【竹原ピストル インタビュー】
昔の話をしているように
歌ったような気がする
竹原ピストルからニューアルバム『STILL GOING ON』が届く。コロナ禍でリリースタイミングの調整を余儀なくされたものの、ここまでの“旅=ライヴ活動”で生まれ、培われてきたナンバーが詰まった作品集である。本作から垣間見える竹原ピストルらしさ、そして彼が考える“これから”についてストレートに訊いてみた。
“この曲はこういう歌だと思う”
というものは十人十色
アルバム制作においては、アルバム用の曲作り期間を設ける人と、ある程度溜まった曲をアルバムにまとめる人がいるようですけど、竹原さんはどちらのタイプですか?
後者ですね。“曲が溜まったし、この中からアルバムを作りましょう”みたいな感じがずっと続いてきました。
今作で10枚目、メジャーで6枚目となりましたが、これまでも同じ感じですか?
ずっとそうですね。インディーズ盤から数えて10作目になるんですけど、9作目までは一年に一枚といった感じで毎年出していたので、新曲がだいたい一年で10曲くらい溜まる計算だと思います。
ただ、今回はそのペースが少し変わったという。
この10枚目も早い段階で曲は溜まっていたんですけど、コロナ禍でスタッフが集まることもできないし、いつレコーディングができるか分からなかったから、出すにしても“いつ出せばいいんだろう?”とか“出したところで全国ツアーはできるのか?”とかで、いろいろとタイミングを図っていたことがその原因だと思います。
コロナ禍でレコーディングの行程に不具合が生じたようですけど、曲作りそのものには影響はなかったんですか?
それはないですね、ペース的な意味合いにおいては。ただ、コロナ禍が歌唄いの生活みたいなもの…歌詞の内容に作用してくるというか、そういうのはあると思いますけど、それはごく最近書いた歌たちのことなので。
今作の収録曲に関してはコロナの影響はないと?
となると、ストレートにおうかがいしますが、竹原さん自身は今回の『STILL GOING ON』はどんなアルバムになったと振り返りますか?
質問の答えになっているか分かりませんけど、旅の描写のある曲が多いじゃないですか。自由に全国のあちこちを飛び回っていたことを描写したようなものが。それをこのコロナ禍でレコーディングしたので、ちょっと懐かしくなっちゃったんですよね。“あんな日々がずいぶん遠くに感じるなぁ”なんて懐かしみながら、惜しみながら…という心境で歌ったので、ちょっと不思議な感じがしました。昔の話をしているように歌ったような気がするし。だけど、新しいアルバムだし…みたいなところがちょっと歪というか(笑)。
曲名を挙げますと、「南十字星(はいむるぶし)」は沖縄のことを歌ったものですし、「Float Like a Buttrefly, Sting Like a Bee !!」は具体的にどこかの土地を歌ったものでないものの、旅を感じさせる内容ではありますね。これは私の感想ですけど、今作には竹原ピストルというアーティストの変わらない部分と、変わっていく部分の両面が入っていると思うんです。変わらない部分は、それこそ野狐禅の頃から竹原さんが持っている要素。変わっていく部分は現代的な要素と言ったらいいでしょうか。個人的にはそんなことを感じました。
自覚している範囲で“変わった”と思うのは、平たく言うと“一概には言えない”という幅ができたことだと思います。野狐禅の時は良くも悪くも“こう思う!”みたいな一択がドーンとあったんですけど、いろいろな経験をして、いろいろな人と触れ合った旅の中で、“いや、一概には言えないな”と。そうなってくると、どんな人が聴いたとしても人それぞれの余韻が持てるというか、曲を聴いて“この曲はこういう歌だと思う”というものは十人十色であるほうがいいと思っているところがあるので、そういう気持ちはひょっとしたら作用しているのかもしれないですね。
歌詞は聴く人によって受け取り方が変わるようなものではあると思いますし、あえてそういう作り方をされているのかなという印象が強かったです。
そうですね。そのほうが今の自分は嬉しいと思っていて。野狐禅の時は“この歌はこういう歌だから、そういうふうに聴いてくれたら嬉しい”というのがはっきりとしていたけど、今はいろんな受け取り方をする人がいるほうが嬉しいですね。それは“自分でもこんな歌詞が書けないかな?”と憧れている歌詞が作用しているとは思うんですけど、やっぱり憧れているものは広いんですよね。例えば、eastern youthさんは昔からすごく尊敬しているし、大好きなんですが、吉野 寿さんの書く歌詞って…もちろん曲によりますけれども、風景描写だけでガーン!と感情が伝わってくるんですよ。でも、風景描写だから聴いた人それぞれが描く感情は違うわけで、“あぁ、自分もこういう幅が持てないかな?”とか。あと、童謡の歌詞を見てみたりとか。《しゃぼん玉飛んだ〜》という歌詞にしても、最小限の言葉を並べただけで、聴く人には膨大な風景が飛び込んでくる。“俺もこういうの書けないかな?”っていう憧れはあるけど、まだ全然到達してないし、追求している途中というか…
まさに“STILL GOING ON”なんですね。
恐縮ながら、私が“変わっていない”と感じたのは、まずメロディーですね。竹原ピストルというアーティストをフォーキーなシンガーと見る人は多いと思うんですけど、私はそう思ってなくて、フォークソングというよりも、J-POP寄りと言っていいし、親しみやすくメロディーを有していると方だと思うんですよ。今作で言えば、「とまり木」がまさにそうで、この辺の抑揚や展開は野狐禅時代から変わらないと思ったところではあります。
それは面白いなぁ。全然、自覚してなかったです。でも、そう言われるのは嬉しいですね。
一度聴いただけで、一緒に口ずさめてしまうポップさがあると思うんですよ。
それは、フォーク…1970年代のフォークを昔から聴いてなかったからじゃないですかね。野狐禅を始める前に聴いていた音楽は決してフォークじゃないし、J-POPも聴いていたし、THE BLUE HEARTSさんも好きだったし、長渕 剛さんも好きだったし、それでギターを覚えて何となく作ったオリジナルソングをやり始めて。
オリジナルをやり始めたばかりの頃はフォークソングの影響もあったけれども…ということですね。
そうですね。生まれ育ってきた場所というか、“何を以て俺たちは野狐禅か?”みたいな部分で“フォーク小屋で育った”というところのバックボーンが意識的にも無意識的にも混ざり込んできたのかなと思います。