新時代のファンクを提示した
ハービー・ハンコックの
『ヘッド・ハンターズ』

『Head Hunters』(‘73)/Herbie Hancock

『Head Hunters』(‘73)/Herbie Hancock

本作『ヘッド・ハンターズ』はジェイムズ・ブラウンやスライ&ザ・ファミリー・ストーンらが生み出した泥臭いファンクのエッセンスを蒸留・抽出し、当時はまだ珍しかった16ビートのグルーブ感と洗練された“キメ”を武器に、ファンクやジャズを知らないリスナーを虜にしたアルバムである。同時に、本作はフュージョン最初期のアルバムでもあり、70年代のフュージョン作品がやっていた仕掛けは、ほぼ本作にそのルーツがあると言っても過言ではない。当時、熱心なジャズファンには軽すぎると不評であったが、以降のフュージョンの隆盛を見れば本作に拠るところが大きいのは明らかである。

ジャズとロックの
ファンクへのアプローチ

ファンクミュージックとは、もともとは黒人による泥臭いテイストを持つ音楽のことを指す言葉である。その語源はファンキージャズがもとになっており、ゴスペル、ブルース、R&Bなどに影響されたダンサブルで粘りつくようなリズムが特徴と言える。ファンクを作り上げたのはジェイムズ・ブラウンで、60年代中頃にはそのスタイルを確立しつつあった。ファンクに影響を受けたローカルな黒人グループは各地に次々に現れ、地方での人気を地味ではあったが集めていく。

ロック界でファンクが身近なものになるのは、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの登場によるところが大きい。フラワー・ムーブメンとヒッピー全盛のアメリカ西海岸でデビューしたスライのグループは、白黒混合のグループでロックフェスに参加する機会が多かったためにロックの影響も大きく、ゴリゴリのファンクというよりはポップ性も高く適度な泥臭さであったから、大きな人気を集めることができた。中でも、ラリー・グレアムが編み出したスラップ(当時はチョッパーと呼んだ)ベースは、ファンクのグルーブにぴったりのパーカッシブなサウンドを生み出した。

ジャズ界ではマイルス・デイヴィスがロックやファンクを採り入れた『ビッチズ・ブルー』(‘70)や『オン・ザ・コーナー』(’73)をリリース、16ビートのジャズロックを展開し、後のクロスオーバー(フュージョン)音楽の誕生に大きな役割を果たした。マイルスの16ビート路線は、ジャズ界だけでなくロック界にも大きな影響を与えており、多くのジャズロックグループが生まれている。BS&Tやシカゴといったブラスロックのグループもマイルスがいなければ、そのスタイルは変わったものになっていただろう。ただ、マイルスの音作りは難解な部分が少なくないため、一般のリスナーに浸透させるためには16ビートやファンクのサウンドをもう少し易しく噛み砕く必要があった。

若き天才ミュージシャン、
ハービー・ハンコック

『オン・ザ・コーナー』をはじめ、マイルスのバックメンとして参加していたのが(63〜68年まで)、まだ20歳代前半のハービー・ハンコックである。ハンコックは22歳で、ブルーノートレコードから初ソロ作『テイキン・オフ』(‘62)をリリース、コンポーザーとして「ウォーターメロン・マン」など、ファンキージャズの大ヒット曲を送り出していた。

ハンコックは「ウォーターメロン・マン」でも分かるように、元来ヒットメーカーの素質を持っており、『ビッチズ・ブルー』のスタイルを学びながらも、もう少しキャッチーな形でファンクを押し出そうと考えていた。しかし、そこに到達するまでには、もう少し時間が必要であった。ハンコックがマイルスのバンドを脱退してからワーナーブラザーズでリリースした作品『ファット・アルバート・ロトゥンダ』(‘69)、『ムワンディシ』(’70)、『クロッシング』(‘71)は、エレピ、シンセ、ホーンを前面にフィーチャーしたエレクトリック・ファンキージャズとも言えるスタイルで、まだリズムセクション(特にドラム)は従来のジャズのままであり、ヘヴィさに欠ける部分は否めない。彼はジャズ的なリズムセクションではファンクの“重さ”を表現できないことが分かっていたはずである。

OKMusic編集部

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