倖田來未、ブレイク期の
アルバム『Black Cherry』で
“エロかっこいい”とは
何だったのかを改めて考える
意外にも歌詞は“エロ”成分が少なめ
《信じたかったんだ/あなたが王子様だと/どれだけ 愛で確かめあったのに/悲しみの海で溺れそうな想い 今は/あたしは おとぎ話の/人魚姫 Tired》《当ての無いあたしは/ユラユラ 人魚のように/行き先決まらないまま どうすればいい?/約束したじゃない!??/Happy endじゃないの?もう/あたしは 結ばれない/人魚姫 Tired》(M3「人魚姫」)。
《君のすべてを/誰よりも そう/こんなに想っているのに/また今日も一人/目が覚めたなら/叶わない夢 知りながら/君に溺れてく》《今も捨てられない/君の ライターや タバコのかけら/また時間が たてば すねながら 君が/帰って くる様な 気がして》(M4「夢のうた」)。
《夜になるとほんと/切なさが ぎゅっと/どうしようもなくて》《一番近くにいたはずだったのにね/もういない》《あなたが これから/守ってゆく あの子へ/ふたりで これから/キャンドルライトを/灯していてね》(M10「Candle Light」)。
《寂しいと想う夜に/雪となり 空から舞い降り/君のこと包み込む/今すぐ抱きしめるから/忘れないで/ふたり過ごした時間を…》《守るべきものを/やっと見つけたのに/近くにいるのに守れない/夢と現実 交差する》(M13「運命」)。
エロくないばかりか、M4などはストレートにカッコ良いと言えない様子も描いている。もっとも、M7「恋のつぼみ」、M11「Cherry Girl」、M12「I'll be there」など、それらの対極とも言うべきアグレッシブな姿勢を綴ったラブソングもあるので、明暗のバランスがどちらかに偏っているわけではないのだが、いずれにしてもエロくはない。そこは意外だった。ある意味で全方位的と言えるかもしれない歌詞世界は、はっきり言えば、ちょっと拍子抜けだったかもしれない。しかしながら、それを“女性らしい”と言ってしまうのはこの令和の世においてはご法度なのだろうが、その柔らかな描写を発見できて良かったとも思う。多分、“エロかっこいい”の“エロ”≒“エロス”は中年オヤジが想像するようなものではなく、性愛寄りのラブと言った認識でいいのかもしれない。そこにはリビドーがなくはないけれど、『Black Cherry』においてはそれが前面に出てはいないのは間違いないし、彼女側もそういう認識だったであろう。