【ライヴアルバム傑作選 Vol.10】
アリスの偉大さを実感できる
『栄光への脱出〜武道館ライヴ』
雑多で多岐に渡る音楽性
また、このコンサートではストリングスも配されているので、随所で聴こえてくる弦楽奏が楽曲の世界観を広げている。M5「誰もいない」ではストリングス入りのスタジオ音源(『ALICE II』収録)を忠実に再現しているし、M16「帰らざる日々」と、アンコールで披露されたM17「カリフォルニアにあこがれて」とはタイプは異なるが、それぞれにストリングスが別種の緊張感を楽曲に与えてる。この辺も相当面白い。そうかと思えば、M8「走っておいで恋人よ」やM14「砂の道」といった、しっかりとアコギのアンサンブルを聴かせる楽曲もあり、この公演が実に表現力豊かなコンサートであったことも分かる。インパクトの強さで言えば、M13「砂塵の彼方」が白眉だろう。谷村の朗読から始まり、そこにSEで戦闘機と思しき音、爆発音、兵隊が行進する音──軍靴の音が重なっていく。そして、歌が始まる。歌詞は以下のような内容である。
《外人部隊の若い兵士は/いつも夕陽に呼びかけていた/故郷に残してきた人に/自分のことは忘れてくれと》《不幸を求めるわけじゃないけど/幸福を望んじゃいけない時がある》《いつも時代は若者の/夢をこわして流れてゆく》(M13「砂塵の彼方」)。
一見プロテストソングのようにも思える、メッセージ性を帯びた歌詞ではあろうが、“戦争反対!”と言っているわけでもないし、《外人部隊の若い兵士》に寄り添えと促しているわけでもない。楽曲終わりのMCでもその辺は明確に語ってない。ゆえに、この楽曲が何を示唆しているかを筆者如きが軽々と語るべきものではないけれど、バンドサウンド、ブラス、ストリングス、さらにはSEまでも駆使して、楽曲にある“何か”をライヴで表現し、観客(引いてはリスナー)に伝えようとした、アリスの表現者としてのスタンスを見事に閉じ込められた一曲であることは強調しておきたい。
最後に、このアリスの武道館公演が開催された時期を境にライヴコンサート自体もまた変貌していったのでは…の件に軽く触れていきたい(軽く…というのはあくまでも個人的な考察だからです)。まず、最初がM1「Overture:栄光への脱出」であること。Ernest Gold作曲の映画『栄光への脱出』の劇伴である。歌はないので、オープニングSEと言ってもいい。当時、他にもこうしたオープニングを採用したアーティストは案外たくさんいたかもしれないけれど、同時期の他のアーティストの主だったライヴ盤を聴く限りでは、このようなものは収録されていないので、アリスのやり方は、少なくともメジャーどころでは、早かったとは想像できる。以前、当コラムで『CASANOVA SAID “LIVE OR DIE”』を紹介したTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTは、オープニングでFrancis Ford Coppolaの映画『ゴッドファーザー』のテーマ曲を使っていたし、今は定番のSEを持っているアーティストは多いようだ。それが即ちアリスの影響だとは言わないけれど、アリスはのちの傾向を先取りしていたと言えるとは思う。
M20「10000人の讃歌 -FBC組曲"WE ARE NOT ALONE"より- "WE ARE TOGETHER"」でのオーディエンスのシンガロングもまた昨今のコンサートに近い光景を想像した。1960年代のフォークコンサートでも観客同士が肩を組んで合唱…といったこともあったようなので、それ自体が早かったとか言うつもりはない。しかし、ここで観客を煽る谷村の姿は後輩のアーティストたちが自身のコンサートで参考にしたのではないか。引いてはコンサートの盛り上げ方のひな型のひとつとなった可能性はあったのではないかと思う。谷村が“立ち上がって歌ってください”と言っているのは、椅子が設置されたホールであっても終始スタンディングということも多い現代のコンサートでは聞かなくなったMCではあると思うが、演奏なしでシンプルなメロディーをリフレインする観客を“もっと!”“もっと!”と煽り続ける光景は、誰ということはなく、いろんなアーティストのコンサートで見てきた。谷村は“手をつなぎましょう”とも言っているから、おそらく観客同士は手をつなぎ合わせたのだろう。これと似たようなことも、とあるバンドのライヴで見たことがある。そこもまたアリスが先駆者だったとは言わないけれど、『栄光への脱出〜武道館ライヴ』は、今もなお古びない、アリスのライヴバンドとしてスタンスが刻まれてることは間違いない。
TEXT:帆苅智之
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