アレサ・フランクリンの『貴方だけを
愛して』は、世界最高のシンガーとし
て君臨する彼女の原点となった作品

本作が世に出てから現在まで、世界最高の歌手としてポピュラー音楽の頂点に立ち続けるアレサ・フランクリン。彼女がいなければ、マイケル・ジャクソンもビヨンセもスティーヴィー・ワンダーも存在し得ないのではないかと思えるほど、その影響力は絶大だ。特に、本作から70年代半ばまでの彼女のアルバムは、他の追随を許さないほど圧倒的なレベルにあった。今回は、ロックやソウルというジャンルを超えるほどの影響力がある名盤中の名盤『貴方だけを愛して(原題:I NEVER LOVED A MAN THE WAY I LOVE YOU)』を取り上げてみよう。

モータウン・サウンド VS メンフィス・
サウンド

60年代中頃、イギリスのグループであるにもかかわらず、ビートルズやストーンズがアメリカで絶大な人気であった。この動きは第1次ブリティッシュ・インヴェイジョン(1)と呼ばれているが、他にもキンクス、アニマルズ、ハーマンズ・ハーミッツなど、僕が小学生の頃すでにこれらのグループのシングル盤を買っていた記憶があるので、アメリカだけでなく世界でもブリティッシュ・インヴェイジョンの波は、確実に押し寄せていたのである。
そんな中にあって、アメリカ内部にも大きなヒットメーカーが複数いた。ひとりは、デトロイト生まれの黒人、ベリー・ゴーディー・ジュニアである。彼が59年に設立した『モータウン・レコード』(2)は、60年半ば迄にマーヴィン・ゲイ、スティーヴィー・ワンダー、ジャクソン・ファイヴ、テンプテーションズ、ミラクルズ、マーサ&ザ・ヴァンデラス…などなど、数え上げればキリがないほど優れたミュージシャンのレコードを制作し、全米規模の大ヒットを連発していた。
モータウンの特徴は、黒人によって作られてはいたが、白人マーケットをかなり意識した、都会的で洗練された耳触りの良いサウンドにあった。この頃と言えば公民権運動(3)が盛んになり、白人も黒人も一緒になって差別をなくそうとしていた動きが盛んだったこともあって、モータウンは世界的に知られるレーベルとなっていく。そして、都会に流れ込む労働者が増えるにつれ、モータウンは売れ行きを伸ばしていく。
そして、もうひとり(正しくは一組)のヒットメーカーが、ジム・スチュアートとエステル・アクストンの姉弟。テネシー州メンフィスでこのふたりが共同経営者となって立ち上げた『スタックス・レコード(当初はサテライト・レコードという名称)』(4)は、モータウン・レコードより2年早く設立された。ただ、地元メンフィスでの人気はあっても、当初はひっそりと活動していた。全国レベルになるのは、大手のアトランティック・レコードが配給するようになってからであるが、それは次章で述べる。
オーティス・レディング、ルーファス・トーマス、ウィリアム・ベル、マーキーズ、ブッカー・T&ザ・MG'sらを抱えたスタックスのサウンドは、ゴスペルをバックボーンにしたR&Bをベースにカントリー的な香りもするなど、独特であった。アメリカ人はスタックスで作られるレコードをいつしかメンフィス・サウンドと呼ぶようになっていた。南部には他にもハイ、ゴールドワックス、サウンドステージ・セブンなど、似たサウンドを持つレコード会社(似ているのは、同じレコーディング・スタジオを使っていたという理由がある)が次々に設立され、認知度は上がってきていた。日本では北部と南部という括りで、モータウン系はノーザン・ソウル、メンフィス系はサザン・ソウルと呼ぶことが多い。
田舎に住む黒人や白人たちは、ブルースやゴスペルに根ざした泥臭い音楽(R&Bのような)が好きだった。これを日本に当てはめるのは乱暴だけれども、例えば都会ではドリカムが流行ってても、田舎に住む年配の人は吉幾三のほうが好き、みたいな感じだと思ってもらえば分かりやすいかもしれない。要するに、モータウン・サウンドとメンフィス・サウンドは、どちらも黒人を中心にしたソウル音楽のスタイルなのだが“都会と田舎”“北部と南部”という真逆感を軸にした音楽性を持ち、それぞれの地域のリスナーを満足させていたのである。

アレサ・フランクリンとアトランティッ
ク・レコード

アレサは幼少期から教会の聖歌隊で歌い、ゴスペルタッチの歌い方が得意な少女だった。最初に契約したコロンビア・レコードでは、ポピュラーシンガーとしてデビューしたために彼女の魅力が理解されず、売れない時期が長かった。彼女の実力を知っていたアトランティック・レコード(5)のジェリー・ウェクスラーは彼女を引き抜き、メンフィスでヒット作を量産していたミュージシャンらをバックに付け、レコーディングさせようと奔走する。
彼の尽力のおかげで、ようやく南部アラバマ州のフェイム・スタジオ(マッスルショールズ・サウンド・スタジオと並んで、メンフィス・サウンドのメッカのひとつ)で本作レコーディングの運びとなったものの、南部人と北部人(アレサはデトロイト育ち)の気質の違いもあって、スタジオでの進行は混迷を極めた。結局、1回目のセッションを録り終えたところで中断となり、残りはニューヨークのアトランティック・スタジオで録音されることになる。

名作『貴方だけを愛して』

録音時にいろいろな問題があったものの、アルバムは1967年の3月にリリースされた。先行シングルとしてフェイム・スタジオで録音されたタイトルトラック「貴方だけを愛して」が2月に発売されると、その驚くべき歌唱力と、バックのシンプルながらも骨太の演奏が相乗効果を生み出し、ビルボードのR&Bチャートで1位を獲得する。
アルバムはチャートを上昇し、シングルと同様ビルボードのR&Bチャートで1位、ポップアルバム200でも2位という結果となっている。続いてリリースされた本作収録の2ndシングル「リスペクト」は当時人気絶頂にあって、ロックフェスにもよく出演していたオーティス・レディングの大ヒット曲で、アレサ・ヴァージョンがまたまた1位となる。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで、トップを維持しながら、アレサはこのまま70年代をポピュラー史上最高のシンガーとして君臨することになるのだ。ちなみに、2011年のローリングストーン誌が選ぶ『100人の偉大な歌手』では、1位にランキングされている。
本作に収録された楽曲は全てが名曲で、アレサの熱い歌唱ぶりに、アルバムを通して聴くだけでドッと疲れるほどだ。僕がこのアルバムと出会ったのは、中学3年生の頃。当時人気のあったマッスルショールズ録音のひとつとして知ったのだが、それから40年程度経つが、未だに愛聴盤である。何百回聴いたのか分からないぐらい聴いた。これだけの作品と出会えることは、人生の中でもそう多くはない。中でも、僕のお気に入りは、アレサと彼女の妹キャロリンが共作した「ベイビー・ベイビー・ベイビー(原題:Baby, Baby, Baby)」と、南部のシンガーソングライター、ダン・ペンが書いた「恋のおしえ(原題:Do Right Woman – Do Right Man)」の2曲。
このアルバムに衝撃を受けた人は多いはずである。特に、アレサの歌唱力だけでなく、バックの演奏まで含めて本作に影響されたミュージシャンは、日本では忌野清志郎、上田正樹、桑田佳祐などがいるが、海外まで含めると星の数ほどいるのではないだろうか。

神聖化するマッスルショールズ

面白いのは、多くのミュージシャンが、マッスルショールズでレコーディングすればすごいレコードが作れるかも…と考え、ここでのレコード制作を望んだことだ。ストーンズをはじめ、クラプトン、U2、ボズ・スキャッグス、シェール、ポール・サイモン、ロッド・スチュワート、トラフィック、アリシア・キーズらがマッスルショールズのスタジオでレコーディングしている。
興味のある人は、ドキュメンタリー『黄金のメロディ マッスル・ショールズ』や、彼女の映画デビューとなった『ブルース・ブラザーズ』(現在はどちらもDVD化されている)を観てほしい。アレサのすごさが分かると思うので…。

著者:河崎直人

OKMusic編集部

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