デイブ・メイスンが絶頂期にリリース
した大人気アルバム『流れるままに』

デイブ・メイスンは、この項で紹介したこともあるスティービー・ウインウッド率いるトラフィックのオリジナルメンバーのひとり。メイスンはトラフィック最初の大ヒット「ホール・イン・マイ・シュー」の作者というだけでなく、ロックを代表する名曲「フィーリン・オールライト」を書いたことでも知られる。メイスンはエリック・クラプトンやザ・ローリング・ストーンズよりも前に、アメリカ南部のロックに惹かれ、トラフィックを脱退後、すぐにアメリカに渡っている。そこでデラニー&ボニーのツアーに参加、1970年には初のソロアルバム『アローン・トゥゲザー』をリリースする。この作品は、クラプトンやジョージ・ハリスンに大きな影響を与え『バングラディシュのコンサート』やデレク&ザ・ドミノスを生み出すきっかけとなったのである。今回、紹介するのはアメリカで大成功したメイスンが絶頂期にリリースした『流れるままに(原題:Let It Flow)』だ。なぜか現在の日本では過小評価気味のメイスンであるが、70年代の彼のアルバムはどれも傑作なので、聴いたことのない人はぜひ聴いてみてほしい。

ポップすぎてクビに…

69年にトラフィックがリリースしたシングル「ホール・イン・マイ・シュー」は全英2位の大ヒットとなり、この曲の作者であるデイブ・メイスンは脚光を浴びる。この後もトラフィック時代に録音した「フィーリン・オールライト」(フリーの曲とは同名異曲)が多くのアーティストにカバーされ、メイスンはソングライターとして知られるようになるのだが、トラフィックの他のメンバーからは「ロックバンドなのに、メイスンの曲はポップすぎる」とクレームがつき、結局グループをクビになってしまう。そもそもメイスンはウインウッドと折り合いが悪く、喧嘩が絶えなかっただけに脱退は時間の問題だと思われていたのだが、ポップすぎてクビというのは、硬派のロックミュージシャンならではのエピソードだろう。

スワンプロックの流行

60年代から70年代初頭にかけて、当時のブリティッシュロック勢は、ブルースやジャズに大きな影響を受けていただけに、アメリカのミュージシャンたちのことをよく調べていた。中でも、ソウルフルでカントリーテイストもある南部風のロックをやっていたデラニー&ボニーや、サザンロックの先駆者として知られるオールマン・ブラザーズには大きな注目が集まっていて、メイスンは迷わずアメリカ行きを決めた。1969年のことである。渡米したメイスンはデラニー&ボニーのツアーメンバーとなり、そのメンバーをバックに初のソロアルバム『アローン・トゥゲザー』(‘70)をリリースする。
当時、僕が中学生の頃、日本でもこのアルバムは話題になっていたので買った。余談だが、地味なロックにもかかわらず、なぜか変形ジャケット(今で言えば飛び出す絵本のような感じかな)で、遊んでるうちにアッと言う間に傷んでしまった悲しい記憶がある。フェイセズの『ウー・ラ・ラ』(‘73)、レッド・ツェッペリンの『III』(’70)、ストーンズの『スティッキー・フィンガーズ』(‘71)など、当時は変形ジャケットが多くて、どれも良かった♪
『アローン・トゥゲザー』はブルースやカントリーをミックスしたスワンプロックと言われるスタイルで、この盤以降、ブリティッシュロック界はスワンプロックが大流行する。ジョー・コッカー、ストーンズ、ジョージ・ハリスン、クラプトン(スワンプがしたくて当時組んでいたブライド・フェイスを解散したぐらい)など、多くの英ミュージシャンがスワンプロックの虜になっていく。

デイブ・メイスンのハイレベルの作品群

『アローン・トゥゲザー』のあともメイスンは優れた作品をリリースしている。特に3作目(途中、ママス&パパスのキャス・エリオットとデュオ作があるが)のライヴ盤『デイブ・メイスン・イズ・アライブ』(‘73)は名作だと思う。しかし、残念なことに現在本CDは入手困難で高値がついている。
西海岸で活動していたメイスンに転機が訪れるのは73年のこと。当時、イーグルス、ポコ、CSN&Y、ロギンス&メッシーナ、ドゥービー・ブラザーズなどに代表されるウエストコーストロックに人気が集まってきていて、スワンプロックから泥臭さを抜いた西海岸独特の爽やかなサウンドが売りであった。メイスンはここにきて、自分の目指していた音楽を“発見”したのである。
メイスンの音楽は決してウエストコーストロックの本流ではないが、彼に向いていた音楽であったことは間違いない。この年、アメリカで最初に契約したブルーサム・レコードからコロンビア・レコードに移籍、4thアルバム『It’s Like You Never Left』(‘73)をリリースする。本作は彼の骨太の力強いヴォーカルとフォーキーで温かいサウンドが特徴で、彼が自分のサウンドを創り上げた最初の記念碑的なアルバムとなった。ジョージ・ハリスンやスティービー・ワンダーなどがゲスト参加し、彼の代表曲である「Every Woman」(初演)が収録されている。
こから70年後半まで、まさに名盤ばかりをリリースするメイスンの絶頂期にあたる時期だ。続く5thアルバム『デイブ・メイスン』(‘74)は、代表曲「Every Woman」(再演)、ボブ・ディランの「見張り塔からずっと(原題:All Along The Watchtower)」などが収録された彼の最高傑作となった。ただ、この作品も今のところCDは入手困難である。6thアルバム『スプリット・ココナッツ』(’75)では黒人ベーシストのジェラルド・ジョンソンを迎え、黒っぽいファンキーなグルーブ感をプラスし、新たなメイスン・サウンドを生み出している。もちろん、このアルバムにも名曲は多い。7thアルバム『ライブ〜情念(原題:Certified Live)』(‘76)は2枚組で、圧倒的なパワーとテクニックで押しまくる凄い作品だ。トラフィック時代の名曲「フィーリン・オールライト」「ギミ・サム・ラヴィン」をはじめ、イーグルスの「テイク・イット・トゥ・ザ・リミット」、ディランの「見張り塔からずっと」、メイスンの代表曲「エブリ・ウーマン」「オンリー・ユー・ノー・アンド・アイ・ノー」などが収録され、初めて聴く人でも満足度は高いと思う。

本作『流れるままに』について

そして、77年に本作『流れるままに』がリリースされる。この作品はメイスンのアルバム中、もっともセールス的に成功し、タイトル曲「Let It Flow」と「We Just Disagree」が大ヒットしている。バックのメンバーは、キーボード:マイク・フィニガン、ベース:ジェラルド・ジョンソン、ギター:ジム・クルーガー、ドラム:リック・イエーガーという面々で、デイブ・メイスンのグループでは最高のチームである。あまり知られてはいないが、メイスンのバックバンド(メロンズ)はTOTO級のテクニシャン揃い。特にジム・クルーガーとマイク・フィニガンはソロアーティストとしても大活躍していて、それだけに本作のヴォーカルも演奏もロック界で最高のレベルだ。ゲスト参加のスティーブ・スティルスとアーニー・ワッツも、素晴らしいパフォーマンスを聴かせる。
サウンドはと言うと、ウエストコーストロックっぽい部分もあるが、ヴォーカルは味わい深いし、熱いロックフィールのあるリードギター(巧いのはジム・クルーガーで味わい深いのはメイスン)にはロック本来の持つ荒々しい魅力がある。収録曲はどれも、適度にポップで適度にロックしている。何よりメロディーの美しい曲が多く、メイスンの優れたメロディーメーカーぶりには感心するばかりだ。

最後に

なぜか、デイブ・メイスンは日本では忘れられた存在になっているのだが、僕はもっともっと評価すべきだと思う。特に、入手困難ゆえに名盤として取り上げるのを断念した4作目の『デイブ・メイスン』は大名盤なので、一刻も早く復刻してもらいたい。ソニーさん、そろそろ廉価盤で再リリースしませんか?

著者:河崎直人

OKMusic編集部

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