アパラチア発、
ドック・ボッグスの
超ディープ・ブルースは
一度はまったら抜けられない“沼”

ボッグス、炭鉱で黒人音楽を知る

炭鉱には南北戦争後、農場の雇い主の所有物でなくなった、解放農民となった黒人が出稼ぎにやってきていた。そこでアパラチア近在の貧農民と黒人たちが一緒に働くことになったのだが、白人たちは黒人を忌避することなく、親しくしていたという。特にアイルランド/スコットランドをルーツに持つ移民とその末裔は、カトリック、プロテスタントの宗教的な断裂もあって宗派によってはひどく貶まれていたという。同じ人種差別を経験するもの同士が、炭鉱内では互いの境遇を憐れみ手をたずさえていたらしい。

もともと音楽好きで譜面も読むことができた父ジョナサンの影響もあって、一家は日頃から歌を楽しみ、楽器を嗜んでいた(他に娯楽がなかったからだ)。中でも早くからバンジョーを弾いていたボッグスは黒人たちのビートの効いたワークソングに心惹かれるようになる。次第に聴いているだけでは飽き足らず、ついには彼らの宿舎に忍んでいき入り浸るようになり、そこで演奏されるバンド、ダンスパーティーの伴奏をしているストリングスバンドに心酔していくのだった。親しくなった黒人から教えてもらった曲なども自分のものにして、ボッグスはレパートリーを増やしていく。

やがて、彼を媒介して起こった化学反応というべきだろうか。スコッツ、アイリッシュから移民とともに伝承されたバラッド等の音楽と黒人音楽が、本人が意図しないままボッグスの中で融合されることなる。もともとアパラチア一帯で演奏されるバンジョーはフレイリング(クロウハンマーとも呼ばれる)という、親指や人差し指、中指等を弦に打ち下ろすように2ビートのダウンストロークで奏でられるスタイルが多かった。そこに、よりリズムが強調され、微妙なピッキングによるシンコペーションが加わり、さらに哀愁に満ちたボッグスの歌が乗った時、まさにアパラチアンブルースとでも言うべき音楽が生まれたのだ。

20歳になる頃にはボッグスは兄弟とともにバンドを組み、パーティーや集会所などで演奏するようになる。多くは炭鉱の宴会のような荒っぽい現場で、ボッグスも頻繁に乱闘や喧嘩に巻き込まれるという状況だったが、彼らは人気を博していたそうだ。そこから自信を得たボッグスはレコード会社の主催するスカウトオーディションに挑戦し、結果、ブランズウィックレコードに幾つかの録音を残すことになる。

この、1927年頃に録られた音源、他が冒頭左のジャケットのアルバムにまとめられ、1964年にリイシューされているものだ。

OKMusic編集部

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