驚きのダイレクトカッティングで
録音されたリー・リトナーの
『ジェントル・ソウツ』

『GENTLE THOUGHTS』(’77)/Lee Ritenour & His Gentle Thoughts
SP盤からLP盤への進化
アナログ時代のレコーディングはマスターテープと呼ばれる磁気テープに演奏を録音し、それをレコードにコピーしていたわけだが、この方法では磁気テープの弱点であるヒスノイズという雑音が、程度の差はあるが必ず残ってしまっていた。これはデジタル録音になるまでレコード業界の悩みの種であった。とはいっても、安い再生装置でポピュラー音楽を聴く場合はヒスノイズは気にならない。高価な装置でクラシックやジャズを聴く場合に問題になる程度で、お金の持ってないロックファンには関係のない話であったかもしれない。
そもそもSP盤の時代(100年ちょっとぐらい前の話…)は、演者が集音器(マイク)の前に立って演奏(もしくは喋る)するのをマスター盤に書き込むというシステムであった。SP盤は収録時間が3〜5分程度なので、ポピュラー音楽のアーティストは1曲ずつライヴレコーディングしていたと考えておけばよいだろう。これがダイレクトカッティングの仕組みである。ところが、1940年代にLP(Long Play)盤が登場する。片面に20分程度の録音が可能となり、録音技術も大幅に良くなった。マルチトラック録音やテープ編集の技術はどんどん進み、70年代には飛躍的に音質が向上、優れた再生装置も安価になり、ロックファンにも音質にこだわったリスナーが大幅に増えた。
恐るべき70sの
ダイレクトカッティング録音
ところが、70sのダイレクトカッティングは20分におよぶ生演奏で、テープに加工はできない。片面5曲収録であるなら、曲間の無音部分も含めて生演奏なのである。片面の収録が終わるまで、ミュージシャンたちは連続してミスのない演奏を強いられる。ミキサーもまた演奏を聴きながら卓をコントロールするわけで、演奏だけでなくエンジニアも含め全てが完璧なレコーディングを要求されるのだ。このレコーディング方法はミスをすれば台なしになってしまうのは当然だが、成功すればスタジオの緊張感までもがリスナーに伝わるという大きなメリットがある。ただ、繰り返しになるが、演奏を直接書き込む高価なマスター盤の無駄遣いになる可能性のほうが高いので、当然のことながらダイレクトカッティングで録音されたレコードは、これまでほんのひと握りしかない。
他にも、ダイレクトカッティングのデメリットはある。それは、マスター盤を使ってLPをプレスする際、3万枚ほどコピーすると磨耗してしまって使えなくなるのだ。要するに、これほどコスパの悪い商品はないのである。
本作『ジェントル・ソウツ』について
パンクロックを聴くには歳を取りすぎていた当時の青年たちは、AOR化した緩いロックを仕方なく聴いていたのだが、本作のような骨のあるフュージョンに出会って、昔どっぷり浸かって聴いていたレッド・ツェッペリン、クリーム、オールマン・ブラザーズなどに似た高揚感を覚えたのである。特にリー・リトナーのバカテクのギタープレイはロックファンを痺れさせ、人気を二分していたラリー・カールトンのプレイと同様、日本で一大センセーションを巻き起こしたのである。
収録曲は6曲(A面3曲、B面3曲)…ということは、20分のライヴセッションを2回やったということだ。もちろん一切編集はされておらず(というか前述したようにダイレクトカッティング録音は編集できない)、これだけのスリリングかつ超絶テクニックが聴けるということで、同年の来日公演(確か、六本木のピットイン)には多くの人が詰めかけ、彼らは日本のフュージョンブームを支える中心的な存在となった。70年代後半当時、大学の軽音ではどこでも、その多くが本作をコピーしようと日夜苦労していたものである。
このグループのプレーヤーは、誰もが(キーボードのパトリース・ラッシェンを除いて)数多くのセッションをこなしていた優れたスタジオミュージシャン集団であり、楽器を学ぶアマチュアミュージシャンにとっては、このグループの全員が“神”的な存在のアーティストたちなのであった。パトリース・ラッシェンはこの時まだ23歳、若くして神童と騒がれ、後にディスコ音楽の分野で大ヒットを連発する。ポピュラーからジャズまで何でもできる卓越したキーボード奏者である。
ドラムのハーヴィ・メイソンはハービー・ハンコックのヘッド・ハンターズで頭角を表し、ジョージ・ベンソンやキャロル・キングのアルバムにも参加している。タイトな16ビートを叩かせたら右に出る者はいない。バーナード・パーディーと並ぶ伝説の名手である。
ベースのアンソニー・ジャクソンも本作の録音時はまだ25歳で、若手ながらバカテクのメロディアスかつ重厚なプレイを聴かせている。
サックスのアーニー・ワッツとパーカッションのスティーブ・フォアマンの二人はフュージョンだけでなく、ウエストコーストロック作品にも数多く登場し、どちらも西海岸らしいカラッと乾いた音で勝負する売れっ子スタジオミュージシャン。
ジェントル・ソウツを率いるのはデイブ・グルーシンとリー・リトナーのふたり。グルーシンはもともとは映画音楽畑の人で、1967年にダスティン・ホフマン主演映画『卒業』のサントラでグラミー賞を獲得しているほどで、他のメンバーとは格が違うのだが、若いメンバーとともに新しい音楽に挑戦する姿はチャレンジャーそのものだと言えるだろう。リー・リトナーも当時25歳、大学時代からグルーシンと一緒に活動、デビュー時からジャズでもロックでもないまさにフュージョンギタリストとしてプレイをしていた。日本ではラリー・カールトンとともに大人気で、カールトンがロックやカントリーなど多くのセッション活動をこなしているのに対して、リトナーは自身のグループでの活動が多いのが特徴だ。本作でのリトナーのギターは恐ろしいぐらいのドライブ感で、やはり本作が彼を代表するアルバムと言えるだろう。
収められた曲は、グルーシン作のフュージョン界を代表する名曲「キャプテン・カリブ」をはじめ、リトナーの代名詞とも言える曲で何度も録音している「キャプテン・フィンガーズ」、ロバータ・フラックやマリーナ・ショウでお馴染みのニューソウルの名曲「愛のためいき」など名演ばかりで、一発録りにもかかわらずメンバー全員が攻めに徹しているのは壮絶だ。
『ジェントル・ソウツ』テイク2
僕は当時たくさんリリースされたフュージョン作品の中で、好きなアルバムは少ないのだが、少なくとも本作はロックスピリットにあふれた名盤だと思う。
TEXT:河崎直人