“ドクター・ジャズ”こと
知性派ベン・シドランが作り上げた
メロウグルーブの傑作
『フィール・ユア・グルーブ』
※リピューマのことを紹介するには別項設けて前編・中編・後編ぐらいに分けるぐらいしないと字数が足りないはずなので、ぜひ検索して偉大な経歴の一端に触れてほしい。
#Tommy_LiPuma #トミーリピューマ
Dr.JazzことBen Sidran
ただ、少しユニークなのはアマチュア時代、そしてスティーブ・ミラー・バンドでミラーやボズ・スキャッグスと活動を共にしたのに加え、1966年に渡英した(博士号を取得するためサセックス大学に入学)際、現地のロック系ミュージシャンと交流を持つのだ。既にプロ級のプレイヤーだったとはいえ、まだ名前も知られていなかったはずの米国人留学生のシドランが、どうやって彼らと知り合うことができたのか分からないのだが、セッションをした面々にハンブル・パイ時代のピーター・フランプトン、ローリング・ストーンズ、そしてエリック・クラプトン…といった名前が並ぶのだ。一説にはスティーブ・ミラーと英オリンピック・スタジオのプロデューサー、グリン・ジョーンズが知り合いで、ミラーの口利きがあったと言われている。ジョーンズはストーンズやトラフィック、スモール・フェイセスなどのプロデュースをつとめた人物で、近年話題になったビートルズのドキュメンタリー『Let It Be』、『ゲット・バック・セッション』の中で当時プロデューサーをつとめていたことでも知られている。
とりあえず経歴に話を戻すと、無事に博士号を取得すると、シドランは米国に戻り、スティーブ・ミラーのバンドに合流する。そして、『Brave New World』『Your Saving Grace』(共に’69)『Number 5』(‘70)『Recall the Beginning...A Journey from Eden』(‘72)といったアルバムでキーボードを担当するのだが、この間にソロデビュー作『Feel Your Groove』(‘71)が制作されるのだ。
アルバムがメジャー・レーベル、キャピトルから出る、というのも当時から彼に対する業界の評価の高さを表しているかもしれない。レコーディングセッションに、米国側からジム・ケルトナー(ドラムス)、ジェシ・エド・デイヴィス、ボズ・スキャッグス、ニック・デカロ、珍しいところでミミ・ファリーニャ(ジョーン・バエズの妹)がコーラスで参加するなど、今考えるとものすごい面子である。ジェシ・エド・デイヴィスの客演は、ほぼ同時期、シドランがジェシ・エドのソロ作「Jesse Davis」(Atco, 1970)に参加していて、お互いのアルバムに協力参加したという形だ。
また、シドランは元バーズのジーン・クラークの名盤「White Light(A&M, 1971)」にも参加しているが、ジェシ・エドもそのアルバムでギターを弾いている。あと、ジャズ界からブルー・ミッチェル(トランペット)が参加し、随所でいいプレイを聴かせてくれる。一方、先の英国時代の交流からチャーリー・ワッツ(ローリングストーンズ)、ピーター・フランプトンが参加している(1曲のみ「The Blues in England」で、アルバムの中では微妙に浮いた曲ではあるのだが、交互に弾くフランプトンとシドランのソロは聞きもの)。
経歴ついでにもう少し足しておくと、この自身のソロ作が制作されている頃、ロック系だけでなく、フィル・アップチャーチの「Darkness, Darkness 」(Blue Thumb, 1972)やリッチー・コールらジャズ系アーティストのアルバムへの参加もあり、この時期から早くもシドランが売れっ子セッションマンだったことが窺える。同時に、先に書いた彼のもうひとつの側面というべき、作家活動もすでにスタートしていたらしく、このソロ作『Feel Your Groove』のジャケット裏には、著作『Black Talk』の画像があり、さりげなく宣伝されている。アメリカにおける黒人音楽の社会性について書かれた同書は今日でも絶版になることなく、大学の講義に使われたりする機会もあるらしい。