アメリカンルーツ音楽の
大御所を迎えた
ニッティ・グリッティ・
ダート・バンドの『永遠の絆』

『Will The Circle Be Unbroken』(’72)/Nitty Gritty Dirt Band
フォーク・リバイバルとブルーグラス
ブルーグラスは19世紀後半からアパラチア山脈付近でイギリス移民の伝承音楽がアメリカに定着・発展したマウンテン・ミュージックをもととして、マンドリン奏者のビル・モンローがブルース、ジャグバンド、ウエスタン・スウィングなどの要素を盛り込んで作り上げた都市のポピュラー音楽である。ブルースを例にたとえると、マウンテン・ミュージックがロバート・ジョンソンやチャーリー・パットンであり、ブルーグラスはB.B・キングやマディ・ウォーターズのような感じかもしれない。71年には『ボスメンービル・モンロー&マディ・ウォーターズ』(ジム・ルーニー編著)という本が出版されており(今でもアマゾンなどで入手可能)、アメリカでは偉大なアーティストとしてモンローはリスペクトされている。ザ・バンドの面々がブルーグラスの真髄を教えてほしいとモンローの元を尋ねると「髪を切ってから出直してこい」と言われた有名なエピソードもある。
定説としては、モンローのブルーグラス・ボーイズにアール・スクラッグス(革新的なバンジョー奏法を編み出したプレーヤー)が加わった1945年にブルーグラスが誕生したと言われている。ブルーグラスの主な楽器編成としては、ギター、フィドル、フラット・マンドリン、バンジョー、ベースで、ドブロが加わることも少なくない。
60年代になると、東部ではビル・モンローが作り上げた南部の泥臭いブルーグラスとは違う、洗練されたフォーキーなブルーグラスを演奏するグリーンブライアー・ボーイズやチャールズ・リバー・バレー・ボーイズなどのような先進的なグループが登場する。彼らがルーツとなって後にブルー・べルベット・バンドやディラーズ、ディラード&クラークなど、カントリーロックとはテイストの違うブルーグラスロックへと発展していくわけだが、そのあたりは別の機会に…。
日本のアーティストとブルーグラス
日本のフォークシーンでは、高石ともやとナターシャー・セブン、武蔵野たんぽぽ団、ソルティ・シュガー、なぎら健壱らがブルーグラスナンバーを取り上げていて、中でも日本でブルーグラス熱が高まったのは、ソルティ・シュガーの「走れコウタロー」(‘70)と高石ともやとナターシャー・セブンの『高石ともやとナターシャー・セブン』(’72。地蔵のジャケット)あたりだろう。そして、NGDBの『アンクル・チャーリーと愛犬テディ』(‘70)も、一部の曲で日本のブルーグラスファンを増やす結果となった。余談であるが、実はこの頃、ブルーグラス45という日本人でアメリカのレーベルと契約した本格派のブルーグラスバンドが存在した。彼らは本場のブルーグラス専門レーベルREBELレコードから71年から73年にかけて3枚のアルバムをリリースしているのだからすごいことである。