ポピュラー界のトップに君臨するマド
ンナの『ライク・ア・ヴァージン』

この2月に10年振りの来日公演が予定されているマドンナ。彼女は利用できる全てのメディアを駆使することで、虚像としての「マドンナ」を演じるだけでなく、アルバムをリリースする度に新たなキャラクターを創出し変貌し続けてきた。類い稀な才能で、世界のポピュラー界を常にリードしてきたその天才は、2013年のビルボード誌に掲載された『Hot100:Top100』で、ビートルズに次ぐ2位を獲得していることからも証明されている(ちなみに3位はエルトン・ジョン、4位はエルビス・プレスリー)。今回は、彼女の長いキャリアの中にあってもっとも初期の、しかしながら世界のトップスターの仲間入りを果たしたメガヒット・アルバム『ライク・ア・ヴァージン』を紹介する。

それまでとはまったく異質な80年代のロ
ック

1970年代中期、パンクロックやAORの台頭で、ロックのリスナーが幅広い年齢層に広がっていることが認知されるようになった。その後、80年代に入るまでの数年間はフュージョン(クロスオーバー)やニューウェイヴが登場してきたものの、そう大きな変化はなかったと言える。その停滞した空気を一掃するかのように、70年代の終わりから80年代の初めに入ると、電子機器の急激な進歩もあって、それまでには考えられなかったような音楽が次々と生み出されることになった。
例えば、ヒップホップ文化の中で生まれたラップ(シュガーヒル・ギャングの「ラッパーズ・デライト」)、エレクトロポップ(バグルスの「ラジオ・スターの悲劇」)、テクノ(イエロー・マジック・オーケストラの「ライディーン」)、ニューロマンティック(ウルトラ・ヴォックス「ヴィエナ」)、エスノロック(トーキング・ヘッズ「ボーン・アンダー・ザ・パンチズ」)など、その多くがシンセサイザーやドラムマシンを使った“打ち込み”や“サンプリング”によるサウンド作りが特徴である。故デヴィッド・ボウイ、スティーブ・ウインウッド、ピーター・ゲイブリエルら、70年代に活躍したロッカーたちも新しい流れに乗り遅れまいと、それらの新しい機器や音楽を取り入れながら、新たな自分の音楽を構築していた時代である。ミュージシャンたちの多くが、アナログ録音とデジタル録音の狭間にあって、転換期をどう乗り越えるか、正念場を迎えていたと言えよう。

MTVのスタート

そして、80年代初頭における音楽業界最大の変革と言えば、今では存在が当たり前になっているが、ミュージックビデオを1日中流すMTVが81年にアメリカで始まったことだ。MTVは放送開始以降現在まで、もっとも影響力を持つメディアとして世界中で広まっていく。その力を最大限に発揮したのは、83年にリリースされたマイケル・ジャクソンの「スリラー」である。カルチャー・クラブやデュラン・デュランも、ビデオ戦略によって第2期ブリティッシュ・インベイジョン(1)と言われるほどの大きな成果を上げてはいたが、当然音楽が主体で、映像は従属するものであった。それに比べて「スリラー」は、映画的な手法(映画監督を起用した)で制作されていただけに、それまでのミュージックビデオとは一線を画する出来栄えであったし、これが大ヒットしたことで、これ以降ミュージックビデオは格段に進化することになる。音楽と映像、両者の相乗効果によって、アルバム『スリラー』の売上げは全世界で1億枚を突破していて、そのギネス記録は未だに破られていない。

マドンナの戦略

さて、70年代の中頃からニューヨークでダンサーとして活躍していたマドンナが、音楽シーンへと転身しようと考えたのはなぜか…。その理由のひとつは、音楽業界のシステムが新しく移り変わろうとしていた時期であることを察知した上で、このシステムなら自分の表現が可能になると考えたと思われる。
デビュー盤の『バーニング・アップ』(’83)は、当時の自分の土俵であるダンスクラブ客に向けて発信するつもりだったはずだが、予想に反してというか、思った以上に売れた。現在40代半ば以上の人ならご存知のはずだが、当時深夜に放送されていたMTV(番組名は失念)でも本盤からのシングル曲が何度もオンエアされていたことを覚えているのではないだろうか。
ただ、まだこの頃のミュージックビデオに対するマドンナのアプローチは、他のアーティストとそう変わるものではなかった。彼女のオリジナリティーが発揮されるのは、マイケル・ジャクソンの革命的な「スリラー」が登場し、ミュージックビデオの考え方自体が大きく変わるようになってからである。

本作でのキャラクターがヒット

デビューアルバムが世界中で1000万枚以上売れたことで、マドンナの発言力はかなり認められ、2ndアルバムである本作では、彼女の戦略がかなり具体的に取り入れられるようになった。サウンド面ではプロデューサーにシックのナイル・ロジャースを迎えている。彼はデビッド・ボウイのメガヒット盤『レッツ・ダンス』(’83)のプロデュースでその名を全世界に轟かせ、マドンナ自身そのサウンドプロデュースに魅せられていただけに、ナイルの起用はまさに打って付けであった。
また、当時急激な進化を遂げていた最新のデジタル機器を導入することで、最先端の音楽を提供することが可能となった。加えて、シングルカットされた「ライク・ア・ヴァージン」のミュージックビデオでは“セックス・シンボル”としてのキャラクターを演出し、そのイメージを視聴者に植え付けることで、前作を軽く上回る結果を残すことになる。

黒っぽいサウンドが特徴

本作がリリースされた84年は、80年代初頭に爆発的な人気があったニューロマンティックス(2)やファンカラティーナ(3)のブームが色褪せてきた頃だけに、アルバムの特徴でもある“黒人っぽいソウルやファンクの感覚をベースに、ニューウェイブやテクノなど様々な音楽の要素を巧みに組み合わせたダンサブルなポップス”は、時代をリードする最も新しいサウンドであった。
同時代のアーティストで言えば、シンディ・ローパー、マイケル・ジャクソン、プリンスらと並ぶほどの個性をマドンナは持っていたし、他のヒットメーカーと比べると確実に頭ひとつ抜けていた。実際、本作は全世界で2000万枚を超える売上げを達成し、マドンナの世界的スーパースターとしての躍進は、ここからスタートするのである。
面白いのは、この時代の特性として、プリンスのように黒人でありながらロックミュージシャンとして活動したり、マイケル・ジャクソンのように黒人でありながらポップスを目指したりというように、これまでにはなかったスタンスを持つミュージシャンが増えたことが挙げられるが、マドンナもまた、白人でありながらもソウルやファンクをベースにした黒っぽい作風であった。話は少しそれるかもしれないが、この辺の傾向を見ていると、70年代中期のパンクロックの登場によって、既成の音楽概念みたいなものが壊されたことは間違いないだろう。

『ライク・ア・ヴァージン』の収録曲

デビューアルバムではマドンナ自身のペンになる曲が8曲中5曲あり、彼女の並はずれたソングライティングのセンスにも注目が集まったが、彼女のプロデューサー的視点からすると見直すべき課題だったようで、本作では歌詞部分での参加のみを重点に置いた結果となっている。確かに、大ヒットした「ライク・ア・ヴァージン」も「マテリアル・ガール」もプロのソングライターチームの手によるものだ。
アルバムにはデジタルシンセと打ち込みが中心のダンサブルなナンバー(「マテリアル・ガール」「プリテンダー」「ステイ」「ライク・ア・ヴァージン」)と、ニューウェイヴ感覚のあるエレクトロポップ(「エンジェル」「オーヴァー・アンド・オーヴァー」「ドレス・ユー・アップ」「シュー・ビ・ドゥ」)、そしてバラードナンバー(「愛は色褪せて」)これら3パターンの楽曲が収録されている。曲の配置や重厚なアレンジなど、どこをとってもアルバムの完成度は高く、ナイル・ロジャースとマドンナという両者の稀有な才能の交わりが窺える仕上がりとなっている。楽曲としての白眉はやはり「ライク・ア・ヴァージン」と「マテリアル・ガール」の2曲だろう。

デビューから現在に至るまで、カリスマ
として君臨する

さて、何と言っても本作に注目が集まった最も大きな要因は、シングル「ライク・ア・バージン」とそのビデオクリップの成功であることは間違いないが、彼女のファッションやセックス・シンボルとしての言動に、カリスマとしての圧倒的な存在感があったことも大きい。
この後、次作の『トゥルー・ブルー』(’86)が全米のみならず、イギリス、フランス、ドイツ、カナダなどでもチャート1位を獲得するなど、現在に至るまでの30年以上にわたって、歌手としてだけでなく、女優やデザイナーなどさまざまな分野で活躍し、継続して大きな評価を受け続けている。マドンナが世界最高のミュージシャンのひとりであることは疑いのない事実である。

著者:河崎直人

OKMusic編集部

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