劇場公開を切望。
音楽ドキュメンタリーの大傑作
トーキング・ヘッズの
『ストップ・メイキング・センス』

記憶に残る初来日公演を振り返る

世相的にも日本はバブル期にあたり、あの頃はテレビや雑誌、新聞といった印刷メディア、百貨店などの流通機関もアートやパフォーマンスを積極的に後押して、東京や大阪でも実験的な映画を紹介するシアターやミュージアムが誕生したものだ…と、書いているだけでB-52’s(79年)やローリー・アンダーソン(81年)など、アートと音楽が融合した印象的なコンサートの記憶がいくつか脳裏に蘇ってくる。

その中で、忘れもしないトーキング・ヘッズ は1979年に日本にやってきた(以降、彼らは81、82年にも来日)。大阪御堂会館で行なわれたショー(主催トムス・キャビン)を私は見たのだが、まだアルバムはデビュー作『Talking Heads: 77』が出ているだけで、オリジナルメンバーの4人によるステージは、これといったステージの装飾も演出めいたものもなく、簡素というしかないものだった。英語をほとんど解さない日本人相手に饒舌なMCなど最初から諦めていたのか、ニューヨーカーらしい気の利いたジョークもなく、淡々と演奏が続いた。それにしても、アートスクール(ロードアイランド・スクール・オブ・デザイン)出身と聞いていたが、特異なファッションをキメて来るでもなく、みな地味なシャツにパンツ。ヘアスタイルだって地味。まるで予備校や高校の講師が集まってできたバンドみたい…と思ったものだ。それで、楽しめなかったのかと言えばそんなことはなく、シンプルなクリスのドラム、技巧はないものの、抜群のグルーブを作るティナのベース、シンプルなカッティング主体のギターでリズムと跳ねを作るデヴィッドとジェリー。素っ頓狂気味のデヴィッドのヴォーカルも実に独創的だった。当時の、そして現在の音楽の知識を持ってしても他に比較できるバンドなど思いつかなかった。音楽的なバックグラウンドも見当がつかなかった。だから、その背景に、いや将来、バンドがアフロファンク的なものにつながっていくなどとはまったく予想できなかった。エレキではあるものの、サウンドはフォークに通じるシンプルな(ロックらしくない)もので、ビートバンド、ガレージバンド的な荒々しさとはほど遠い。その点からも、これでもパンクと扱われるのか? と大いに違和感を覚えたものだ。バンドの演奏、アルバムはかなり気に入ったのだが、初来日公演を見た限りでは、この先バンドがどう変遷していくのか予想できなかった。たぶん、他のパンクバンドのように炭酸の気泡ごとく浮かんでは、あっという間に消えていくのだろうと思っていた。
※主催者で、招聘元のトムス・キャビン代表の麻田浩氏によると、まだ売れていない彼らは、メンバー4人とマネージジャー1名だけで来日し、品行方正で一切問題を起こさなかったそうだ。大手の招聘会社はグラハム・パーカーやエルヴィス・コステロ、その他のパンク、ニューウェイヴ系アーティストの傍若無人な振る舞い、荒れるコンサートの噂を耳にして警戒し、トーキング・ヘッズの招聘さえ躊躇していたのだそうだ。また、会場の照明にあえてカラーを使わないというバンド側の指示が出されていたという。

OKMusic編集部

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