サイケデリックブルースロックから
アメリカンロックへと転身した
スティーブ・ミラー・バンドの
『ジョーカー』

『The Joker』(’73)/Steve Miller Band
60年代サンフランシスコの代表グループ
フィルモア・オーディトリアム(フィルモア・ウエストの前身)のオーナー、ビル・グレアムはこれらのグループをしょっちゅう出演させていたので、彼らの人気はうなぎのぼりで、レコード会社の多くが彼らと契約しようと躍起になっていた。67年に20万人以上を集めて開催されたロック史上最初のビッグフェスとなる『モンタレー・ポップ・フェスティバル』にこれらのグループが大挙出演してからは、その人気は全国区となっていく。ちなみに、このフェスは以降のロックフェスの雛形となり、『ウッドストック』も『ワトキンスグレン』も、この『モンタレー・ポップフェス』をモデルにしている。
すでにレコーディング経験のあった
スティーブ・ミラー
この頃の貴重なコメントがある。レコード・プロデューサーのデイビッド・ルービンソンは「私がサンフランシスコに出てきたのは1966年の12月。あの当時で最高のバンドというと、それはもうモビー・グレイプに止めを刺す。他とは比べものにならない。モビー・グレイプと一段下がってスティーブ・ミラーかな? (中略)できもしないブルースを演奏するサンフランシスコのグループなんてのはもう、お笑い草でしかなかったのさ。ただし、スティーブ・ミラーとサンズ・オブ・チャンプリン(筆者注:ビル・チャンプリンのグループ)とモビー・グレイプは別格だった」(『ロックを創った男、ビル・グレアム』ロバート・グリーンフィールド著、大栄出版、1994)と、後年に語っている。