ブリティッシュフォークの切実さと
アメリカンフォークの明るさを
併せ持ったリンディスファーンの
大ヒット作
『フォグ・オン・ザ・タイン』

『Fog on the Tyne』(’71)/Lindisfarne

『Fog on the Tyne』(’71)/Lindisfarne

今、リンディスファーンの名前を覚えているという人は、おそらく60歳以上ではないかと思う。1971年に全英5位を獲得したシングル「ミート・ミー・オン・ザ・コーナー」は翌72年には日本でもヒットし、そのヒットを受けて73年には来日公演も行なっている。それだけでなく、来日時にはNHKの『ヤング・ミュージック・ショー』でスタジオライヴが放送されるなど、リアルタイムでロックを聴いていた僕たちの世代(彼らの来日時、高校1年生だった)にとって彼らの名前は忘れられない。今回は、前述のヒット曲を収録した彼らの2ndアルバム『フォグ・オン・ザ・タイン』(全英1位)を取り上げる。

『ヤング・ミュージック・ショー』と
『ビート・オン・プラザ』

71年からNHKテレビ(総合)で放送されていたロック番組『ヤング・ミュージック・ショー』は、当時の関西在住のロック少年にとってはFM大阪の『ビート・オン・プラザ』と並んでロックの情報を得られる貴重な情報源であった。インターネットもケータイもない時代だけに(もちろん、一般家庭にはビデオ録画機器もない)、朝刊のテレビ欄で『ヤング・ミュージック・ショー』の放送を確認すると、その日の夕方(土曜日が多かった)までには家に帰ってテレビの前に座って待っていた。平日の18時から始まる『ビート・オン・プラザ』はロックの新譜を丸々一枚オンエアしてくれるので、これまた始まる時間になるとラジオの前に座って待っていた。中高生にとってLPは高価だったので、実にありがたかった。時期は前後するが、テレビ番組では大橋巨泉の『11PM』、『ナウ・エクスプロージョン』、『イン・コンサート』なども洋楽のことを知る大切なツールであった。

『ヤング・ミュージック・ショー』
初の独自制作

70年代前半は、洋楽ではハードロック、プログレ、ブルース(R&B)、フォーク、カントリーロック、グラムロックなどにそれぞれファンがついていたが、日本のフォーク歌手の多くがアメリカのルーツ音楽に影響されていたこともあって、ニッティ・グリッティ・ダート・バンド(以下、NGDB)はかなり人気があったように思う。NGDBはジャグバンドからスタートしてルーツ音楽を取り入れた『アンクル・チャーリーと愛犬テディ』(’70)や『永遠の絆(原題:Will The Circle Be Unbroken)』(’72)でブレイク、オールドタイムやブルーグラス音楽を広めている。

ちょうどその頃、ヒットしたのがリンディスファーンの「ミート・ミー・オン・ザ・コーナー」であった。マンドリンやフィドルなど、いろんな楽器を持ち替えて明るく楽しそうに演奏するその姿はNGDBと似た部分があって、多くの人が好感を持った。そんなイメージからリンディスファーンの来日が決まったのではないかと思う。

そして、『ヤング・ミュージック・ショー』の制作サイドは、それまでの放送が既存の映像を使った作品であったのに対し、独自企画〜制作が可能なアーティストを探していた時期でもあり、ロックのカリスマ的要素が皆無で人懐っこいリンディスファーンに白羽の矢が立った。英メロディ・メーカー誌でニュースターの第2位に選ばれた実績も加味され、結局ヤング・ミュージック・ショー初の独自企画としてリンディスファーンのスタジオライヴが制作されることになったのである。

ちなみに、当初『ヤング・ミュージック・ショー』で放送されたのは、第1回のCCRを皮切りに、ローリング・ストーンズ、クリーム、スーパー・ショウ(クラプトン、スティーブ・スティルス、レッド・ツェッペリン、バディ・ガイ、ローランド・カークらが出演した文字通りのスーパー・セッションだ。69年収録)、EL&P、ピンク・フロイドと続き、その次がリンディスファーンなのだから、当時としては破格の扱いである。そんなこともあって、60歳以上の洋楽ファンの人なら、きっとリンディスファーンの名前を覚えているはずなのだ、
 
※この項の参考文献:『僕らの「ヤング・ミュージック・ショー」』(2005年刊) 著者:城山 隆、出版社:情報センター出版局

OKMusic編集部

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