ロックギターの頂点を極めた天才ジミ
・ヘンドリックスの生前最後のスタジ
オ録音アルバム『エレクトリック・レ
ディランド』

ジミ・ヘンドリクスは1966年にデビューし、70年に27歳で死去しているので、実質の活動期間は4年足らずであった。しかし、彼がロック界で成し遂げたことは革命的で、特にロックギターの可能性を大幅に進化させた功績は計り知れない。もちろん、彼ほどのギタリストであっても多くの先人たちの影響を受けているのは確かだが、彼のスタイルは誰にも似ていない。演奏技術をはじめエフェクターの使用に至るまで唯一無二の存在であり、そのプレイやスタイルは突如出現したように思えるほど独創的であった。今回は、LP時代に2枚組でリリースされた彼の生前最後のスタジオ録音アルバム『エレクトリック・レディランド』を紹介する。

ジミヘンのこと…

今でも僕は、ジミヘンが未来から来たのではないかと時々思うことがある。それぐらい彼のギターは、革命的で独創性に満ちていた。70年代初頭、彼のことを知った中2の頃は、日本におけるロックとはギタリストありきの音楽であった。エリック・クラプトン、ジミー・ペイジ、ジェフ・ベックの3人に大きな注目が集まっていて、御多分に洩れず僕もクリームやツェッペリン、ジェフ・ベック・グループなどを聴き狂っていたのだが、ある日ジミヘンのアルバムを友だちに借りて聴いてみると、そこにはこれまで聴いてきたロックとは次元の違う音楽があった。
そのアルバムこそが2枚組の大作『エレクトリック・レディランド』で、それ以降はジミの情報を雑誌やライナーなどで貪り読み、彼がすでに亡くなっていること、右利き用のギターを左利き用のギターとして弾いていたこと、ロッカーなのに黒人であることなどを知る。そして、後追いながらも彼のデビューアルバムから遡って聴くことになるのだ。67年、すでに「フォクシー・レディ」「パープル・ヘイズ」など、後のハードロックの原型となる作品をリリースしていて、エフェクターを効かせた彼のギタープレイには驚かされたものだ。

イギリスとアメリカのブルース感の違い

彼は63年頃から、アイズリー・ブラザーズやリトル・リチャードなど、黒人ミュージシャンのバックを務めていたのだが、66年にアニマルズのチャス・チャンドラー(1)に見出されて渡英し、オーディションで選んだベースのノエル・レディングとドラムのミッチ・ミッチェルとのトリオで、ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンスを結成した。
翌年にはデビューアルバム『アー・ユー・エクスペリエンスト?』を発表、イギリスで2位(ちなみに1位はビートルズの『サージェント・ペパーズ〜』なので、仕方のない結果だろう)、アメリカでも5位と大ヒットを記録している。この作品に前述の2曲が収録されていて、ブルースを基調にした曲は多いものの、既に天才の片鱗を感じさせる仕上がりとなっている。
リリース当時、アメリカ盤とイギリス盤では内容が違っていて、アメリカ盤ではオリジナル盤からブルースナンバーを除き、よりロック的なナンバーに差し替えられている。アメリカはブルースの本場だから「ブルースでは本場に勝てない」という意味であろうし、逆にイギリスでは「ブルースが聴きたい」という、それぞれのご当地事情があったからだと思われる。
その後はアメリカに凱旋、サイケデリックロッカーたちが大挙参加した『モンタレー・ポップ・フェスティバル』(2)に参加し、彼の破壊的なギタープレイが大きな話題となる。同年(まだデビュー盤と同じ年!)末には2ndアルバム『アクシス:ボールド・アズ・ラブ』をリリース、前作よりブルースナンバーが減りメロディアスな曲が増えていることや、彼の代表曲でロックのスタンダードにもなっている「リトル・ウイング」が収録されていることもあって、全英5位、全米3位とこれも大ヒット。特にアメリカでの成功は彼にとって大きな意味があり、68年になると活動拠点をアメリカに戻している。

本作『エレクトリック・レディランド』
について

68年になると、アメリカやヨーロッパで多くのツアーをこなしながら、ジミは新作のアイデアを練っていた。前作から1年近くのブランクを経てリリースされた『エレクトリック・レディランド』は、2枚組全16曲収録という大作であった。冒頭で述べた通り、本作は僕が最初に聴いたジミのアルバムであり、他の同時代のロック作品と比べると異次元の完成度だと感じた作品でもあった。
アルバムには、エクスペリエンスのメンバーの他、トラフィックからスティーブ・ウインウッド、デイブ・メイソン、クリス・ウッドの3名、ストーンズからブライアン・ジョーンズ、ジェファーソン・エアプレインからジャック・キャサディ、アル・クーパーなどが参加、ジミ・ヘンドリクス自身が初めてプロデュースを手掛けていることからも、本作がジミのソロアルバムだと言ってもいいのではないかと僕は考えている。
収録された16曲は、ゲストのプレイを生かした曲、ジャムセッション的な意味合いの曲、エクスペリエンスらしいハードな曲など、ジミのアイデアがたっぷり詰まっていると思う。アルバムの聴きどころのひとつは、15分にも及ぶ彼の代表曲「ブードゥー・チャイル」だろう。シンプルなブルース進行のナンバーだが、天才スティーブ・ウインウッドのオルガンソロとジミのギターが丁々発止のアドリブプレイを繰り広げており、楽しみながらジャムっている様子が手に取るように分かる。
「雨の日に夢去りぬ(原題:Rainy Day, Dream Away)」と「静かな雨、静かな夢(原題:Still Raining, Still Dreaming)」はどちらもドラムがバディ・マイルスで、本作リリース後しばらくして結成するバンド・オブ・ジプシーズの予告編のような仕上がりになっている。
ボブ・ディランの「見張り塔からずっと(原題:All Along The Watchtower)」はジミのカバーが広く知られることになり、この後に続々登場する同曲のカバーはジミのバージョンがベースになっていることが多い。本作にゲスト参加しているデイブ・メイソンがソロ6作目の傑作『デイブ・メイソン』(‘74)でジミヘン・バージョンに取り組んでいるのは微笑ましいと思う。
ちなみに、本作は2枚組にもかかわらず、チャートで彼ら初の全米1位に輝き、イギリスでも6位まで上昇、ロック史上に残る傑作として未だに語り継がれている。

本作以降の動向

『エレクトリック・レディランド』録音時から、ジミとノエル・レディングの確執が囁かれていたが、69年になると事実上の解散状態となり、ジミは昔の音楽仲間のビリー・コックス(ベース)と、本作にゲスト参加したバディ・マイルス(ドラム)による黒人ばかりの「バンド・オブ・ジプシーズ」を結成し、70年には生前最後のライヴ盤『バンド・オブ・ジプシーズ』をリリースしている。他にも数々のセッションに参加するなど、自分の音楽を追究しようとしていたのだが、70年9月アニマルズのエリック・バードンとのセッションの2日後に、ホテルで死亡しているのが発見された。まだ、27歳の若さであった。
彼の死後、多くの未発表音源が次々とリリースされるなど、未だにジミ・ヘンドリクスのカリスマ性は失われておらず、ロックの歴史において、彼が最も優れたギタリストであることは誰も否定できないだろう。

著者:河崎直人

OKMusic編集部

全ての音楽情報がここに、ファンから評論家まで、誰もが「アーティスト」、「音楽」がもつ可能性を最大限に発信できる音楽情報メディアです。

新着