大ブレイク前夜、U2のポジションを決
定付けた『WAR』

ロックの殿堂入りを果たし、その発言や新作のリリースが世界中から注目を集めているU2。本作がリリースされた4年後の1987年にリリースされたアルバム『ヨシュア・トゥリー』は全英、全米チャートの1位を獲得。グラミー賞の最優秀アルバム賞に輝くほどのメガヒットとなり、その後のバンドの躍進はご存知の通りだが、ジャケットが象徴しているようにU2のストイックでソリッドで尖ったロックが全面に押し出されたアルバム『WAR』は初期の彼らの大傑作だと今も思う。

 アイルランドのダブリンで結成されたU2のメンバーはボノ(Vo)、ジ・エッジ(Gu)、アダム・クレイトン(Ba)、ラリー・マレン・ジュニア(Dr)の4人。デビュー以来、不動のラインナップでスターダムに昇り詰めた。彼らとの出会いはテレビを通してだった。時代はMTV全盛の80年代前半。スターという名に相応しいアーティストたちのゴージャスで画期的なPVがたくさん作られていた。マイケル・ジャクソンの有名な「スリラー」が世界中を驚かせたのが1982年だから、当時を知らない人にも時代の空気は何となく伝わってくるだろう。そんな中、流れてきたのが『WAR』に収録されている曲「ニュー・イヤーズ・デイ」のPVだった。その映像は鋭利でクールなサウンドにハマりすぎな雪景色の中でU2のメンバーが演奏しているというもの。時代と逆行しているかのようにキラキラした空気は皆無。ピアノの旋律が印象的なこの曲で、エッジのギターはヘリのプロペラ音を思わせ、アダムは指先だけ出ている手袋をしてベースを弾いていた。歌詞は分からなかったが、ボノのヴォーカルは緊迫感と悲しさに満ちていた。無骨でそれでいて繊細な佇まいーー。早速、初来日の渋谷公会堂のチケットを購入して観に行くことにしたのだが、自然環境的にも厳しく、紛争もたえないアイルランドで生まれ育ち、血を流す戦いに問題定義をしていた彼らと単一民族で衝突に免疫がない日本のオーディエンスとの間には埋められないギャップがあったようである。雑誌で読んだと記憶しているが、日本公演が終わった後、笑顔で盛り上がるファンに「俺たちのメッセージが伝わらなかった」とU2はシリアスなミーティングに突入したそうである。確かに、あの時、彼らは腑に落ちない表情で歌い、演奏していた。英語がしゃべれない国民で単純に曲やサウンドにやられて観に来ているんだから仕方がないとも思うが、彼らにしてみれば原爆を落とされた国になんで俺たちの魂の叫びが届かないんだ!?と思ったのかもしれない。これは個人的な想像にすぎないし、真実はまったくもって分からない。だが、アルバム『WAR』を聴くと今だにあの日の出来事を思い出す。

アルバム『WAR』

 全編にわたり、真冬の空気に通じるようなピンと張り詰めた張感と内側に秘めた熱に貫かれているアルバム。シングルカットされた「ブラッディサンディ」は1972年に北アイルランドのカトリック系の人々が市民権を主張して行なったデモ行進をイギリス政府が武力で弾圧した「血の日曜日事件」を題材としたナンバーで、《僕らが飲み食いしている間にも何百万人もの人たちが泣いているんだ》という歌詞は、いつの時代に置き換えてもリアルに突き刺さる。核戦争について言及しているビートがひっぱっていくナンバー「セコンド」に続いて、寒々しくも切ないイントロだけで持っていかれる「ニュー・イヤーズ・デイ」。ポーランドの連帯の動きにインスパイアされたと言われているこの曲は今、聴いてもボノの切実なヴォーカルを始め、カッティングだけで情景を雄弁に物語るエッジのギター、それを支えるアダムのクールなベースのフレーズ、ストイックなラリーのドラミングのバンドアンサンブルが鳥肌モノだ。バンドのひたむきさと熱さがダイレクトに伝わってくる「ライク・ア・ソング」も当時のU2のアティテュードを物語る。ボノのシャウト気味のヴォーカル、力強いドラムが強い意志を感じさせ、「俺たちは音楽で世界を変えるんだ!」と言わんばかりの気迫に満ちたアルバムに仕上がっている。サビの開けたメロディーと躍動する演奏が印象的な「トゥー・ハーツ・ビート・アズ・ワン」も人気のナンバー。ボノは本作について「攻撃的なアルバムではない。ポジティブな音楽なんだ」と語っているが、楽観的なポジティブとは違う。闘い、掴み取っていこうとする凛とした意志がここにはある。アルバムのジャケットの少年の瞳のごとく、だ。

著者:山本弘子

OKMusic編集部

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