切れ味鋭いファンクブルースで
新時代を築いた
ジェームス・コットン・バンドの
『100%コットン』

『100% Cotton』(’74)/James Cotton Band
シカゴブルースの正統派後継者、
ジェームス・コットン
といった大物ブルースマンとプレイし、15歳の時にはサンレコードからソロアーティストとしてデビューしているのだから、かなりの早熟ぶりである。20歳の時にシカゴに移り住み、シカゴブルースの頂点に君臨するマディ・ウォーターズのサポートミュージシャンとして10年近く務める。いわば、コットンはシカゴブルースの正統を引き継ぐアーティストなのである。
ロックグループとの交流から
新たなサウンドを模索
コットンのグループがブルースロック的なサウンドを持っていたこともあって、黒人ブルースマンとしては異例の、フォークやサイケデリックロックが中心のレーベルとして知られるヴァーヴ・フォアキャストから、マイク・ブルームフィールドやバリー・ゴールドバーグといったゲスト(兼プロデュース)を迎えて『ザ・ジェームス・コットン・ブルース・バンド』(’67)をリリースする。翌年には、これまたフォークのレーベルであるヴァンガードレコードとソロ契約し、R&Bやジャズテイストのあるアルバム『カット・ユー・ルース!』(’68)をリリースするなど、この時期は実に精力的な活動をしている。
71年には大手キャピトルレコードと契約(グループ名義ではあるものの実質はソロ作である)、トッド・ラングレンのプロデュースで、デイブ・サンボーン、リッチー・ヘイワード(フラタニティ・オブ・マン〜デラニー&ボニー、後にリトル・フィート)、ジョエル・オブライエン(ジョー・ママ)、マイク・ブルームフィールド、ジョニー・ウィンター、マット・マーフィー、N.D・スマート(カンガルー〜グレート・スペクルド・バード、後にハングリー・チャック)ら、豪華なゲストを迎えて最もロック的なアルバム『テイキング・ケア・オブ・ビジネス』をリリースしている(ウッドストックのベアズヴィルスタジオで収録)。残念ながらこのアルバムは未だCD化されていないのだが、後にコットンがコーラスを重視すること(シカゴブルースではコーラスは普通しない)や、ライブでよく歌うラングレン作「グッドバイ・マイ・レイディ」が収録されていることなどから、コットンにとっては音楽的な転機とも言える重要な作品だとぼくは考えている。