スライ・アンド・ザ・ファミリー・ス
トーン、黒人のためのファンクをロッ
クにシフトさせた傑作『暴動』

ファンクを創り上げたのはジェームズ・ブラウン(以下、JB)。このことには誰も異論はないだろう。ただ、JBのファンクはあくまでも黒人に向けられた音楽であり、70年代初頭にそのグルーブが理解できた黒人以外のリスナーやミュージシャンは少なかった。アメリカ南部と比べると、人種差別的な扱いがマシだった西海岸で青少年期を過ごしたスライ・ストーンは、ロック好きの若者であったがゆえに、黒人のためだけに発信されるJBの排他的ファンクを、誰もが楽しめるファンクへと昇華させることができた。本作はロックンロールが生まれた経緯と同じような意味で、黒人音楽の分岐点とも言えるサウンドを持っている。この作品がなければ、スティーヴィー・ワンダーやプリンス、マイケル・ジャクソン、そしてソニック・ユースも、まったく違う音楽をやっていただろう…それぐらいインパクトのある画期的なアルバムが『暴動(原題:There's a Riot Goin' On)』である。

フラワー・チルドレンの時代

60年代、アメリカでは黒人による公民権運動が全米を揺るがすほどの大きなムーブメントになっていた。運動の指導者であったキング牧師が68年に暗殺された後は、大小の黒人過激派が組織され、単なる社会現象にとどまらず、音楽業界もその影響を大きく受けた。特に黒人ミュージシャンの生み出す音楽は、白人を糾弾するものも少なくなかった時代である。ファンク音楽の創始者であるJBは68年に「Say it Loud - I'm Black and I'm Proud」(声高に叫べ ー 私は誇り高い黒人だ)を大ヒットさせるなど、かなり過激に攻めている。地域によっても違うが、当時の黒人と白人の間には何かしらの溝があったのは確かだ。

※アフリカ系アメリカ人公民権運動:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%E7%B3%BB%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E4%BA%BA%E5%85%AC%E6%B0%91%E6%A8%A9%E9%81%8B%E5%8B%95
と言いつつも、広大な面積を持つアメリカだけに、南部とは違ってロスサンジェルスやサンフランシスコといった西海岸では、ヒッピー文化が花開いており、白人とか黒人とかアジア人も含めて“人類皆兄弟”的なムーブメントが一気に広がっていたのだから不思議なものである。今でも普通に使われているピース・マークは、この時に世界中に広がっている。彼らの思想は「反戦」「非暴力」を中心としていたために、ドラッグは蔓延したものの人種差別は少なかった。この時代のヒッピーたちは、フラワー・チルドレン(チャイルド)と呼ばれていた。

※ヒッピー文化:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC
※フラワー・チルドレン(チャイルド):
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%89
この頃、ヒッピーたちが好んで聴いていた音楽がクイックシルバー・メッセンジャー・サービス、モビー・グレイプ、グレイトフル・デッド、スティーブ・ミラー・バンド、イッツ・ア・ビューティフル・デイなどで、それらは日本でもかなりの人気だった。どのグループも当時は必ず日本盤がリリースされていたものである。かく言う僕も、中学に入学した頃はこれらのグループのアルバムを買い続けていた。

スライ・ストーンの立ち位置

スライは青少年期を西海岸で暮らし、フラワー・チルドレンの考え方に共鳴していて、正規の音楽教育も受けていた。それだけに、自身のグループは黒白混合でバンド名もファミリー・ストーンとつけた。「おれたちは人種を問わずみんな家族なんだ」という定義は、JBの精神“声高に叫べ ー 私は誇り高い黒人だ”とは真逆のスタンスを持っていたと言えるだろう。もちろんJBの生み出したファンクは、踊るのにも良いし、技術的にも非常に優れていたから、スライはJBの音楽を自分なりに昇華しようと試みる。『暴動の』ひとつ前の、69年にリリースしたアルバム『スタンド!』には「Don’t Call Me Nigger, Whitey」(おれを黒んぼと呼ぶな白んぼ)という面白いタイトルの曲が収録されている。この部分だけを取り上げると、JBと同じではないかと思うかもしれないが、曲を聴くとこのフレーズの後には《Don't Call Me Whitey, Nigger》(おれを白んぼと呼ぶな黒んぼ)が続くのだ。これを見ても「おれはJBとは違うぜ」という主張が込められているのが分かるのだ。

1970年初頭にリリースされたシングル「
サンキュー」の衝撃

『スタンド!』は実に300万枚を売り上げ、スライ・ストーンの名は黒人音楽ファンだけでなく、ロック好きの若者など、全米にその存在が知れ渡ることになる。シングルヒットが生まれたためにセールス面では良かったが、アルバムの仕上がりとしては中の中ぐらいの出来であったと個人的には思う。それは音楽的に新しいことがあまりなかったこともあるが、アルバムとしてのまとまり(1曲ずつダウンロードする今の若い人たちには、アルバムとしてのまとまりなんて関係のないことかもしれないが…)はあまり感じられなかった。
スライの天才が開花するのは、このアルバムの後にシングルでリリースした「サンキュー」(1970年初頭)という曲だ。この曲こそスライの考えるファンクが完璧に表現されていると言えるだろう。ただ、この曲はオリジナル・アルバムには収録されず『スタンド!』と『暴動』の間にリリースされた『グレーテストヒッツ』というベスト盤のみに収録されている。この曲がもし『暴動』に入っているとしたら、このアルバムの評価はもっともっとすごいことになっていただろうと想像するのだが、事実は変えられないのでもう言わない。
「サンキュー」は現在のファンクの原型というか、現在進行形のファンクとほぼ同じ姿である。40年以上も前に、完成されたファンクが創られていたという事実に驚愕するしかないのだが、凡人にはタイムマシンにでも乗らない限りムリだろう。当時の黒人音楽(R&Bやソウル)の主流はグループではなく、リードシンガー+バックバンドという構成(JBにしてもオーティス・レディングやアレサ・フランクリンにしても)がほとんどであったが、前述したようにスライは自分のグループを“家族”という扱いにしていたため、演奏も指示するのではなく、多くのロックグループのように、曲作りやアレンジ、演奏面でも相談して決めるという手法であったようだ。
「サンキュー」で特筆すべきは、ファミリー・ストーンのベース奏者ラリー・グレアムだ。今でこそベースでのスラップ奏法(昔はチョッパー奏法と呼んでいた…懐かしい)はよく見かけるが、この奏法を編み出した人物こそ、ラリー・グレアムなのだ。彼はのちのインタビューで「若い頃にやっていたバンドで、急にドラムが抜けてしまい、ベースでドラムの音も出さなければいけない羽目になってしまったからスラップを考えたのさ」と語っていたが、それがのちに奏法として定着するのだから、不思議なものである。

『暴動』の先進性

「サンキュー」は数々のヒットチャートで1位に輝き、スライの人気は不動のものになった。ライヴやフェスに駆り出されることが増え、その疲労を癒すためか彼はドラッグに溺れていくのだが、そのせいで生活が荒れメンバーにも“家族”どころか酷い仕打ちをすることや自身の奇行が多くなっていく。こういった私生活のトラブルもあって、グレーテストヒッツを間にはさみ、前作『スタンド!』から2年半後にようやく『暴動』がリリースされる。レコーディング時、スライの精神状態はドラッグで最悪となり、ファミリー・ストーンのメンバーはスライと一緒にスタジオに入ることすら拒むようになり、多重録音でしのいだという事実があるが、実はこれが本作の名盤たる所以のひとつでもあるのだから人生は分からない…。
スライは他のメンバーに無視され(たかどうかは不明だが、一緒にスタジオに入るのは拒否されたのは事実)、ひとりでリズムボックスを使用したり、多重録音でアルバムを仕上げていく。これが80年代のヒップホップやローファイの原型となったことのだが、『暴動』におけるチープなサウンドは、実は狙いというよりは当時の技術が未熟であっただけのことなのである。しかし、チープな音作りがそれら80年代以降のサウンドの核となったのは、間違いなく本作の先進性と独創性があったからだし、スライ・ストーンというミュージシャンへのリスペクトという意味もあっただろうと思う。ファンクという音楽を考える上で、JBのほかにパーラメントとファンカデリック(どちらもジョージ・クリントンがリーダー)というふたつのグループを外しては語れないが、彼らの初期の音楽性は明らかに『暴動』を研究することからスタートしている。このことからもスライの表現方法がいかに新しかったかを知るひとつのエピソードだと思う。

※ローファイ:
https://ja.wikipedia.org/wiki/Lo-Fi

ロックとしてのファンク

スライ・ストーンは黒人でありながら、ロッカーとしてのスタンスで自分の音楽を作り上げた。その手法はジミ・ヘンドリックスや後に活躍するプリンスなどにも見られる性質だ。しかし、スライの優れた才能は、ジミヘンにもプリンスにもできなかった、黒人音楽としてのファンクを普遍的な音楽スタイルとして完成させたところにあると僕は考える。ロックとしてのファンク、とでも言うべきかもしれない。そのスタイルが確立された作品こそこの『暴動』というアルバムなのである。
スライの意志はプリンス、マイケル・ジャクソン、スティーヴィー・ワンダー、タワー・オブ・パワーだけでなく、ベック、ソニック・ユース、ナイン・インチ・ネイルズ、ラッパーやオルタナティヴ・ロックのミュージシャンにまで及んでいる。
長いロックの歴史にあっても、『暴動』のように長い期間影響を及ぼす作品はそう多くない。チャンスがあれば、ぜひアルバムとして聴いてほしい。あ、ダウンロードするなら「サンキュー」もぜひ!!

著者:河崎直人

OKMusic編集部

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