ベッド・インからアラン・ヴェガまで
、夏なので踊りましょう

お盆なり飲み会なり、何かしらのエクスキューズがないと踊れないのが日本人の気質です。この辺に生真面目さとシャイネスが良い意味でも悪い意味でも端的に表れていると思うのですが、必修科目としてのダンスを体感した世代が大人になったら、クラブカルチャーとヤンキー文化の糾える縄のごとしな融合もいい具合にほぐれて、もっとあらゆるダンスミュージックがとっつきやすくなるのではないでしょうか。なればいいなぁ。風営法も改正されたことですし、マイルドヤンキーでなくても、体育会系の温度感と距離感が苦手な人でも、「踊りたい」という衝動が理性を乗り越えた時に好き勝手できる空気感が充実していれば最高です。毎度のことながら前置きが長くなってしまいましたが、今回はとりあえず体を揺らしていればOKなダンスミュージックをご紹介します。

「ウランちゃん」(’15)/水曜日のカ
ンパネラ

手前味噌ですが、今年はライターとして目の前に立ちはだかる大きな階段を一段一段這いつくばってよじ上るような1年で、ありがたいことに大きなハコのライヴレポも何本か執筆しました。水曜日のカンパネラもそのうちのひと組です。すっとぼけたようなコムアイのフィジカル的にも濃密なパフォーマンスと、タイトルに用いられたテーマそのままを語り尽くすようなユーモラスな詞とは裏腹に、夜ごと目まぐるしく刷新されては拡張するダンスミュージックを貪欲に飲み込む楽曲のクオリティーの高さには舌を巻くばかりで、胸焼けしそうなほど贅沢な演出も相まって、仕事中にも関わらず落涙しそうになったものです。今回はシカゴハウスをルーツとした、高速BPMが特徴的なジューク/フットワークの要素を取り入れたこの曲を。

「あーりんは反抗期!」(’12)/佐々
木彩夏

みなさん、『TIF』には行きましたか。「アイドルブームはもう飽和状態」という空気が漂い始めて久しいですが、そんなことはどうでもよくて、“アイドル戦国時代”というキャッチフレーズを堂々と掲げたももクロのアイドル担当あーりんこが6年ぶりの『TIF』で、あざとさや年齢や性別を超越したキュートネスを叩き付けたという事実だけで、ここ数年の脅威にも近い社会現象が瞬く間にピースフルなものに反転したような気もするのですから不思議です。第二次成長期、思春期特有の毛羽立つような刺々しい感情を「ママは私を束縛するけど、私だってもう大人なの!」とユーモラスに落とし込んだこの曲を、成人してなお満面の笑顔で演じきるそのプロ根性こそ、彼女が佐々木プロとリスペクトされるゆえんが表れているようです。

「POISON〜プワゾン〜」(’14)/ベッ
ド・イン

偶発的な産物がマーケティング戦略の及ばないところで、いつの間にかヒットしているカタルシスを覚えるアーティストのひと組となったベッド・イン。彼女たちがこれまで培ってきた音楽的な素養やステージング、そして8センチ短冊CD収集やプロレス等の趣味がフルスロットルで発揮されるおギグは、いつの日もやけくそなパワーと笑いを与えてくれます。おみ足担当のかおりさんはラウド、パイオツカイデー担当のちゃんまいさんはジャパコアがルーツのひとつで、パワーコードを容赦なく聴かせまくったオリジナルやカバーもやはり魅力的なのですが、チープなキーボードの音色が場末のスナック感を際立たせるこの曲から全てはスタートしたんですよね。余談ですが、現在も8センチCDをプレスしてくれるメーカーは1社だけあるそうです。

「SUPERMCZTOKYO」(’13)/ライムベ
リー

『フリースタイルダンジョン』がスタートした時はこんなにヒットするなんて思いもよらなかったのですが、名もなきフォークシンガーがカバーするレミオロメンやYUIが響いた深夜の高架下で、現在はじゃれ合いのようなフロウが夜な夜な研磨されているのですから、面白いものです。アイドル業界でもヒップホップアイドルと呼ばれるlyrical school、校庭カメラガールツヴァイ等が誕生しましたが、やはりライムベリーの衝撃は名状しがたいものがありました。アイドルラップの域を超えたスキル、「ヒップホップ=パーティピープルか不良のための音楽」という貧困なイメージを打ち破るドープネス、煽るわけでも暴れるだけでもないのにパンク系のアーティストよりも沸き上がるフロアー、細微までこだわったデザインのグッズと、ハードコアなラップしか知らなかった自分にとってただただ“抗いようのない現象”として記憶に刻まれています。

「Jukebox babe」(’80)/Alan Vega

なんなんでしょう、2016年。ボウイやプリンスや冨田勲等の偉人が天に召されて「ひとつの時代が区切られた」と呆気にとられているうちに、suicideを率いたアラン・ヴェガまで亡くなってしまいました。3コードと反骨心から産まれたパンクがやがて商業主義に飲まれていった同時代、シンセサイザーとドラムマシンのみで作られたインダストリアルなトラックと亡霊のようにうつろな歌声と構成された楽曲がどれほど革新的であったか、どれだけのジャンルのプロトタイプになり得たか。そういった話は他のライターさんがアカデミックな視点から語ってくださるからさておいて、アラン・ヴェガのソロアルバムはsuicideの音楽性を内包しつつもオールドスクールなロカビリー色にあふれ、官能さを演出するような鼻にかかったボーカリゼーションの揺らぎが生み出すちぐはぐさが妙に心地良かったりします。早く1st再発されないかな。

著者:町田ノイズ

OKMusic編集部

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