ガイ・クラークの『オールド No.1』
は数多あるSSW系の作品の中でも
トップにランクされる傑作中の傑作!

『Old No.1』(‘75)/Guy Clark
72年に出たジェリー・ジェフの『ジェリー・ジェフ・ウォーカー』にクラークの「L.A フリーウェイ」と「オールド・タイム・フィーリング」の2曲が、ラッシュの『男の肖像(原題:Ladies Love Outlaws)』(‘74)にもクラーク作の「汽車を待つ無法者のように(原題:Desperadoes Waiting For A Train)」が収録されていた。また、テキサスでは知らぬ者のいないシンガーソングライター、タウンズ・ヴァン・ザントの大傑作『The Late Great Townes Van Zandt』(’72)にもクラークは「Don’t Let The Sunshine Fool You」を提供しており、アメリカのシンガーソングライター系作品を愛好する者にとって「ガイ・クラークとは何者なのか?」という疑問が募っていったのである。
待ちわびていた中、ようやく75年に彼のデビュー作となる『オールド No.1』がリリースされた。そのサウンドは今ならアメリカーナという呼び方になるだろうが、当時は“カントリー寄りのフォークロック作品”か“フォーク寄りのカントリーロック作品”のどちらかで説明せざるを得なかった。本作を聴いてみるとジャンルなどどうでもよく、古今東西のシンガーソングライター系作品の中でもトップに位置する大傑作だ。リアルタイムで聴いて既に約45年経つが、その気持ちは今でもまったく変わらない。
シンガーソングライター系という
ジャンル
種を明かせば、SSWとはひとつのジャンルとして定着しており、少なくとも70年代のSSW系と言えば、“フォークロックを基調としたカントリーっぽい(あるいはブルースっぽい)音楽”のことなのである。例を挙げれば、同じ自作自演でも、ジャクソン・ブラウンはSSW系だけれどビリー・ジョエルはポップロックだし、エルトン・ジョンやブルース・スプリングスティーンは、どちらも初期はSSW系だけれどブレイク以降はロックという扱いである。リンダ・ロンシュタットに至ってはほとんど自作曲を書いていないが、ジャンルとしてはSSW系になる。要するに、SSW系音楽はジャンル分けがされているものの微妙な立ち位置にあるのが実状で、この手の音楽のことを現在では「アメリカーナ」という呼び方をすることが増えている。
SSW系音楽の宝庫、
テキサス州オースティン
テキサスにはガレージバンドも多く、67年頃には「ヴァルカン・ガス・カンパニー」というロッククラブができた。ロッキー・エリクソン&13thフロア・エレベーターやウィンター兄弟(ジョニーとエドガー)らが連日サイケデリックな演奏を繰り広げ、ヒッピーたちの聖地となる。しかし、収益を考えない文化祭のような運営だったために経営状態が悪化し、70年に閉鎖。それに代わって本格的なコンサートホールとして登場するのが「アルマジロ・ワールド・ヘッドクォーターズ」である。ここでは大勢が収容できる上、さまざまなジャンルのアーティストを出演させた。オースティン内外でヘッドクォーターズは話題となり、街には次々と小さなクラブも誕生、音楽を志すアーティストの卵や、ナッシュビルやメンフィスの音楽業界のやり方に異論を唱えるミュージシャンたちが続々と集まってくるようになる。
「ミスター・ボージャングル」のヒットで知られるジェリー・ジェフ・ウォーカーもそんなひとりである。72年にニューヨークからオースティンに移り住むようになってからは、彼の影響もあってカントリー、フォーク、ロックなどをミックスしたような新しいテキサス発の音楽が増えていく。もともとはフォークリバイバルに感化されたSSWであったジェリー・ジェフだが、「ボージャングル」以降はヒットに恵まれず心機一転を図るためにオースティンに向かった。彼が移住したことで、テキサス在住のアーティストたちが彼のもとを訪れるようになり、たちまち多くの店でジェリー・ジェフの息がかかったライヴが行なわれるようになっていく。