オーガニック・ミュージックの代表格
、ジャック・ジョンソンが放ったミリ
オンセラーアルバム『オン・アンド・
オン』

家族を大切にし、環境を考える。酒・女・ドラッグとは無縁で、サーフィンを中心にした日常生活を歌にする。イメージとしてのロックスターとは真逆(ロックスターのみなさん、すみません)のミュージシャンがジャック・ジョンソンだ。90年代の終わり、地球温暖化が問題となり、スローライフやロハスといった生き方が脚光を浴びることになった。それと同時に認知されるようになったのがオーガニック・ミュージックだ。オーガニックとは、もともとは化学肥料などを使わない有機農業の意味だが、生楽器を中心にあまり電気的な処理をしない音楽を生み出しているジャック・ジョンソンは、まさにオーガニック・ミュージックの代表格で、今でも世界中で絶大な人気がある。今回は彼の代表曲「ロデオ・クラウンズ」が収録された『オン・アンド・オン』を取り上げる。

地球温暖化とロハス

90年代の終わり、地球温暖化(1)の問題が世界的に取り上げられ、CO2排出量の削減が叫ばれてからは、日本でもライフスタイルを見直そうという動きが活発になっていった。過剰な食品添加物の使用に警鐘を鳴らしたり、電気のや水の節約について語られることが増えた。また、有機農法が脚光を浴び、オーガニック食品に注目が集まっていく。忙しい生活からゆとりを取り戻して健康的に生きるというロハス(2)の考え方は、2016年の日本でも継続していると言えるのではないだろうか。
同じ頃、日本独自のスローライフ(3)という言葉も生まれ、社会全般に広まっていく。これに呼応したというわけではないが、音楽業界でも2000年代に入ると“ゆったりした”“生楽器が中心”“日常生活についての歌”を3本柱にしたリラックスできる音楽に人気が集まるようになっていく。

ノラ・ジョーンズとつじあやの

例えば、ノラ・ジョーンズの1stアルバム『Come Away With me』(‘03)は、ジャズ専門レーベルのブルーノートからリリースされたにもかかわらず、フォーク、カントリー、ソウル、ジャズなどをミックスしたフォーキージャズという新たなオーガニック系のジャンルとして広がり、全世界で2000万枚を超えるセールスを記録、エリン・ボーディーやマデリン・ペルーなど、多くのフォロワーを生み出している。
日本でも1999年にメジャーデビューしたつじあやのの音楽は、まさに癒やし系のオーガニック・ミュージックであり、2002年にリリースした「風になる」はオリコンで13位まで上昇し、その後もロングセラーを記録、大きなフェスなどにも引っ張りだことなる。
90年代後半以降に激増した日本の各大型ロックフェスでは、生楽器中心のミュージシャン等が気持ちよく演奏できるよう、少人数収容のステージを確保しているが、これもオーガニック系のミュージシャンやリスナーが少なくないことを証明するものだと思う。

映像作家としてのジャック・ジョンソン

ジャック・ジョンソンが世に知られるきっかけは、彼が撮ったサーファーの短編ドキュメンタリー『シッカー・ザン・ウォーター』(‘99)だった。そもそも彼は高校時代にプロサーファーとなり、大学時代は映像の勉強をしていた。自らもサーファーであったことから、プロサーファーたちのそれぞれの特徴を引き出すことに成功していて、サーフィン雑誌で最優秀ビデオ賞を獲得しているほどだ。
ジョンソンはこの映画を撮影するために各地に出かけ、トップサーファーたちと何日間かを一緒に過ごす。彼らは夜になるとジョンソンのギターと歌を聴きながら寝るという生活を繰り返していたそうだ。ジョンソンの代表的な楽曲は「ロデオ・クラウンズ」や「ホールズ・トゥ・ヘブン」も含め、この映画の取材時に作りためたものが多いそうだ。映画が完成し、映像のバックで流す音楽を録音することになり、ジョンソンは自分の曲を使う。そして、作品が公開される前から、ジョンソン自身知らないうちに、その音源は次々とコピーされ、サーファー仲間を中心に出回るようになる。

ベン・ハーパー、G・ラブとのつながり

ベン・ハーパー(4)のプロデューサーのJ・P・プルニエは、ジョンソンのサーフィン仲間であり『シッカー・ザン・ウォーター』のジョンソンの音楽に惹かれていたひとり。プルニエは例のコピー音源をハーパーに聴かせてみた。すると、ハーパーはジョンソンの音楽的才能を見抜き、実際に会って「レコーディングすべきだ」とジョンソンに助言までしている。それまでサーファー仲間とのパーティやミーティングでしか演奏したことがなく、ミュージシャンになることは考えてもみなかったジョンソンであったが、ハーパーの助言がきっかけで、ミュージシャンとしての活動をスタートさせる。まずはプルニエの紹介で知り合ったドラムのアダム・トポルとリハーサルを繰り返し、その後トポルの紹介でベースのメルロ・ポドゥルフスキが加入、以降は3人でライヴを行なうことが増えた。
熱烈なサーフィン好きとして知られるG・ラブことギャレット・ダットンは、もちろん『シッカー・ザン・ウォーター』を観ていたし、そこで流れるジョンソンの音楽にも興味を持っていた。ふたりはサーフィンをするために会い、その後ジャムセッションを始め、数時間後にはすっかり意気投合、一緒に音楽制作の約束をする。そして、G・ラブはジョンソンをスタジオに招き、ジョンソンの名曲「ロデオ・クラウンズ」を含む名盤『フィラデルフォニック』(‘99)をリリースするのである。

ミュージシャンとしてのデビュー

さて、ジョンソンがミュージシャンデビューをするにあたって、お膳立てはすっかり整った。サーファーのドキュメンタリーは前作の好評を受けて2作目の『セプテンバー・セッションズ』(‘99)を制作するものの、これ以降はミュージシャンとして活動していくことになる。
ある日、ハーパーのプロデューサー、プルニエから願ってもない話が舞い込む。それは、プルニエが立ち上げる予定の新レコード会社からデビューしないかという打診であった。そして2001年、設立されたばかりのエンジョイ・レコードからデビュー作品となる『ブラッシュファイア・フェアリーテイルズ』をリリースする。プロデュースはもちろんプルニエが担当した。生楽器を中心に、サウンドはシンプルに、多重録音はできる限りしない、派手なエフェクターや電子楽器は極力使わない、というフォークシンガーのような理念を持ちつつスタジオに入るわけだが、この理念こそが、後にオーガニック・ミュージックという新しい概念になるのである。
21世紀の音楽として、いやに古臭いレコーディングであることは間違いない。ボブ・ディランですら、70年代初頭にはすでにこういうレコーディングはしていないのだ。ジョンソンはサーファーたちの前で自作曲を披露するという立ち位置を変えたくなかったし、そもそもこのデビュー作が売れるとは考えてはいなかったから、自分の好きなようにレコーディングしたのである。しかし、これは嬉しい誤算であった。フタを開けてみれば、大手レコード会社のユニバーサルが販売契約したいと申し出ることになり、100万枚以上を売上げる結果となるのだ。

サーフロックとしての側面

ジョンソンの一見古臭く感じる音楽理念こそが、時代の求めているロハスやスローライフにマッチしたわけで、オーガニック・ミュージックとして若者たちに大いに受け入れられたのである。特にG・ラブのアルバムに参加したり、友人のサーファー仲間から認知されることで、サーフロックとして取り上げられることも増えた。
僕は個人的には年齢のせいもあって、サーフロックとは初期のビーチボーイズやジャン&ディーン、ディック・デイルなどの印象が強いので、ジョンソンの音楽がサーフロックと呼ばれることに違和感はあるのだが、これは仕方がないことだろう。今の若い人はかつてのサーフロックなんて知らないのだから…。

本作『オン・アンド・オン』について

本作がジョンソンの最高傑作かと言うと、それは違う。5thアルバム『トゥ・ザ・シー』(’10)や6thアルバム『フロム・ヒア・トゥ・ナウ・トゥ・ユー』(’13)のほうが曲作りも上手いし、演奏もまとまっているのは確かだ。しかし、彼の音楽の魅力はと言えば、個別の曲を味わうというより、アルバム全体を聴いてその皮膚感覚を楽しむようなところがあるので、そのへんを考えると、どのアルバムを選んでも間違いではないと思う。
オーガニック・ミュージックって家具みたいなものなのかもしれない。ある(聴く)だけで癒やされるという、新しいスタイルなのだ。ただ、本作には何と言ってもG・ラブに提供したジョンソン作の名曲中の名曲「ロデオ・クラウンズ」が収録されているので、僕としては絶対に外せないところ。
音楽的には前作とそう変化はない。繰り返すが、生楽器を中心に、サウンドはシンプルに、多重録音はできる限りしない、派手なエフェクターや電子楽器は極力使わない、という部分は同じである。しかし、G・ラブやベン・ハーパーからの影響は隠さず、いいものは取り入れている。例えば、ラップのような歌い回しを使ったり、レゲエ、ソウル、ブルースなどの音楽から、そのエッセンスを自作曲に反映させるなどの部分で、デビュー作に比べると音に厚みが出ているのは事実だろう。なお、本作はジョンソン自身が立ち上げたブラッシュファイア・レコードからの初リリースとなる。

本作以降の活動

この後、3rdアルバム『イン・ビトウィーン・ドリームス』(‘05)をリリース、オーストラリアやイギリスでは自身初の1位を獲得、アメリカでも2位になるなど、ますます人気に拍車がかかりツアー生活は激増することになった。自分を売るために家族と過ごす時間が減るのは、彼にとっては考えられないことだったようで、長期(ほぼ2年)の休暇に入ることを宣言し、2008年に『スリープ・スルー・ザ・スタティック』をリリースするまで、実際に家族とゆっくり過ごしたり、のんびりサーフィンをしていたそうだ…羨ましい。

著者:河崎直人

OKMusic編集部

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