2009年5月2日、本当に惜しまれつつこの世を去ってしまった、キングオブロック・忌野清志郎。没後6年、デビュー45周年となる今年も映画が公開されたり、命日には恒例となった追悼ライヴが開催されたりと、清志郎の音楽やライヴ映像に触れる機会が多々あり、清志郎がこの世にいないことがいまだ信じられない瞬間があったりもするが。著書である『ぼくの好きなキヨシロー』(泉谷しげる 加奈崎芳太郎・著)で、「キヨシローをどう生かしつづけるかしか考えてないんだ」と語っていたのは泉谷しげる。「君は今、不在なんだと思っているんだ。また連絡するわ!」と語っていたのは加奈崎芳太郎(ex.古井戸)。命日のタイミングでもなんでもないですが、最近、加奈崎さんと清志郎について語らせていただく機会があり、RCサクセション、忌野清志郎を改めてどっぷり聴き返したばかりなので、個人的観点で心に残った5曲を選んでみた。

1.「2時間35分」('72)/RCサクセショ

「“青い森”で初めてRCを見たときの衝撃は、この曲のぶっとび方がそのまま表している」と71年のRCとの出会いを語る加奈崎さんは、当時の印象を「「うわっ、こいつらビートルズだ!」と思った」と語っていたが。高校時代に再発盤の『初期のRCサクセション』でこの曲と出会った僕は、当時、生まれて初めて付き合った彼女のことを想いながら、《すばらしい君が ぼくを好きだって》と口ずさんではニヤニヤしてた。「イエスタディを歌って」「スローバラード」など、初期RCのセンチな曲も大好きな僕。72年発表のこの曲が時代を超えて、まだティーンだった僕に突き刺さったように、LINE世代の今の若い子もきっと共感できるはず。LINEどころか、携帯もなかったあの頃はイエデンで長電話して、よくお母さんに怒られたもんです!

2.「ドカドカうるさいR&Rバンド」('8
3)/RCサクセション

83年発表、『OK』に収録されたこの曲。「雨上がりの夜空に」と並んで、ライヴのクライマックスに演奏されていた曲らしいが、世代的にRCサクセションの全盛期のライヴを生で観れていない僕にとっては、大好きなライヴ盤『the TEARS OF a CLOWN』などに収録されたこの曲が、当時のRCのライヴの熱狂を想像させてくれた。「チャンスは今夜」や「SUMMER TOUR」など、ライヴツアーを歌っている曲(お姉ちゃんとヨロシクやってるところまで含めて)も多いが、《明日もどこかの街でいかれた音を出す》というバンドライフが楽しくて仕方なかったんだろうなぁと、バンドマンへの憧れも抱かせてくれる。

3.「イマジン」('88)/RCサクセショ

88年6月、「素晴らしすぎて発売できません」と新聞広告が打たれて発売中止。同年8月、古巣であるキティレコードより発売が実現した、伝説のアルバム『COVERS』のラストに収録された、ジョン・レノンのカバー曲。「ラブミー・テンダー」「サマータイム・ブルース」など、反核、原発批判を露骨に歌った楽曲たちが問題となったこの作品。改めて聴くと歌のメッセージ性も素晴らしいが、どの曲も清志郎のカバーセンスの秀逸さにド肝を抜かれる。中でもアルバムラストを飾る、《天国はない ただ空があるだけ》と始まる「イマジン」の美しさは格別! 他の楽曲には歌詞に過激な表現も多々あるが、「イマジン」の《夢かもしれない でも その夢を見てるのは 一人だけじゃない 世界中にいるのさ》の一節が、今作で伝えたかったことを集約している気がする。

4.「激しい雨」('06)/忌野清志郎

MG'sやメンフィス・ホーンズと共作した『Menphis』、「君が代」のカバーが問題となって発売中止となった『冬の十字架』など、RCを活動休止してからも名盤をたくさんリリースしてきた清志郎だったが、生前最後のスタジオ・アルバムとなってしまったのが、06年リリースの『夢助』。真っ直ぐなラブソング「誇り高く生きよう」、細野晴臣作曲の「あいつの口笛」、など、名曲満載のこのアルバムだが、1曲挙げるとするならば、やはり盟友・仲井戸麗市との共作「激しい雨」。《Oh 何度でも 夢を見させてやる》と力強く歌い、《RCサクセションがきこえる RCサクセションが流れてる》と続くこの曲。そう、僕らは清志郎が生前に残した数多くの名曲や、清志郎の声を聴くたびに何度だって夢を見ることができるのだ。

5.「(Sittin' on) The Dock of the Ba
y」('68)/オーティス・レディング

最後は清志郎の曲でなく、『夢助』収録の「オーティスが教えてくれた」でも歌っている、清志郎がこよなく愛したソウルシンガー、オーティス・レディングの大名曲。学生時代、『TVブロス』誌で連載していたコラム「瀕死の双六問屋」で清志郎が紹介していた名盤たちを中古レコード屋で探して、ソウル、R&B、ブルースを学んでいた時期があった。ブッカーT&MG's、サム・クック、ジェームス・ブラウンといった王道から掘り下げて、ロバート・ジョンソン(伝説のブルースシンガー)まで辿り着いた時は「これは理解できん!」と思ったりしたもんだが。その中でも最も心惹かれたシンガーが、やはりオーティス・レディングだった。清志郎と出会ったことで、僕の音楽への興味は大きく広がったし、あの頃聴いてた音楽は確実に今の地盤となっている。つまり、清志郎は憧れのロックスターでありながら、僕に音楽の素晴らしさを教えてくれた「ぼくの好きな先生」でもあったのだ。

著者:フジジュン

OKMusic編集部

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