カンの『フューチャー・デイズ』は
45年経っても色褪せない
ジャーマンロックを代表するアルバム
不易流行と限界芸術
思想家の鶴見俊輔は「限界芸術」という理論を提唱していて、これは芸術というものは専門家だけのものではなく、非専門家であってもポップカルチャーのような、ある種の芸術に近いものが生み出せるというものだ。「不易流行」と「限界芸術」の詳細については関連本を読んでみてほしい。
なぜ、ここで不易流行と限界芸術の話を持ち出したかというと、英米のロックと比べて西ドイツ(1990年以前は東ドイツと西ドイツにわかれていた)のロックはレベルが高く、彼らは文字通り「不易流行」を進めて「限界芸術」を生み出しているといえるからだ。
先進的なサウンドを持つ
西ドイツのロックグループ
そもそもドイツはクラシック音楽の本場であり、アメリカのアーティストのようにブルースやカントリーなどをルーツに持っているわけではない。イギリスはアメリカほどにはくだけていないけれど、トラッドやバラッド、アイリッシュのようなフォークロアが根付いているので、そういう意味では類型的にはアメリカに近い音楽的背景を持っている。
ドイツはクラシックの本場であるだけでなく、電子楽器を使った実験音楽が60年代初めから盛んであり、その実験の第一人者が著名な現代音楽家のシュトックハウゼンだ。グループのメンバー、ホルガー・シューカイとイルミン・シュミットは音楽学校でシュトックハウゼンに現代音楽を学んでいただけに芸術家的な思考で創造性を発揮し、売れるというよりは良いものをリリースするというスタンスであったようだ。彼らが60年代後半から70年代初頭にかけて作り上げた作品はポピュラー音楽史的には早過ぎた仕上がりだったこともあって、認められるのは、それからさらに10年ほど時を待たなければいけない。
ルーツ系民俗音楽をバックボーンに持つ英米のアーティストと、クラシック音楽と電子音楽をバックボーンに持つ西ドイツのアーティストとは、同じポピュラー音楽を創造するといっても土台自体が違うからかなり異なったアウトプッとなり、確実に言えることはカンの音楽がかなり先進的であったということである。
本作『フューチャー・デイズ』について
時々、彼らのことをプログレのグループとして扱っている媒体があるが、それは間違いである。プログレッシブロックであることは確かだが、ジャンルとしての“プログレ”ではない。キング・クリムゾンやイエスと比べると、その違いは一目瞭然で、カンにはプログレ特有のドラマチックな展開が少なく、逆にどこまでもクールでフラットな表現に徹していることが多い。
1曲目のタイトルトラックはいろいろな効果音を組み込みながら、徐々にリスナーをカンの世界に引き込んでいく。サンプリングされたようなダモ鈴木の気怠いヴォーカルとギターのリフが一体化して、洗脳されていく感じすら覚える。2曲目の「Spray」ではアフリカ的リズムを前面に押し出しながら、かすかにロックンロールのフレーズが浮かんでは消えていくコラージュ的技法が実に上手い。とはいえ、オールマンブラザーズを真似た茶目っ気ある演奏で笑いを誘う部分もある。3曲目の「Moonshake」は小品であるが、まだパンクすら登場していないのに、既にポストパンクな音作りを見せているのには驚くばかり。本作の最後の20分近くにおよぶ大作「Bel Air」ではポップでカオスな側面を見せると同時に、パステル画のような静謐感も併せ持っていて、日常空間が彼らのサウンドに侵食されるような感覚にとらわれる。
本作のメンバーはベースのホルガー・シューカイ、キーボードのイルミン・シュミット、ドラムのヤキ・リーヴェツァイト、ギターのミヒャエル・カローリ、そしてヴォーカルのダモ鈴木であり、パーカッションはヤキとダモが演奏している。なお、ダモ鈴木は本作を最後に脱退している。
TEXT:河崎直人