高野 寛が『CUE』で示した
“虹の都”とは
アーティストとして理想郷だった
ヒット曲後も基本的スタンスを変えず
俗に言う職業作家を起用したりして楽曲制作に専念できる人が演者とは別であったり、さらにその作家がリリース毎に替わっていったりすれば量産も可能かもしれない(それにしても、楽曲の発売タイミングや宣伝など戦略部分もかなり重要だし、演じるほうにも相応の努力は必要であるから、ひと筋縄ではいかないのだろうけれど…)。だが、自作自演する人たち、いわゆるアーティストと呼ばれる人の場合、相対的に仕事量(?)が多いわけで、素人考えでもヒットを連発するのは相当に大変なことは分かる。当然、肉体的、精神的な負担も余計にあるだろうし、そう考えると、活動休止とか、最悪のケースとして解散や引退なんてことも止む無しとも思えてくる。そもそもデビュー以来、数カ月毎に作品を発表し続け、その全てが大衆からの支持を得ているアーティストなんていないわけで、少なくとも聴き手がヒット曲を連発することを期待してはいけないんじゃないかな──そんなふうにも思えてきた。
まぁ、よくよく調べてみると、一発屋と言われる歌手やバンドは、大ヒットした楽曲のインパクトが強烈すぎて、それ以降の楽曲がある程度売り上げていたり、アルバム作品はコンスタントにセールスを記録していたり、あるいはライヴコンサートは着実に動員しているにもかかわらず、その大ヒット曲ばかりが取り上げられることで、一発屋と呼ばれることがあるようだ。つまり、真の意味で一発屋ではないのである。芸人の場合、持ちギャグがテレビでもてはやされたのち、その芸人さんをテレビで見掛けなくなると一発屋と呼ばれることが多いようで、その中には本当にフェードアウトしていった人たちも少なくないようだが、最近では自らを自虐的に一発屋とあざけりながらも、執筆活動など過去その人が示した芸事とは別のスキルを見せる人たちも増えている。それで再びメディアに取り上げられたりしているのだから、これもまた決して真の一発屋とは言えない存在ではある。マルチな活動を実践しているのは確かな才能の証である。
話がズレたので戻す。デビュー時やそれに近い時期にヒット曲を出したのち、大きく大衆からの支持を集めることがなかったため、世間からは一発屋的な見られ方をしつつも、自身の基本的なスタンスを変えることなく、創作活動を続けているアーティストもいる。高野 寛はそのひとりと言えるであろう。1990年に発表した4thシングル「虹の都へ」がチャート2位を記録。続く5th「ベステン ダンク」も3位となり、広く巷にその存在が知れ渡った。1992年にはORIGINAL LOVEの田島貴男とのコラボレーションシングル「Winter's Tale 〜冬物語〜」をリリースして、こちらもスマッシュヒットさせているが、1990年代半ばからはチャートとは無縁となっている。音楽活動をしていないかと言えばそんなことはなく、ベスト盤も含めるとコンスタントにアルバムを発表している。デビュー30周年記念のオリジナルフルアルバム『City Folklore』をリリースしたのは前述の通りである。一部ネット内では“1990年代の一発屋”といった見方をされている向きもあるようだが、もしそう思っている人がいるのなら、それはとんでもない話。傍から見る限りでは、理想的と思える活動を展開しているアーティストである。