『LINDBERG III』から考察する
LINDBERGの軌跡とその勝因
LINDBERGに至るまでの道のり
個人的には彼女のデビュー時のことはわりと覚えている。いや、恐縮ながらもはっきりと言わせてもらえば、アイドル時代の渡瀬マキ(当時は渡瀬麻紀)の楽曲はほぼ印象にないので(失礼)、デビュー間もない彼女がTVバラエティー番組に出演していたことを覚えていると言い換えたほうがいいだろうか。その番組は『正義の味方株式会社』。さらに正確に白状すれば、番組自体がどんな内容であったのかも忘れてしまったが、Wikipediaによれば[視聴者からの手紙などによる依頼を受けて彼らのもとへ赴き(主に関東地方)、隊員全員で力を合わせて様々な作業の手伝いをする模様を放送]([]はWikipediaから引用)とあるので、『探偵!ナイトスクープ』の亜流みたいなものだったものだったのだろう。出演者が全員、ツナギを着ていたような記憶も薄っすら残っている。
まぁ、その『正義の味方株式会社』は、当時絶大な人気があった『夕やけニャンニャン』の直前の時間帯に放送されていた番組なので(『正義の~』が16時30分からで、『夕やけ~』は17時00分から)、おニャン子クラブ観たさにチャンネルを合わせているところに流れてくる番組といった感じだったのだろう。いつまでやっていたのかも覚えていないが(Wikipediaによるとどうやら2クールで終了したようであるが)、小柄な渡瀬が奮闘する姿に何か感じるものがあったのか、なぜか彼女のことは記憶に残っていた。
そして、LINDBERG。最初のヒット曲「今すぐKiss Me」の発売は1990年2月だったが、この楽曲は所謂“月9ドラマ”の『世界で一番君が好き!』の主題歌として同年1月からオンエアされていたので、リリース前からその歌声は耳にしていたと思うが、その時はヴォーカルが渡瀬だとは気付いていなかったと思う。最初にそれを認識したのは彼女たちが歌番組『歌のトップテン』に出演した時。ブラックジーンズに長袖Tシャツという姿だったと思う。いかにも当時のビートパンクバンドらしい出で立ちで登場した渡瀬を見て、“おっ、彼女はあの時の!”とスワッとしたことを思い出す。番組司会の和田アキ子にアイドル歌手だったことを指摘された渡瀬だったが、“どうしてアイドルを辞めてバンドを始めたのか?”と訊かれて “嫌やったから”と関西訛りで笑って答える姿も印象的だった。
その後のLINDBERGの活躍は軽く前述した通りだが、デビュー間もなくヒット曲に恵まれたバンドではあったとはいえ、そこまでの道徳は決して平坦なものではなかったことは、渡瀬の経歴を振り返っただけでも想像するに難くない。バンドのメインコンポーザーだったと言える川添智久(Ba)のキャリアからもそれを垣間見ることができる。若かりし頃の彼のプロフィールは細かく明らかにされていないものの、氷室京介やGLAYのサポートで知られるドラマー、永井利光が「僕が宮崎から一緒に出て来て苦楽をともにした」と発言しているのを見つけた(『TOSHI NAGAI×TAKURO(GLAY)対談 TOSHI祭り!BUZZ☆DRUM~30th Anniversary & Birthday~Produced by GLAY』より)。永井のオフィシャルサイトによれば、彼が上京したのは18歳の時とある。1982年のことだろう。川添も永井と同じ年に上京したとなると、1989年のLINDBERGのデビューまで凡そ7年間を費やした計算になり、彼もまた決して楽な道のりを歩んできたミュージシャンでなかったことが分かる。
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