『m.c.A・T』は
日本ヒップホップシーンを加速させた
音楽史上での重要作であると思う
ブラック、ダンスの潮流から生まれた
そう言われもピンとこない人がどのくらいいらっしゃるか分からないので、説明しよう。“FUNKAHIPS~”とは、1986年にデビューして一気にメインストリームに昇り詰めた久保田利伸を中心に、当時の新進気鋭のブラックミュージック、ダンスミュージックのアーティストが集まったグループのことだ。久保田とAMAZONSのプロデュースでもあった石谷仁氏が“日本のモータウンを作りたい”と1988年に発足させた“NEW BLOOD”が前身で、1989年に“FUNKAHIPS~”と改名し、ライヴ活動を中心に、シングル「OUR SONG」を発表している。参加メンバーは久保田利伸&MOTHEREARTH、AMAZONS以外に、GWINKO、DA BUBBLEGUM BROTHERS、清水美恵、DALE SANDERS、ROLLETTA HEYWOODらで、初期には米米CLUBもライヴに参加したという。そこに名前を連ねていたのが富樫明生である。1988、1989年というと日本のヒップホップも黎明期も黎明期なら、ブラックミュージックという括りで言っても、それこそ、メインストリームでヒット曲を出していたのは久保田くらいで(DA BUBBLEGUM BROTHERSの「WON'T BE LONG」の発売は1990年)、それ以前のSHANELS~RATS & STARを加えても、まだまだ小さなカテゴリーであったと言っていい。それゆえに“FUNKAHIPS~”なるグループが作られたところがあると思うが、m.c.A・T以前から富樫明生は日本の音楽の潮流をその只中で見ていたことになる。富樫名義で活動していた頃から歌うだけでなく、コンポーズ、サウンドメイキングも行なっていたわけで、その流れをいち早く自らの音楽に取り込んでいったことは容易に想像できる。“FUNKAHIPS~”は一度全国ツアーを行なったのち、シングルを発表して以降、グループでの活動は縮小していったようだが、そこに参加していた富樫明生からm.c.A・Tが生まれたことを考えると、その功績は少なくないだろう。とりわけ、ここまで再三言ってきた『m.c.A・T』収録曲でのメロディー強調のスタイルは、ブラックミュージックの同士たちとの交歓の影響はあったと考える。
TEXT:帆苅智之