まだCDがなかった頃…日本で初めてミ
リオンセラーを達成したアルバムが『
氷の世界』だ
今でこそ、井上陽水の名前を知らない音楽ファンはいないだろうが、1972年の時点では陽水もまだ若手だったため、熱心なファン以外には知る人ぞ知る存在であった。しかし、彼の4枚目のアルバムとなる『氷の世界』が73年の終わりにリリースされると、どんどん売上げが伸び、2年経った頃には日本初のミリオンセラーを達成してしまった。一躍、彼の名は全国にとどろき、大スターの仲間入りを果たすことになる。100週以上もベストテン内にあり、ロングセラーになりミリオンセラーにもなったというわけだ。これは、本作が極めて優れた作品であるからこそ成し得た成果だと言えるだろう。現在のJポップ界では、リリース後(もしくは予約で)爆発的に売れるものの、半年ほどで忘れられるものが少なくない。長い間チャートに残る作品は、一生付き合っていけるほどの秀逸なものが多いが、中でも『氷の世界』は群を抜いているので、ぜひ聴いてみてほしい。
1970年代初頭の日本は、どんな雰囲気で
あったか…
また、73年には「第1次オイルショック」が起き、それまで経済成長を続けていた日本にとっては大打撃となった。これらの数々の事件が一般大衆に与えた影響は計り知れず、大いなる閉塞感が日本全体を包むようになっていく…。
『氷の世界』のリリース
そして、73年の終わりに『氷の世界』がリリースされると、多くの人たちがむさぼるように、この作品を聴くことになるのである。陽水自身、おそらく無意識に自分の心の“そのまま”を本作で表現したのだと思う。だからこそ、彼の嘘のない姿を多くの人が愛したと言えるのではないだろうか。
1970年代初頭は、よりパーソナルな歌へ
の移行期でもあった
また、吉田拓郎や井上陽水はフォーク出とはいえ歌謡曲との接点も多く、実際に歌謡曲の歌手に自作曲を提供することで、ジャンルのバリアーを取り去ったことも、Jポップの進化に大いなる影響を与えた。例えば、安全地帯や奥田民生らをはじめ、スガ シカオなどは陽水の直接的な影響が感じられるが、70年代中頃以降のJポップのミュージシャンで、彼の影響を受けていない人を探すほうが難しい。
『氷の世界』収録曲
2曲目「はじまり」は、軽快でポップなメロディーを持つ曲で、次の曲とのつなぎとしての役割をもっている。<br />
次の「帰れない二人」は、忌野清志郎(2009年5月逝去)との共作で、名曲揃いのこのアルバムの中でも、特筆すべき名曲である。ムーグやメロトロンといった、当時最新のシンセサイザーの使用や、細野晴臣(元はっぴいえんど)の秀逸なベースプレイなど、楽器を演奏する人間にとって、大いに参考となるアイデアが随所に詰まっている。
ここまでの3曲は切れ目なく続くのだが、このあたりは、当時の洋楽によく見られたトータルアルバム的な表現をイメージしたものだと思う。
「チエちゃん」と次の「氷の世界」でのアレンジ(ストリングスとホーン)は、ストーンズやエルトン・ジョンの編曲を手がけたニック・ハリソンが担当している。和と洋のテイストがうまく融合されていて、どちらも良質のポップスに仕上がっているが、特に「氷の世界」は、スティービー・ワンダーの「迷信」を思わせるリフと熱いバックコーラスが、黒っぽいグルーブを生み出している。これらは、ロンドンで録音されている。
「白い一日」は、後に「シクラメンのかほり」(’75)で日本中にその名を轟かせた小椋佳が歌詞を担当、彼自身も74年にこの曲をシングルリリースしている。作曲は陽水なのに、なぜか小椋佳を思わせるメロディーになっているのが不思議。7曲目の「自己嫌悪」も「白い一日」と似た曲想で、四畳半フォークのテイストが感じられるところに、陽水の出自が見え隠れする。
「待ちぼうけ」は「帰れない二人」と同じく忌野清志郎との共作で、キャッチーなメロディーを持つ小品。次の「桜三月散歩道」「Fun」まで、「心もよう」の衝撃を緩和するために配置されているのかと思うほどポップな感覚を持つ曲が続き、これらの曲では陽水がビートルズに影響されているのがよく分かる。
「小春おばさん」は和風のテイストがしっかり感じられる曲で、幻想的な歌詞の内容と、壮大なアレンジ(これもロンドン録音のせいだろうか)に少し違和感を覚えるが、それまでになかった新しいスタイルの曲で、“歌詞が難解だ”と言われる、陽水の特徴がよく出たナンバーだと思う。
そして、当時、日本でも絶大な人気のあったクロスビー・スティルス・ナッシュ・アンド・ヤングの影響も感じられる「おやすみ」でアルバムは終わる。ペダルスティールギターが使われており、カントリーっぽく、優しく包みこむようなそのサウンドは、最後を飾るにふさわしい曲である。
著者:河崎直人
アーティスト