ティン・パン・アレー
『キャラメル・ママ』は
音楽の達人たちが遺した
レジェンド級アルバム
垣間見えるのちにつながる嗜好
M7「ソバカスのある少女」はタイトルからして松本 隆っぽく感じるのは気のせいだろうか。個人的な印象を言えば、鈴木のメロディーと歌声の柔らかさ、流れるように進むたおやかなリズム、夏の夕暮れを感じさせるようなサウンドからは、元はっぴいえんどのもうひとり、大瀧詠一の雰囲気を感じなくもないが、これは気のせいだろう。よくよく聴けばそのバンドアンサンブルはかなり興味深い絡みを示しているものの、どのパートもこれ見よがしな演奏を見せないので、ややキャッチーさに乏しい感じではあるが(M3もそうだったが)、そこがまた大人な印象でカッコ良い。これもまたAOR。ここでもM2、M3のようなコントラストが感じられるのが面白い。
そこから一転、M8「ジャクソン」ではパンチの効いたイントロが聴こえてくる。英語詞のブルースロックで、タイトルが米国ミシシッピ州の街の名前──そう言うとデルタブルースを想像するかもしれないが、特有のいなたさはなく、十分にポップだ。ベースラインがグイグイと楽曲を引っ張り、バイオリンが楽曲を彩る。ギターのカッティングも相当なものだ。歌は松任谷が担当しているが、楽曲のタイプが異なるゆえか、M4とは赴きが異なって溌剌とした感じであるのが面白い。そこだけでもアレンジャーとしての氏の手腕がうかがえるかもしれない。
M9「イエロー・マジック・カーニバル」はタイトルで分かる通り、細野ナンバー。のちのYMOにつながる氏の嗜好を垣間見れる。楽曲のベーシックはスカだろうか。2ビートの緩やかなリズムに中華音階(≒ペンタトニック)を取り入れたり、ストリングスや木琴、スチールドラムなどでアジアンエスニック感を出そうとしていたりするアイディアがお見事。比類なきAORに仕上がっている。ご存知の方もいらっしゃると思うが、この楽曲はのちにMANNAという女性アーティストがカバーしている。そのアレンジは鈴木 茂が手掛け、彼女の1stアルバムのプロデュースを行なったのは林 立夫だ。
さて、つらつらとアルバム収録曲を紹介してきたが、ここまで話さなかったM1「キャラメル・ラグ」とM10「アヤのバラード」とがバンド名義の編曲となっている2曲である。M1が2分ちょっと、M10は1分30秒ちょっととともに短いナンバーで、単なるプレリュード、コーダという側面もあるが、これがあるかないかでアルバム『キャラメル・ママ』の性格も印象も変わると思う。M1は文字通りのラグタイムで、松任谷の作曲であるがその旋律をなぞるという感じではなく、その旋律を基本に、メンバー4人が気ままに演奏したセッションという面持ち。ジャジーでファニー。ファンキーでグルービー。ピアノで始まって徐々に他の楽器が揃い、躍動感のある演奏が繰り広げられる。
アルバムはその後、前述したように各人のプロデュースの下でバラエティー豊かなナンバーが披露されていくわけだが、M1ではその根幹にあるのは4人で演奏した時に生じる愉悦であることを示しているようである。松任谷の雄たけび=“Voice of Tarzan”を始め、一聴すると楽曲にそぐわないように思えるSEは、フリーキーな精神の表れだろうし、音楽作品作りに決まり事がないのを示唆しているようにも思える。
そして、楽曲群の果てに辿り着く、細野作曲のM10「アヤのバラード」はバンド名義ではあるものの、(エレピの他、シンセもいくつか重ねているが)演奏は松任谷のみである。おそらくアルバムのフィナーレとして収まりがいいところもあって、こういう落ち着いたナンバーを入れたのだろうが、これを収録するのがバンドとしての総意であったことに他ならない。全員で演奏するのもバンドなら、ひとりで演奏した楽曲をバンドのものとすることを全員で決めたのならそれもバンドの音になる。それはM2、M3でも示された通りだ。演奏せずとも分かり合えるものがあるということだろうか。そう思うと、武術の達人のような音楽家たちだ。ティン・パン・アレーとはそんな達人たちの集いであり、『キャラメル・ママ』はその当時のケミストリーを閉じ込めた作品なのである。
TEXT:帆苅智之