキーボードを担当していたのはトニー・ケイであるが、ケイはピアノとオルガン以外は絶対に弾かない(要するにシンセが嫌いだった)と言い出したため、クビになっている。キング・クリムゾンやEL&Pなどのグループはシンセを効果的に使い、まさにプログレサウンドが花咲く時期であったから、ケイの解雇は仕方のないことであった。ウェイクマンはこの時点では、ボウイのバンドにも魅力を感じていたのだが、イエスのリハーサルに参加してみて、グループがキーボード(シンセも含め)の重要性を理解してくれていたことと、メンバーの演奏レベルが高かったこと、そして何よりギャラが良かったことでグループへの加入を決めた。イエス側にしても、キース・エマーソンに並ぶウェイクマンという凄腕プレーヤーの獲得は、グループの飛躍にとっては願ってもないチャンスであった。