ライ・クーダーとの出会いにより
世界的にも知られるようになった
ハワイアン&
スラック・キー・ギターの
巨星ギャビー・パヒヌイの傑作
コンテンポラリー・ハワイアンの祖
話を戻すと、やがてスラック・キー・ギターの演奏を身につけたギャビーは1946年に初のレコーディングを体験し、以降ハワイアンバンドで活動しながらいくつかのスラック・キー・ギターのアルバムをレコーディングしている。1960年代に入ってからは今も語り継がれている伝説のハワイアンバンドのサンズ・オブ・ハワイに加入して、数々の名演奏を残している。録音されてからけっこうな年月がたっているけれど、古臭さは微塵も感じられない。そして1970年代、スラック・キー仲間のアッタ・アイザックスら音楽仲間と息子たちと一緒に結成したのがギャビー・パヒヌイ・ハワイアン・バンドだった。54歳という脂の乗り切った時期ということになるが、この5年後に亡くなってしまうことを思うと、世界的に知られることになるレコーディングの機会をセッティングしたようなライ・クーダーにも座布団を5枚くらい進呈しなければと思う。
今回、テキストを書くにあたり、ギャビー・パヒヌイ・ハワイアン・バンドの2作はもちろん、これも名盤の誉れ高い、ソロ作でセルフタイトルをつけた、通称ブラウン・アルバムと呼ばれる『ギャビー(原題:Gabby)』や、サンズ・オブ・ハワイというバンドのアルバムも聴いたが、改めてどこかアメリカのポピュラー音楽、ジャズ、ラテンのテイストがその音楽の底に横たわっているのではないかと思えてならない。
最後に、本作『Gabby Band Volume 1』(’75)が出たその年、後にハワイのミュージックシーンを代表し、世界的なアーティストとなる男子が生まれている。オアフ島ノースショア出身で、プロのサーファーとしても知られるミュージシャン、ジャック・ジョンソンである。ジョンソンは両親の聴くギャビーのレコードをBGMに育ち、今でもギャビーをリスペクトしているという。ギャビーが残した音楽は、世代や音楽のジャンルを越えて、人々に影響を与え続けているわけだ。
TEXT:片山 明