54年前のあの夏の日に鳴り響いた
ジミ・ヘンドリックスの
「星条旗」が今も聞こえる
ジミが表現しようとしたこと
泥まみれで疲れ切っている人々、その頭上に響き渡るアメリカ国歌「星条旗(原題:The Star-Spangled Banner)」。ギターの音は炸裂するナパーム弾のようだ。マシンガンのようなギター、軋むフィードバックは阿鼻叫喚、逃げ惑う人々みたいだ。そんな轟音がとどろいていながら、静謐ともいえる空気が流れている。ジミの表情はライヴらしい高揚感はなく、ずっと神妙である。このナショナルアンセムは愛国心から演ったのではないだろう。露骨に戦争批判するわけでもない。ジミは地球上で起こっている惨劇、愚かな人間の所業をただギターで表現し、彼なりに訴えているのである。きっと、ロック史上というより、ポピュラー音楽史上のトップ3に入るパフォーマンスだろう(あとのふたつは何だと訊かれても困るが)。音楽的にもエレクトリックギターの表現域を一気に拡大してみせた点も大きい。50年ほど前、中学生の頃に初めて聴いた時はエレキギターでこんな表現ができるものなのかと、あっけに取られたものだ。こうして“ジミの「星条旗」”は長く語り草となり、今や伝説になった。だが、過去のものにならないのが、このパフォーマンスの凄いところだ。
『ウッドストック・フェス』は60〜70年代のカウンターカルチャーの象徴になった。けれど、フェスから5年も経てば自由であることを主張し、謳歌した若者たちも現実の波に飲まれ、ネクタイを締め、経済誌の購読者になる。音楽はビッグビジネスとなり、“産業ロック”なんて呼ばれるものまで出てくる。それをけなすわけではない。文字通りロックは産業になったのだから。
『ウッドストック・フェス』はコンサートの興行収益は赤字だったものの、ドキュメンタリー映画『ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間』(1970年公開)の権利、収益により主催者側は莫大な富を得た。それさえも、ジミの出演シーンがなければ、まったく違った結果になっていたことが想像される。
「夢よもう一度」とばかりに、フェスは何度かリユニオン開催(79、89、94、99年)が行なわれた。1969年の開催時には見向きもしなかったボブ・ディランが出演した年もある。が、同じ夢を見ることなどできないのだ。興行的にどうだったのかは知らないが、69年に掲げられていた理念は再現されなかった。
それでも、フェスとは関係なく“ジミの「星条旗」”は今でも錆びつくことなく天空に響きわたり、その時々の風景と被るのである。
Jimi Hendrix
- The Star Spangled Banner -
Woodstock - 1969
TEXT:片山 明