新時代のファンクを提示した
ハービー・ハンコックの
『ヘッド・ハンターズ』

『Head Hunters』(‘73)/Herbie Hancock
ジャズとロックの
ファンクへのアプローチ
ロック界でファンクが身近なものになるのは、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの登場によるところが大きい。フラワー・ムーブメンとヒッピー全盛のアメリカ西海岸でデビューしたスライのグループは、白黒混合のグループでロックフェスに参加する機会が多かったためにロックの影響も大きく、ゴリゴリのファンクというよりはポップ性も高く適度な泥臭さであったから、大きな人気を集めることができた。中でも、ラリー・グレアムが編み出したスラップ(当時はチョッパーと呼んだ)ベースは、ファンクのグルーブにぴったりのパーカッシブなサウンドを生み出した。
ジャズ界ではマイルス・デイヴィスがロックやファンクを採り入れた『ビッチズ・ブルー』(‘70)や『オン・ザ・コーナー』(’73)をリリース、16ビートのジャズロックを展開し、後のクロスオーバー(フュージョン)音楽の誕生に大きな役割を果たした。マイルスの16ビート路線は、ジャズ界だけでなくロック界にも大きな影響を与えており、多くのジャズロックグループが生まれている。BS&Tやシカゴといったブラスロックのグループもマイルスがいなければ、そのスタイルは変わったものになっていただろう。ただ、マイルスの音作りは難解な部分が少なくないため、一般のリスナーに浸透させるためには16ビートやファンクのサウンドをもう少し易しく噛み砕く必要があった。
若き天才ミュージシャン、
ハービー・ハンコック
ハンコックは「ウォーターメロン・マン」でも分かるように、元来ヒットメーカーの素質を持っており、『ビッチズ・ブルー』のスタイルを学びながらも、もう少しキャッチーな形でファンクを押し出そうと考えていた。しかし、そこに到達するまでには、もう少し時間が必要であった。ハンコックがマイルスのバンドを脱退してからワーナーブラザーズでリリースした作品『ファット・アルバート・ロトゥンダ』(‘69)、『ムワンディシ』(’70)、『クロッシング』(‘71)は、エレピ、シンセ、ホーンを前面にフィーチャーしたエレクトリック・ファンキージャズとも言えるスタイルで、まだリズムセクション(特にドラム)は従来のジャズのままであり、ヘヴィさに欠ける部分は否めない。彼はジャズ的なリズムセクションではファンクの“重さ”を表現できないことが分かっていたはずである。