YMO散開後に発表された
ソロアルバム『音楽図鑑』は
多彩な楽曲群の中にも
坂本龍一らしさを確認できる秀作
シュールさと教授らしさが同居
ミドル~スローのM7「羽の林で」も何とも不思議な空気を持った楽曲。歌が入っていて、そこはメロディアスではあるものの、全体的には親しみやすさがあるというよりは、独特の浮遊感のほうが強く感じられるように思う。特に中盤(あそこは間奏という見方でいいのだろうか)の民族音楽的なパーカッションやリバースが入っている箇所は楽曲の世界観を優先させた印象ではある。ここでも山下達郎がギターで参加している。
アルバム後半、M8「森の人」は矢野顕子が歌詞を手掛けている。M7に次いでガムラン風の音が配されていて、可愛らしいと言えば可愛らしい感じだし、幻想的と言えば幻想的。途中のトランペット風のサウンドはサイケっぽい。歌はメロディーもさることながら、ボコーダーが使われているのが、いかにも坂本龍一といった印象ではある。
M9「A TRIBUTE TO N.J.P.」は中村哲のサックスが鳴らされ、そこにピアノが絡む、一見シンプルなアンサブルに思えるナンバー。しかしながら、相変わらず…と言うべきか、パッと聴きには展開が簡単に読めないので、即興演奏のような緊張感があり、これもまたひと筋縄ではいかない。タイトルとの“N.J.P.”とは坂本と親交のあった現代美術家、Nam June Paikのこと。途中で出てくる声は氏のものだ。
M10「REPLICA」もまた不思議な音楽世界。終始、カメラのシャッター音のような音が鳴り続ける中(タイプライターの音をサンプリングしたものだそうな)、低音のシンセサウンドが鳴り続けながらさまざまに変化していく。アンビエントと言えばそうかもしれない。後半ではキラキラとした音も重なってきて、明るく光が指すような印象ではあるけれど、不穏な感じは消えない。この楽曲を“REPLICA=模写、複製”と名付けた意図はどこにあったのか興味を惹かれるところである。
M11「マ・メール・ロワ」は、ひばり児童合唱団によって主旋律が歌われている。そのメロディーは決して難解なものではなく、口ずさめるものではあるのだが、背後での楽器のアンサンブルはちょっとアバンギャルド。近藤等則のトランペットは彼らしくフリーキーだし、それ以外の音も不規則に入っているような印象もあって、M9とはタイプは異なるものの、これも即興演奏に近い雰囲気はある。それを子供の歌声と合わせているところが何よりも前衛的かもしれない。
M12「きみについて」はそこから一転、軽快でポップな楽曲というイメージ。ただ、坂本龍一には確実にこういう面もあって、個人的には1980年代にNHK教育(現在のEテレ)で放送されていたテレビ番組『YOU』のオープニングに似た匂いを感じたところではある。こちらも歌詞があり、糸井重里が書いている(糸井氏は『YOU』の司会者でもあった)。歌詞はこんな感じ。
《お父さんが/子供の時/お母さんを/知らなかった/僕はまだ/君を知らない》《君の寝言/君の寝息/君のはぎしり/君の寝相》《お父さんが/子供の時/お母さんを/知らなかった/僕はまだ/君を知らない》《君の寝言/君の寝息/君のいのち/君のあくび》(M12「きみについて」)。
この歌詞を坂本自身は“恥ずかしい”と言ったそうだが、それは他の楽曲に比べて声がはっきりと聴き取れるからか、それとも、その内容に自身の想いが重なったからか。プライベートのことはあまり表に出さなかった人だけに真相は分からないけれど──。
M13「TIBETAN DANCE (VERSION)」はM1の文字通りのバージョン違い。アルバム作品らしい円環構造で『音楽図鑑』が締め括られている。メロディーが後退して、個々の楽器が順番に前に出ているような印象であり、ノーコンセプトであった本作を象徴しているようでもあって、アルバムのフィナーレとしては適切だったのかもしれない。
こうして振り返ってみても、楽曲のバラエティー感には、坂本龍一の音楽家としての前向きな姿勢が当たり前のように反映されていたのだろうし、雑多さの中にも、メロディーや音使いなど我々が想像する坂本龍一らしさはしっかりとあって、今となっては『音楽図鑑』というタイトルは上手く付けたものだとも思う。音楽家、坂本龍一を理解する上での第一線級の資料でもある。
TEXT:帆苅智之