ランキングには出てこない、マジ聴き必至の5曲

ランキングには出てこない、マジ聴き必至の5曲

やっぱり「イカ天」は凄かった!
“平成イカ天革命”における
最重要ロックバンド5選

時は1989年。元号が昭和から平成へ移り変わり、世が混乱を極めていた平成元年。一本の深夜番組が産声をあげた。その名も『三宅裕司のいかすバンド天国』。毎週10組のアマチュアバンドが登場し、審査員によって選ばれた一組のバンドがイカ天キングに挑戦。5週連続でイカ天キングに選ばれると、名誉あるグランドイカ天キングとなり、メジャーデビューが約束されるという、いわゆるロック・オーディション番組なのだが。個性豊かなバンドが次々登場し、番組から多くのロックスターを排出。多くの若者を熱狂させたこの現象は“イカ天ブーム”と名付けられ、一大ムーブメントを巻き起こした――。

あれから29年。元号が平成から新元号へと変わろうとしている現在。決して教科書に載ることのないあの歴史的事件を“平成イカ天革命”と勝手に呼び、イカ天における最重要ロックバンド5組をセレクト。80年代バンドブーム末期、あの番組が当時を生きたバンドマンや関係者に賛否両論あることも重々承知ですが。ただの熱狂的な視聴者だった僕には、知ったこっちゃありません(笑)。中2のもっとも多感な時期に人生を狂わされた者として、田舎のニキビ面した中坊にとって、イカ天がイカに衝撃だったかを語らせてくださいっ!
「幸せであるように」(’90)/FLYING KIDS
「エヴリデイ」(’89)/JITTERIN'JINN
「恋しくて」(’90)/BEGIN
「さよなら人類」(’90)/たま
「狂った朝日」(’91)/BLANKEY JET CITY

「幸せであるように」(’90)
/FLYING KIDS

「幸せであるように」(’90)/FLYING KIDS

「幸せであるように」(’90)/FLYING KIDS

89年2月11日、土曜深夜に放送を開始した『イカ天』。深夜番組がもっと自由で無茶苦茶だったあの頃。1週目に登場したガールズバンドのヒステリックスが審査員に演奏途中にワイプ攻撃を受け、生放送にもかかわらず「バカヤロ~!」とジーンズとパンツを脱ぎ始めたのは有名な話(笑)。そんな混乱を極める中で登場したのが、初代グランドイカ天キングとなる、FLYING KIDS。時はビートロック全盛期。本格ファンクサウンドを引っ提げた彼らの登場は革命だった。股間に手を当てて歌う、浜崎貴司(Vo)のヴォーカルや曲の良さも衝撃的で、こんな音楽があるんだと驚かされたのを覚えてる。「ハイになりましょう!」のブラボー、“リモート現象”のremote、後に若き日のシシド・カフカも加入するTHE NEWS、光の国の子供達・KUSU KUSUが登場したのもこの頃。スゲェ時代だなぁ! 強烈なキャラやインパクトを持つバンドも良いけれど、素晴らしい音楽がちゃんと評価されるという事実を作った彼らは、この後の番組の方向性にもかかわるすごく重要な存在だったと思われる。

「エヴリデイ」(’89)
/JITTERIN'JINN

89年5月。5代目イカ天キング・RABBITを破って、6代目イカ天キングに輝いたJITTERIN'JINN。2ビートの軽快でキャッチーな曲調と春川玲子(Vo)の無表情&キュートなヴォーカル、バンドのロカビリー調の衣装がめちゃくちゃカッコ良くて、一発でファンになった。番組では2週目に惜しくもセメントミキサーズに敗れてしまうが、JITTERIN'JINNは同年10月に「エヴリデイ」でメジャーデビュー。90年には当時、デビュー後最速となる日本武道館ワンマンを実現。その後、00年には代表曲「夏祭り」をWhiteberryがカバー。今も名曲として聴き継がれているのだからものすごい。ちなみに、この週に登場してるのは、「P.S. I love you」でブレイクするPINK SAPPHIRE、ワタナベマモル率いるグレイトリッチーズ、今や世界にその名を馳せる猟奇ハードロックバンド・人間椅子。なんて豪華!

「恋しくて」(’90)/BEGIN

「恋しくて」(’90)/BEGIN

「恋しくて」(’90)/BEGIN

89年9月。放送半年が過ぎ、番組人気も急上昇。「二枚でどうだ!」の宮尾すすむと日本の社長、パワフルなガールズバンドのNORMA JEANと強力なイカ天キングが続き、俄然、面白くなってきた『イカ天』。そんなお祭り騒ぎの賑やかさの中に登場したのが、石垣島出身の朴訥とした3人組バンド・BEGIN。ブルースを基調とした彼らのやさしく美しい楽曲と澄んだ歌声は聴く者の心を一発で掴み、あっと言う間に5週勝ち抜き。見事、2代目グランドイカ天キングを獲得してしまう。BEGINのその後の活躍は説明するまでもないが。代表曲であり、メジャーデビュー曲でもある「恋しくて」は1週目にすでに披露されており、審査員からは絶賛の嵐だった。ちなみにイカ天出演時、メンバーはまだ20歳そこそこ。あの曲をその若さで歌ってたと思うと、その才能と落ち着きには改めて驚かされる。

「さよなら人類」(’90)/たま

「さよなら人類」(’90)/たま

「さよなら人類」(’90)/たま

89年10月。BEGINがグランドイカ天キングになり、王座不在時に登場したカブキロックス、サイバーニュウニュウというクセが強いバンドにワクワクさせられて。土曜深夜が楽しみで仕方なかったこの頃。今見てもセンス抜群なサイバーニュウニュウに魅了されて、原宿のイカ天ショップでデモテープとTシャツを購入したのも良い思い出ですが。そのインパクトをも払拭する衝撃を与えてくれたのが3代目イカ天キングとなる、たま。時代錯誤な風貌、独創的すぎる音楽性と、全てが斬新だったこのバンド。キングになって2週目にはその後、国民的ヒットソングとなる「さよなら人類」を披露し、視聴者の度肝を抜いている。ちなみにインタビューをしていると、主に作詞面で「たまの影響を受けた」と語るバンドマンも多数存在。その後の音楽史に残した影響力もハンパない! たまはその勢いのまま5週を勝ち抜き、3代目グランドイカ天キングになるのだが。5週目に登場したのが、70年代グラムロックを踏襲した音楽性と巧みな演奏力にビビった、マルコシアス・バンプ。仮キングとして残ったマルコシアス・バンプはそのまま5週連続勝ち抜き、4代目グランドイカ天キングを獲得。こんなのリアルタイムで見てたんだから、面白いに決まってる!

「狂った朝日」(’91)
/BLANKEY JET CITY

「狂った朝日」(’91)/BLANKEY JET CITY

「狂った朝日」(’91)/BLANKEY JET CITY

90年4月には、5代目グランドイカ天キングとなる、LITTLE CREATURESが登場するなど、変わらず個性豊かなバンドが次々現れ、僕を夢中にさせてくれた『イカ天』だったが。『イカ天』から生まれたロックスターたちは次々とメジャーデビューを果たし、加熱しすぎたバンドブームも収束ぎみ。もはやイカ天はひとつ役割を終えたのでは?と思われた90年8月、名古屋からやってきた新しいスタイルの不良グループが再び革命を起こした。BLANKEY JET CITYが1週目、《猫が死んだ 僕の大事にしてた仔猫が》と始まる「CAT WAS DEAD」を披露した時、僕は本当に稲妻が走る衝撃を受けた。こんなカッコ良いバンド、見たことない! 当然ながらイカ天キングに選ばれたBLANKEY JET CITYは、貫禄の演奏で5週勝ち抜き、6代目グランドイカ天キングを獲得。5週目に演奏した「狂った朝日」は本当に頭狂うんじゃないか?と思うくらい興奮して、録画したビデオ(VHS)を擦り切れるほど見返したのを覚えてる。“平成イカ天革命”と大げさなタイトルを付けたが、革命が起きたのは僕の頭の中の世界。それまでは勉強もできできる良い子ちゃんだった僕の常識や価値観をぶっ壊し、人生を狂わせてくれたのが『イカ天』であり、これらのバンドだった。あの頃、『イカ天』に出会えて良かったのか分からないが、お陰で今もロックまみれの楽しい日々が送れてます(笑)。

TEXT:フジジュン

フジジュン プロフィール:1975年、長野県生まれ。『イカ天』の影響でロックに目覚めて、雑誌『宝島』を教科書に育った、ロックとお笑い好きのおもしろライター。オリコン株式会社や『インディーズマガジン』を経て、00年よりライター、編集者、デザイナー、ラジオDJ、漫画原作者として活動。12年に(株)FUJIJUN WORKSを立ち上げ、バカ社長(クレイジーSKB公認)に就任。メジャー、インディーズ問わず、邦楽ロックが得意分野だが、EBiDANなど若い男の子も大好き。笑いやバカの要素を含むバンドは大好物。
(株)フジジュンワークスHP:http://fuji-jun.com/

OKMusic編集部

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