【ライヴアルバム傑作選 Vol.2】
ソウル・フラワー・
モノノケ・サミット
『アジール・チンドン』は
阪神淡路大震災の被災地から生まれた
日本の流行歌の正統なる後継

『アジール・チンドン』('95)/ソウル・フラワー・モノノケ・サミット

『アジール・チンドン』('95)/ソウル・フラワー・モノノケ・サミット

トルコ・シリア地震での被害状況をテレビで見るにつれ…というか、正直言って正視に堪えない画も多く、何とも言えない気持ちになっているところである。筆者自身も日本で大きな地震を体験する度、辛い気持ちにならざるを得なかったことが思い起こされる。現地ではまだ被害状況も完全に把握し切れないような大惨事ではあるので、一日も早く平穏な日が…なんてことを言うのは早計であろうから、まずはさまざまな救援が行き渡ることを祈りたい。今週、紹介する『アジール・チンドン』は1995年の阪神淡路大震災をきっかけに生まれた作品。スタジオ収録曲もあるが、大半がライヴハウスで収録されていることもあり、【ライヴアルバム傑作選】として紹介する。

慰問ライヴで醸成された楽曲

この『アジール・チンドン』は真の意味で、初めて日本のストリートから生まれた日本のロックと言えるのではなかろうか。ストリートには“通り”とか“街”という意味もあることで言えば、そこには通りはおろか、街すらも形を成していない状態ではあったので、現密に言えば、ストリートという言葉を使ってはいけないかもしれない。よって、ここで言うストリートとは路上であったり、巷であったりを思い浮かべてもらえれば幸いである。ヒップホップでのストリートは“現場”という意味で用いられることがあるそうなので、こちらのほうがベターかもしれない。

本作が録音されたのは1995年夏から秋にかけてであるが、収録曲が醸成されていったのは1995年2月以降のことである。同年1月17日に発生した阪神淡路大震災。その被災地で行なわれた慰問ライヴにて披露された楽曲群だ。披露というと、自分たちの持ち歌、予め決まったレパートリーを演奏したものと思われるかもしれないが、それだけでなく、慰問ライヴに集まった人々から教わった楽曲も相当数あったという。集った人たちは高齢者も多かったというし、何しろ被災者であるから、楽器を持ち寄って丁寧に楽曲を教えるなんてことはなかっただろう。口伝も多かったに違いないし、サビのメロディーだけ教わってそこから楽曲に仕上げていったものもあったかもしれない。そう考えると、ソウル・フラワー・モノノケ・サミット(以下モノノケ・サミット)の楽曲は、まさに“現場”で“醸成”されたものだと言える。本作発表時点でのレパートリーは50曲以上あったそうで、『アジール・チンドン』にはその中から選りすぐりの9曲が収められている。

ご存知の方も多いとは思うが、まずは本作ならびにモノノケ・サミットの経緯を改めて記す。モノノケ・サミットは、ソウル・フラワー・ユニオン(以下SFU)の別ユニット。念のために説明すると、SFUは1993年にニューエスト・モデルとメスカリン・ドライヴの統合という形で結成されたバンドで、この時点で2枚のオリジナルアルバムを発表していた。

SFUがどういうバンドであるか。乱暴に説明すると、その音楽性はミクスチャーと言うことができる(本来であれば過去の記事を引用するのがいいのだろうが、当コラムではかつてSFUを取り上げていなかった…。その内、書きます)。そう言うと、パンク+ヒップホップ辺りを想像させるかもしれないが、彼らの場合はそうではない。それだけに止まらない。かなり広義のミクスチャーだ。Wikipedia先生の力をお借りすれば、[日本列島周辺に住む民族の民謡(ヤマト、琉球、朝鮮、アイヌ等)や大衆歌謡(壮士演歌、労働歌、革命歌等)、アイリッシュ・トラッドやロマ音楽などのマージナル・ミュージックをロックンロール、リズム・アンド・ブルース、スウィング・ジャズ、サイケデリック・ロック、カントリー、レゲエ、パンク・ロックなどと融合させた音楽を展開]とある([]はWikipediaからの引用)。しかも、それら雑多な音楽を単に合わせるだけではなく、実に巧みに編み上げているというか、多彩な音楽性を違和感なくシームレスに重ね合わせている。簡単にミクスチャーという言葉を用いたが、これはもうハイブリッドと言ったほうがいいだろう。そういうバンドである(ちなみに、SFUの前身であるニューエスト・モデル はそれぞれ当コラムでも紹介している)。
■『CROSSBREED PARK』/ニューエスト・モデル
https://okmusic.jp/news/68162/
■『スプーニー・セルフィッシュ・アニマルズ』/メスカリン
・ドライヴ
https://okmusic.jp/news/100106/
そんなSFUが始動してから1年数カ月後、彼らの活動拠点でもあった関西を大震災が襲う。そこから1カ月ほど経った頃、メンバーのひとり、伊丹英子が被災地でライヴを行なうことを発案。被災地で暮らす人たち、とりわけ高齢者にとって今必要なものは娯楽であろうという想いがそこにはあった。メンバーも快諾した。しかし、まだライフラインさえもままならない場所も多く、彼らが普段使っている電気を用いる楽器の使用は憚られる。そもそもアンプは持ち運びにも難儀だ。必然アコースティック楽器での編成となる。メインヴォーカルの中川 敬はエレキギターを三線に持ち替え、ドラムはチンドン太鼓や朝鮮の打楽器である“チャング”、キーボードはアコーディオンとなった。歌は当初メガホンを用いたそうだが、さすがに演奏に負けて、拡声器に変わったという。その辺も“現場”で培われたものと言えそうだ。モノノケ・サミットはそんな形でスタートした。

OKMusic編集部

全ての音楽情報がここに、ファンから評論家まで、誰もが「アーティスト」、「音楽」がもつ可能性を最大限に発信できる音楽情報メディアです。

連載コラム

  • ランキングには出てこない、マジ聴き必至の5曲!
  • これだけはおさえたい邦楽名盤列伝!
  • これだけはおさえたい洋楽名盤列伝!
  • MUSIC SUPPORTERS
  • Key Person
  • Listener’s Voice 〜Power To The Music〜
  • Editor's Talk Session

ギャラリー

  • 〝美根〟 / 「映画の指輪のつくり方」
  • SUIREN / 『Sui彩の景色』
  • ももすももす / 『きゅうりか、猫か。』
  • Star T Rat RIKI / 「なんでもムキムキ化計画」
  • SUPER★DRAGON / 「Cooking★RAKU」
  • ゆいにしお / 「ゆいにしおのmid-20s的生活」

新着