アジアを代表するデュオ、
CHAGE and ASKAが
彼らの時代を創造した『TREE』

『TREE』(’91)/CHAGE and ASKA

『TREE』(’91)/CHAGE and ASKA

今週は先日ASKAが脱退を発表したCHAGE and ASKAの大ヒットアルバム『TREE』を取り上げる。今回は思いのほか本文で多くを書いたので、ここではあまり説明をしないが、邦楽史にその名を残す偉大なるグループ。当初は惜別の情を込めてと記そうと思ったのだが、音源を聴き、筆を進めるうちに何とも複雑な気持ちになってきたので、それをそのまま書かせていただいた。

邦楽シーンに刻まれた功績

CHAGE and ASKA(以下C&A)からASKAが脱退した。正確に言うと、ASKAがC&Aからの脱退することをASKA自身が発表した。これが事実上の解散とか言われているけれども、1人だけでバンドを名乗っている人なんてわりといるし、外野が勝手に解散だなんだと書き騒ぐのもいかがなものかと個人的には思っている。ChageもASKAが脱退を示唆したことは認めているものの、はっきりと解散には言及していないようである(“ようである”というのは、ASKA脱退に関するChageのコメントはファンクラブ会員限定で発表されたようで、それを直接読んだわけではないからである)。C&Aは解散していない。筆者はC&Aのファンでもないし、業界的な義理もしがらみもないので、コメントを字義通りに受け取ればそういうことになる…という話だが、これまた個人的な感想を述べれば、コメントだけで“はい、おしまい”ではいささか哀しすぎるとは思う。何しろC&Aと言えば──10年間ばかり活動休止期間があったものの、日本の音楽シーン、その第一線で40年間も活動してきたグループである。

C&A(当時はチャゲ&飛鳥)のデビューは1979年。「ひとり咲き」がデビュー曲で、ASKA(当時は飛鳥涼だったか)のねばっこいヴォーカルがとにかくインパクトがあった気がする。ニューミュージック全盛の時代で、当時、次々とプロのミュージシャンを世に出した『ヤマハポピュラーソングコンテスト』の本選出場に入賞したグループであったことでも大いに注目を浴びた。1980年に3rdシングル「万里の河」がヒット。1981年には2ndアルバム『熱風』がチャート1位となり、デビュー3年目にしてシーンの頂点を極める。コンサート活動も極めて順調で、1981年には全国59公演の全国ツアーに加えて、夏の野外コンサートや学園祭ツアーも開催。1983年には大阪城ホールと代々木競技場第一体育館公演を含む37公演の全国ツアーを決行した。コンサートで史上初めて代々木競技場第一体育館を使用したのはC&Aだという。偉業を成している。アルバム『熱風』以降は若干セールスが伸び悩むも、ライヴは好調で1984年には日本武道館のステージへ。また、同じ年にChage(当時はチャゲだったはず)が石川優子とのデュエット曲「ふたりの愛ランド」をヒットさせた。それまでシングル曲ではASKAがメインヴォーカルを務めることがほとんどだったことから、どことなくその評価が定まりづらかったChageのキャラが一気に立ち、お茶の間にもそのポテンシャルを如何なく示した。

1986年には「モーニングムーン」がヒットした。前述の通り、1981年以降は(少なくともシングル曲においては)ヒットに恵まれなかったC&Aであったが、レーベル移籍と同時に新曲をチャート上位にぶち込んだのは流石だったと言える。個人的には、それまで“フォーク演歌”と呼ばれていたような作風をぶち破ったことも鮮明に記憶している。その後、1987年に発売したベストアルバム『SUPER BEST』が3年間もチャートにランクインし続けるロングセラーとなった上、1988年にシングル「恋人はワイン色」が彼らにとって初めてドラマ主題歌に起用されるなど、着実に活動の幅を広げていく。

あと、この時期のC&Aで押さえておかなければならないトピックは、男性アイドルグループ、光GENJIへの楽曲提供であろう。デビュー曲「STAR LIGHT」、2ndシングル「ガラスの十代」を含むデビューアルバム『光GENJI』。その収録曲は全てC&Aによる書き下ろし。[ジャニーズ事務所のタレントが作家を統一してアルバムを発表することは非常に珍しい]そうであるし([]はWikipediaからの引用)、これはちゃんと調べたわけではないので間違いであるとしたら先に謝っておくけれども、ジャニーズ事務所が歌謡畑の職業作家ではなく、フォーク、ロックの現役アーティストががっつりとその楽曲を手掛けたのもおそらくはC&Aが初めてであったであろう。SMAP、TOKIO以降(たぶん)、現役アーティストがジャニーズ事務所所属グループに楽曲を提供することも珍しくなくなったけれど、そのブレイクスルーはC&Aが担ったことになる。

アジアを代表するグループへ

そして、C&Aの歴史に“スーパースター期”とでも言うべき時代が到来する。1991年の「SAY YES」の特大ヒットである。デビュー12年目にして初のチャート1位を獲得しただけでなく、13週連続1位となってダブルミリオンを記録。現時点でその売り上げは280万枚を超えて歴代でも7位であり、まさに歴史に名を残すグループへと登り詰めた。同じ年には14thアルバム『TREE』も1位を獲得。その後、1992年のベスト盤『SUPER BEST II』と15thアルバム『GUYS』、29thシングル「if」、1993年の16thアルバム『RED HILL』と31stシングル「YAH YAH YAH/夢の番人」、1994年の35thシングル「HEART/NATURAL/On Your Mark」と36thシングル「めぐり逢い」、そのいずれもがミリオンセールスを記録した(『TREE』、『SUPER BEST II』、「YAH YAH YAH/夢の番人」はダブルミリオン)。

音源の爆発的なセールスに伴って1992年以降はコンサートツアーもアリーナ中心となるが、国外にも積極的に乗り出した。1994年と1995年に香港、シンガポール、台湾で、1999年に中国、2000年に韓国と、アジア各国で公演を実現させている。中国公演で言えば、C&Aに先駆けて、1997年にASKAが、1998年にはChageがそれぞれソロコンサートも開催している。

音源、ライヴ活動以外で特筆すべきは、1996年の『MTV Unplugged』へ出演だろう。この番組は海外の一流アーティストがアコースティックでの演奏を披露するショーで、あまりアコースティックのイメージがないEric ClaptonやNirvana、Jimmy Page&Robert Plantらの出演が話題となった。その番組にC&Aはアジア出身者として初めて出演した。現在のところアジア人で唯一の出演者である(MTVジャパン制作を除く)。その年に出演した他のアーティストにWham! のGeorge MichaelやOasis のNoel Gallagherがいたことを考えると、そこにC&Aは名を連ねたわけで、これは相当な偉業であったと言える。その後、Chaka KhanやCulture ClubのBoy GeorgeがC&Aのナンバーを歌ったトリビュートアルバム『one voice THE SONGS OF CHAGE&ASKA』もリリースされ、少なくともこの年、彼らの活動はワールドワイドとなったと言って間違いない。勢いに任せてC&Aのプロフィールを書き連ねてしまったらかなりの分量になってしまったが、彼らの足跡がそれだけ濃厚であった証左であろう。しかも、ここまでで凡そC&Aの経歴の半分を紹介しただけだ。それだけでも彼らが如何に偉大なグループであるかが分かろうというものでなかろうか。

OKMusic編集部

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