YMO散開後に発表された
ソロアルバム『音楽図鑑』は
多彩な楽曲群の中にも
坂本龍一らしさを確認できる秀作
https://okmusic.jp/news/48919
・坂本龍一がレジェンド級ミュージシャンたちと格闘技ばりに作り上げた『サマー・ナーヴス』
https://okmusic.jp/news/451815/
・坂本龍一の『千のナイフ』は若き日の“世界のサカモト”を露わに
https://okmusic.jp/news/118908
いつも傍らに音楽を…
個人的に思うのはアニメ映画『王立宇宙軍 オネアミスの翼』の音楽監督を務めた件も挙げたいし、フリクションの歴史的名盤『軋轢』(1980年)のプロデュースを行なったのも坂本龍一であることも改めて記しておきたいところではある。役者やバラエティー番組への出演もさることながら、まず本業である音楽家としての活動が多彩であり、しかも高レベルであったことは、坂本龍一を語る上で改めて強調しておかなければならないだろう。音楽を作ることも演奏することも好き過ぎて、自身と切っても切り離せないものであったのだろう。癌のステージ4の術後でありながらも演奏、制作、配信を行なったピアノのソロコンサートがその何よりの証し。何でも[亡くなる2日前の3月26日には自身が代表・監督を務める「東北ユースオーケストラ」の演奏会をオンラインで視聴し、終演後に出演者に向けて「Superb! Bravissimo(拍手×5)素晴らしかった!! よかったです。みんなありがとう(拍手×3)お疲れさまでした♪」とのメッセージを送っていた]ともいうし、活動できなくなる直前まで“神山まるごと高等専門学校”の校歌を制作していたという。闘病後、シンセに触れることで癒される気がしたといい、それが遺作である『12』につながっていったというから、坂本龍一にとって音楽とは、もちろんパートナーであり、ファミリーであったのだろうが、同時に“ライナスの毛布”だったのかもしれない。
映画『戦場のメリークリスマス』で共演したビートたけしがNHKのテレビ番組『クローズアップ現代』で、坂本龍一とのエピソードを披露していた。ロケ地の南太平洋のラロトンガ島で、土産のウナギを全部食べられてしまった坂本氏が、自分の分がなかったことを涙ながらに抗議していたと、たけしらしい笑える話に仕立てていたのだが、そこから察するに、(少なくとも若い頃は)案外、子供っぽい人だったのかも…と思う。だとすると、乳幼児が愛着を示す物のように、音楽が氏の情緒を落ち着かせていたというのは、あながち的外れでもない気もする。(※ここまでの[]はWikipediaからの引用)
https://okmusic.jp/news/151405