“ジャムバンド”という概念を創った
フィッシュの入門編『ファームハウス

グレイトフル・デッドやオールマン・ブラザーズ・バンドを手本に、テープトレードやファンサービスのシステムを構築、口コミだけで膨大なフォロワーを生み出したフィッシュ。彼らが世界的に認知され出した90年代前半以降、そのサウンドスタイルから、“ジャムバンド”という新たなロックの概念が登場した。90年代中頃にはガバメント・ミュール、ワイドスプレッド・パニック、ストリング・チーズ・インシデントなど、ジャムバンド系グループが大挙登場し、現在に至るまでの大きなムーブメントとなっている。そんなわけで今回は、ジャムバンドの入門用として最適の『ファームハウス』を取り上げてみよう。

ジャムバンドとは?

「ジャムバンドとは何か?」という問いに答えるのは非常に難しい。これが特定のジャンル(ロックとかジャズとか)を指す言葉なら説明しやすいのだが、ジャンルとは明らかに違う次元のカテゴリーであるため、話はややこしい。
もともと“ジャム”とはジャムセッションの略語で、古くからジャズミュージシャンたちの間で使われてきた言葉。要するに、好きなもの同士が偶発的に集まって自由に即興演奏を行なうことだ。では、“ジャム”と“ジャムバンド”は同じ意味なのかと言うと、これが違うのである。ひとつのグループとしてみれば、ジャムばっかりやってるバンドもいるだろうが、ここで言う“ジャムバンド”とは演奏方法論的なことではなく、よりマクロなスケールを持つムーブメントのことを指す。“ヒップホップ”や“パンク”のように、思想やライフスタイルまでを含むものと捉えてもらうほうが分かりやすいだろう。

グレイトフル・デッドの独創的な手法

今から50年ほど前、60年代中頃にアメリカ西海岸から登場したグレイトフル・デッド(1)は、主にヒッピーの思想的リーダーであったジェリー・ガルシアを中心に、サンフランシスコ界隈では絶大な影響力を持つムーブメントを生み出していた。その後の30年間で、彼らはアメリカの社会全体に影響を及ぼすようなロックグループとなっていく。残念ながら日本では彼らのようなグループは存在しないために、その感覚は分かりづらいところがあるが、ある種の宗教的な存在に近いと言うべきかもしれない。
デッドのコンサートは、曲の骨組みだけは決まっているが即興が主で、その日の観客のノリに合わせて自由に演奏するというスタイルであった。その音楽性は、フォーク、R&B、ソウル、ブルース、ブルーグラス(2)など多岐にわたっており、1曲がとても長い上、ライヴ自体も長時間におよぶことが多かった。LP時代はアルバム片面に20分程度しか収録できない制約があったため、彼らの活動はライヴパフォーマンスがメインにならざるを得なかった。実際、スタジオ録音盤とライヴ盤を聴き比べてみると分かるが、同じグループとは思えないほどサウンドイメージは違うのだ。
デッドが画期的だったのは、観客がライヴ録音するのを許可していたことだ。レコード会社との契約がどうなっていたのが知りたいところではあるが、ライヴ会場に録音専用のブースまで設置されていることもあった。これも自分たちの音楽をファンに楽しんでもらいたいという思いがあったからだろうし、デッドが本領発揮できるライヴ音源こそ、多くの人に聴いてもらいたいという考えもあっただろう。もちろん、録音を許可することで膨大な数の海賊盤が出回ることになり、アメリカ国内ではオフィシャル盤の売上は芳しくなかったようだ。70年代は普通の輸入レコード店で海賊盤(ブートレグという)も販売されていたので、僕たちもよく買った。中には酷い体裁や音質の盤もあったが、オフィシャル盤でないことで妙に興奮したことを未だに覚えている。
もうひとつ、彼らの独創的な部分はファンに関することだ。デッドに心酔する熱狂的なファンたちは“デッドヘッズ”と呼ばれ、ライヴの動員だけでなく、グッズの販売や警備などもしながら、メンバーと寝食をともにし、ツアーの時ももちろん一緒に移動するなど、メンバーとデッドヘッズは運命共同体のようなものであった。特にリーダーのジェリー・ガルシアのカリスマ性は際立っており、95年に彼が亡くなると多くのデッドヘッズは行き場を失い、雲散霧消状態になってしまった。

デッドのシステムを新しく改良したフィ
ッシュの手腕

フィッシュはマイク・ゴードン、トレイ・アナスタシオ、ジョン・フィッシュマン、ペイジ・オコンネルの4人組で80年代にデビューしている。90年代中頃(ジェリー・ガルシアが亡くなる前後だ)、盛んになりつつあったフェスに現れるようになると、その類似性もあって、行き場を失っていたデッドヘッズたちは一斉に注目する。
90年代に入ると、ロックを取り巻く環境は変わりつつあった。大きいフェスの増加、録音機材の充実、ネット配信、テープトレードなど…。フィッシュのメンバーは、この時代だからこそデッドの手法が活かせるはずだと確信、デッドが構築してきたシステムを見直しながら取り入れることにしたのだ。これが見事に功を奏し、あっと言う間にフィッシュのライヴ動員数は数十万人にまで膨れ上がり、全米最大のインディーズグループと評されるまでになった。99年にはフジロックに初登場、3日間連続で計12時間にもおよぶ(アメリカではもっと長いが…)ライヴを繰り広げ(同じ曲は演奏していない!)、日本でもその存在感を見せつける結果となった。2004年、やるべきことがなくなったと一旦は解散するものの、現在はまた活動を続けている。
93年にはライヴ会場に正式に「テーパー・セクション」を設置、テーパーたちが録音した音源はネットでダウンロードもできる。そして、“Phan”(ファン)と呼ばれるファンたちがそれぞれサイトを立ち上げ、フィッシュの情報発信などを行なうなど、デッドにおけるデッドヘッズと同じような運命共同体的スタンスで活動している。
要するに、これら全てを含む動きを“ジャムバンド”と呼んでいるわけで、フィッシュ以降これらの手法を使うジャムバンド系グループは増殖を続け、2016年の現在でもその波は衰えてはいない。ここ数年日本でも人気のあるテデスキ・トラックス・バンド(3)もフィッシュを範にしたジャムバンド的なグループの一つだ。

『ファームハウス』について

本作がフィッシュの代表作かというと、それは違う。彼らが本領を発揮できるのはやっぱり長丁場のライヴだし、代表作として挙げるなら数多くリリースされているライヴ盤のひとつになるだろう。ここではジャムバンドに詳しい人たちには譲歩してもらって、これからジャムバンドを聴いてみたいという人にオススメのアルバムをということで『ファームハウス』を選んだ。
このアルバムは、全曲トレイ・アナスタシオの手になるもので、良いメロディーの楽曲が多いのが特徴だ。一部の曲ではオルタナティブなサウンドエフェクトやホーン、ストリングスを使ってはいるものの、全体的には正統派のアメリカンロック的な印象を受ける。自作ということもあって、トレイのギターがどの曲でもキマッている。タイトル曲は、レゲエっぽい中にビートルズが隠れてるみたいな感じの4分だけど、ライヴではもっと長いしエキサイトするのでライヴでも味わってみてほしい。あと、ゲストも10人近く参加していて、ブルーグラスっぽい曲とかオルタナティブ風の曲も収録されているが、本作には残念ながらフィッシュの得意なジャズ、ラテン、プログレ系の作品が入っていないので、そのあたりはまた別の機会に紹介したいと思う。ちなみに本作は、1度目の解散前にリリースされた最後のアルバムである。

著者:河崎直人

OKMusic編集部

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