唯一無比なブルースを奏で続けたB.B
.Kingの名作ライヴ『Live In Japan』

 まだ悲報に接してから日がたたないうちに書いている。5月15日、B.B Kingが亡くなった。ネット上のニュースはもちろん、テレビや新聞紙上にも結構大きなスペースを割いて報じられていたから、目にされた方も多いと思う。89歳というから同時期に活躍したブルースマンの中では長寿だったのだが、それでも亡くなったと知ると、寂しさがつのってくる。まさに巨星墜つ、である。亡くなった日から数日間、音楽関係者の多いSNS上での、彼の死を悼む書き込みの多さにも驚かされた。中でもエリック・クラプトンが沈痛な面持ちでコメントを寄せているのを動画サイトで観たが、ショックの大きさが伝わってきた。師弟関係であり、ふたりで『Riding With The King』(2000)という見事な競演作も残しているだけに、なおさら損失感も大きいだろう。B.B King亡きあと、ブルースの巨人と呼べるのは、あと何人残っていることだろうか。追悼をと思い、棚から彼の代表作『Live At The Regal』('64)を引っ張り出してきて、部屋に流している。こうした悲しい知らせでもなければ、まだ当分は棚に仕舞われたままだろう。残念だが、名盤を残してくれたことに改めて感謝したい。Rest in peace B.B King。

 昨秋、ツアー中に持病の糖尿病を悪化させ、ラスヴェガスの病院に入院していたのだそうだ。回復の見込みがなく、今月になって自宅でのホスピスケアに切り替えて…というところで容体が急変したらしい。60歳以上のアーティストに何が起こっても不思議じゃないというか、B.B King(以降BB)ほどになると“遠からず…”という心の準備、予感めいたものは常に感じてはいたが、ついに、という感じだ。それでも、最近まで元気な姿を目にしていたものだから、いきなり飛び込んできた訃報にはまさに“急逝”といった感じを受けた方も多かっただろう。

名盤『Live At The Regal』よりも熱く
弾くキングがいる、初来日公演を記録し
た『Live In Japan』

 長い経歴の中で、BBは公式には何枚のアルバムをリリースしているのだろうか。その中でも彼の代表作として多くのファンが選ぶのが、『Live At The Regal』('64)である。BBを知るには外せないアルバムと言われている。全10曲で35分にも満たないヴォリュームは、現在CDで70分以上収録というのが当たり前の時代にあっては少々物足りなく感じるのではないだろうか。オリジナル盤がリリースされた当時はLPだったわけで、それで35分というのはまあ納得できるのだが、ひたすら熱いこのライヴの快感にハマってしまうと、もっと、もっとと欲求が高まってしまうのは私だけではないはずだ。音源は他にもあるのではないだろうか。この機会に、と言うと不謹慎かもしれないが、できればデラックス・エディション盤とか、1ステージ丸ごと収録というセットなど発売してくれたらと願うのだが。
 とは言いながらも、このアルバムが録音された60年代半ばと言えば、ロック勢ではビートルズやローリング・ストーンズ、ボブ・ディランもデビューしているわけだが、彼らでさえライヴでは単独というのは珍しく、複数のバンドやシンガーとのパッケージショーというかたちが多かったとも聞く。1バンドあたり、長くても半時間もあったような、なかったような…と聞くと、ひとつのショーを丸ごとと言っても、案外このくらいの長さだったのかもしれない。…と、最初は『Live At The Regal』を紹介するつもりだったのだが、これからBBを聴いてみようと思う方には、同じライヴアルバムでも嬉しいことに1971年の初来日公演を記録した『Live In Japan』('99)をおすすめしよう。これは、ブルースなんて聴いたこともなさそうな東洋の島国に、ブルースを伝えてやろうと気合い十分のBBの意気込みが伝わってくる好盤だ。かつては2枚組LPでリリースされ、1999年にCD盤としてリイシューされると、その内容の良さに海外からも反響があったものだ。
 1曲目の「Every Day I have the Blues」はBBのライヴではオープニングを飾る曲としてお馴染みだろうか。初めて買った『Live At The Regal』('64)でも冒頭にこの曲が据えられている。これを聴いた私は、正直言って面食らったのだ。雰囲気がよく分からなかったというか、あまりブルースらしくないというか...。ファンキーなのだが、どちらかというとソウル風? 一番の要因はB.B.Kingの歌いっぷりだろうか。とてもソウルフルで熱い。素晴らしいのだ。歌い終わると、お待ちかねのギターソロ。と期待したところが、サラーッと弾いてすぐ終わってしまう。なんだ、もっと弾いてくれないのかと拍子抜けだったのだ。
 クラプトンやオールマン・ブラザーズ・バンドなんかの影響だろう。高校生だった若造にはブルースはやはりギターという妙な固定観念があり、それもスタジオ作ではなくライヴなのだから、盛大にたっぷり長くソロを決めてくれるものだと期待していたのだ。それがあっさり裏切られ、歌の合間に入るギターソロはアルバム全体の割合からすると決して長いとは言えない。どちらかと言うと、ギターより“歌”がメイン。本作以外のBBのアルバムというのは、おおむねそうではないだろうか。今ではそんなこと当たり前のことで、クラプトンがクリーム時代に延々とギターソロを弾き倒していることなんて(それはそれでスゴいが)、未熟の極みと言えるものなのだが、初めて『Live At The Regal』でBBを初体験した時は、出し惜しみしているようで、なんか物足りなかったのだ。ギターの音色もまるで歪むことなく、実に美しいクリーントーン。白人のロック勢のギターは全て歪んでいるじゃないか。そんなところも、何だか大人しすぎて迫力に欠けると思ってしまったのだから、若い、無知というのは何とも罪深いものだ。今となれば、そんなふうに感じてしまった浅はかさを恥じてしまう。
 残された数々のアルバム、そして追悼の意味でSNSのタイムラインにアップされ続けている動画の数々、それも比較的近年のものを見ても、ギターのトーンは陶酔感を誘うほど、実に美しい。余計な言葉などいらない、このトーンだけで女性はメロメロにされてしまうだろうと、そんなふうに思わせるものだ。そしてまた、音数の少なさは特筆すべきものだろう。まさに一音入魂と呼べそうな、無駄なものを一切省いたソロが伝えてくる説得力は、枯淡の領域に達したBBなればこそのものと言えそうだ。冒頭で書いたクラプトンとの共演盤『Riding With The King』では、それでも御大としては異例なくらいたっぷりギターを弾いている。クラプトンとの共演だからギターを聴かせるという狙いもあってのことだったのだろう。両者のギターを聴き比べられるという点で、このアルバムはとても面白いアルバムと言える。BBはまさに入魂ギターの趣で、もはや芸術の領域に踏み込んでいるような素晴らしさだ。対するクラプトンも根性の入ったソロを弾いている。彼とて今や熟達の極みに達し、並ぶ者のない頂上に立つギタリストだが、BBと比べるとやはり雄弁すぎるというべきか。ギターもクラプトンはFender社のストラトキャスターで挑んでおり、エッジの効いたやはりロックを感じさせる音色だ。
 専門的なことは分からないが、BBが手にするギターはGIBSON社のもので、ブラックカラーのLucille(ルシール)と命名された特注のシグネイチャーモデルである。20代とおぼしき初期の頃にはGIBSONのL-30というモデル(ボディにB.B Kingの名やゴチャゴチャとペイントしている)を手にしているのを写真で確認できるが、他にはLucille以外のギター、特にFender社のものなどを弾いているのを見たことがない。もっとも、このモデル自体はかなりモデルチェンジを施されてきたものらしい。形状は一見セミ・アコースティックのモデルに見える。確かにセミアコのようにF孔がついたホロウボディ(中が空洞になっている)のLucilleを使っていた時代もあるようなのだが(本稿で紹介している『Live In Japan』時はGibson ES-355を使用したと記録があるので、この頃はセミアコだったのかもしれない)、後年の写真を見るとF孔などなく、どうやらレスポールモデルのようにソリッドボディ構造であるらしい。ということは、かなり重量があるギターであることが想像されるのだ。ある時からBBと言えば、椅子に腰掛けてギターを弾く姿が定着していたけれど、結構目方がありそうな体重であのギターを抱えてマイクの前に立つというのは、足腰への負担を考えると無理な話だったのだろう。エフェクターの類いはおそらく使っていない。ギターにつないだシールドはアンプに直結(こちらはFender社のものがお気に入りだったとか)。
 それにしては音がよく伸びる。動画を見ていると、チョーキングで弦を引っ張り上げたあと、かなり手首を揺らして強力なヴィブラートをかけている。それがきれいなサスティーン(伸び)を生んでいるのかもしれない。ブルースマンがよく披露するボトルネック(スライドギター)奏法などは全く無縁。また、BBの場合は歌→ギターソロ→歌という展開の繰り返しなのであり、他にプレイヤーのソロのバックに回るということもない。それだからなのか、コード弾きもほとんどしないという。と考えると、BBは特異なギタリストなのである。いや、今まで語られたことはなかったけれど、BBはギタリストではなく、メインはやはり、シンガーなのではないか? 抜群に上手いブルースシンガーであり、おまけにギターも卓越した腕前を持っていると、そう考えてもいいのかもしれない。そう、とにかくどのアルバムを聴いても歌は本当にうまい。このあたりは、やっぱりゴスペル出身というのが影響しているのだろう。
 さらっと出自を調べてみると、B.B KingことBlues Boy Kingは1925年9月16日、米ミシシッピー州イッタベーナというところで生まれている。多くのブルースマンと同じく、彼の家族も綿花農場の小作人だった。祖父の時代には奴隷という立場であり、南北戦争後に奴隷制度が廃止された後も奴隷時代と変わらぬ貧困生活を送っていたという。父親のアルバート・リー・キングは彼がまだ幼少の頃に家を出てしまい、母親によって育てられたそうだ。その母親も彼が10歳の時に病気で亡くなってしまう。悲惨な暮らしの中、非行に走らずに来れたのは信仰と音楽との出会いであったと本人は語っていた。その通っていた教会で12歳の時に初めてギターと出会い、練習を重ね、めきめきと腕を上げたという。
 活動は主に路上での弾き語り。音楽の出発点はゴスペルだったが、皮肉なことに、その教会が悪魔の音楽として忌み嫌ったブルースに彼は次第に傾倒していく。理由は単純で、ブルースのほうが金になったからだった。ずっと小遣い稼ぎで路上演奏を続けていた彼に、1949年、レコーディングの機会が訪れ、ナッシュヴィルのレコードレーベルに4曲を吹き込んだのが正式なデビューとなる。翌年にはロサンゼルスのモダン/RPMと契約。1951年に「30’clock Blues」がR&Bチャートの1位を記録し、それを足がかりに数多くのヒットを世に送り出し、いつしか彼は“King of the Blues”への階段を上り…と、以降の活躍はよく知られたところ。ブルースアーティストとして初めてラスベガスやテレビなど、ショービジネスの世界に進出したのもBBぐらいのものだろう。ブルース親善大使としてロシアやアフリカなど世界中を訪れてこの音楽を世界中に広める役割も果たした。NYシティのミッドタウンには“B.B Kingグリル”なんて店もあり、オーナー業、実業家としても成功を収めている様子だった。
 60年代以降はロック系アーティストとの共演も増え、揺るぎない地位と尊敬を集める存在となる。U2やエリック・クラプトン、ヴァン・モリソン、ドクター・ジョン、ローリング・ストーンズ、ウィリー・ネルソン等、彼を慕うアーティストは枚挙にいとまがない。ちなみに、年齢から序列を決めると、マディ・ウォータース(1915年生まれ)からするとBBは弟分、同じ“キング”のアルバート・キング(1923年生まれ)とはほぼ同級生、もうひとりの“キング”であるフレディ・キング(1934年生まれ)よりは兄貴分だったということになる。

まさにブルース親善大使。親日派で日本
に何度もやってきてくれたキング

 BBはブルースマンとしては日本にも頻繁にやってきた。初来日は1971年に実現しており、その際に録音された音源が、今回取り上げた『Live In Japan』('99)で、東京での2公演から出来のいいヴァージョンをセレクトして構成されているものだ。そして、翌1972年には再来日公演が行なわれており、その大阪公演の前座をウエスト・ロード・ブルース・バンドが務めたことは大きな話題になった。ウエスト・ロード・ブルース・バンドは永井“ホトケ”隆 (Vo)、塩次伸二 (Gu)、山岸潤史 (Gu)、小堀正 (Ba)、松本照夫 (Dr)からなり、後続の近藤房之助率いるブレイクダウン(76年結成。服田洋一郎/Gt、近藤房之助/ Vo、森田恭一/Ba、小川俊英/Dr)、上田正樹とサウス・トゥ・サウス(最初のアルバム『ぼちぼちいこか』('75)が出たばかりのころ)らとともに70年代のブルースブームを牽引した。憂歌団はまだ結成されていなかったと思う。ちなみに、ブレイクダウンの服田洋一郎氏はつい先日、4月20日に病没されたばかり。謹んでご冥福をお祈りしたい。
 もしかすると、BBの来日をきっかけに、内外のブルース・アーティストの公演、ライヴが増え、それはやがて86年から2012年まで続く『ジャパン・ブルース&ソウル・カーニバル』という大きなうねりにつながっていったのだと思う。この『ジャパン・ブルース&ソウル・カーニバル』にも、BBは89年の第4回の開催時にアルバート・キング、ヴァレリー・ウェリントン、ティアドロップス、ボ・ガンボス、他と出演し、続く94年の第9回にケニー・ニール、憂歌団、吾妻光良 & The Swinging Boppers…他と出演。その3年後の97年、第12回開催時にもバディ・ガイ、ジェリー・マッギー・ブルース・バンド、コリー・ハリス、憂歌団、ブラック・ボトム・ブラス・バンド…他と出演している。フェス以外のBBの来日公演もいくつかあるのだが、キリがないので割愛させていただく。いずれにしても、彼は日本における根強いブルースブームを支え、一般にも名前が知られるほどに、ブルースという音楽の底上げ役も担ってくれたのではないかと思うのだ。
 クラプトンの活躍のおかげで、日頃はブルース、なんて言葉を口にすることもなさそうなOLまでが、彼のアルバムを買ったりする。それを別に眉をひそめることもあるまい。どんなかたちであれ、感情に訴える音楽のひとつとしてブルースが浸透していけばそれはそれでいい。BBはかつてのブルースマン、それ以前のカントリーブルース/デルタブルースの人たちのような、泥臭く、ダークで、貧困や生活苦、差別や偏見を背負って生きているというふうな佇まいとは一線を画するというか、とても洗練された趣きを持っていた人だった。どんなにベテランになってもチンピラ風の安っぽさ(それもまたいいのだが)から抜け出そうとしないチャック・ベリーのような人ともまるで違う。ステージでは常にタキシードでドレスアップしていたし、どっしりとした風情で、それでいて尊大なところもなく、謙虚で勤勉、慎み深い人柄であったことがよく知られている。そして、彼の生み出すブルースはスイング感、ソウルミュージックを感じさせる独特のR&B感、マイナー&メジャーブルース、ジャンプ、ブギウギ…etc、モダンに進化する課程で生まれたブルースの要素が、アルバムをじっくりと聴くと滲み出てくる。
 極めつけは、あの1音だけで彼と分かる特徴的なギターのスタイル、そしてメロウなトーンだろう。きっと男性はもちろん、女性ファンを多く獲得してきたのもBBかもしれない。その点で、ロバート・ジョンソンやサン・ハウス、マディ・ウォータースやハウリン・ウルフ、リトル・ウォルター、ライトニン・ホプキンスといったアクの強いブルースマンに惹かれる人とは微妙に好みが分かれるところかもしれないが。
 最後になるが、BB逝去の報せに、多くの著名人が寄せるツィートの中に、キャロル・キングのものがあり、そう言えばと忘れていたアルバムを思い出して棚を探った。BBとしては異色盤というか、『Indianola Mississippi Seeds』('70)という、彼がロック系アーティストとセッションした作品なのだが、キャロル・キング、ラス・カンケル組とレオン・ラッセル、メリー・クレイトン、ジョー・ウォルシュといったシェルター組、ポール・ハリス、ヒュー・マクラッケンら腕ききのスタジオ組といった、いわゆる白人の有名どころとは異なる面子とセッションを繰り広げているのだが、BBはたっぷりギターを弾いているし、バックを受け持つそれぞれの組の持ち味もしっかり生かされている。キャロル・キングも軽快にピアノを弾いていて悪くない。曲間にBBが喋る声も収録されているのだが、その時代を反映するかのように、実にレイドバックした雰囲気があっていいのだ。これは本当に裏名盤として、お勧めしておく。

著者:片山明

OKMusic編集部

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