「キャプテン翼」キービジュアル

「キャプテン翼」キービジュアル

【前Qの「いいアニメを見にいこう」
】第4回 「キャプテン翼」から偉大
な原作のリブートについて考えた

「キャプテン翼」キービジュアル(c) 高橋陽一/集英社・2018キャプテン翼製作委員会 「キャプテン翼」のアニメがまたはじまる。それも深夜枠。そんな話を耳にしたときはびっくりしたもんである。

 2.5次元舞台の評判がよかったり、ワールドカップが近かったり、そもそも原作の最新シリーズは今でも好評連載中だったりで、よくよく考えてみれば再アニメ化につながる流れは多々あったのだけれど、頭の中できちんと1本の線になっていなかったというわけ。あと、これは業界筋(なんだそれは)の友人から聞いた噂だが、「キャプテン翼」はどうも中国での人気がすごいんだそうで。今の時代、こういうの大事っすよね。
 さておき。いざ放映が始まってみると、いろいろな意味で考えさせられる点が多く、二度驚かされた。まず目を引かれたのが、原作の独特なコマ割り、構図を巧みにアニメに取り入れている点。たとえば「キャプテン翼」の原作を読んだ人であればまず思い浮かべることができるだろう、大胆な見開きで試合の中の決定的なプレイを大きく描きつつ、その周囲にカットイン的にチームメイトや観衆のリアクション、プレイの当事者の顔アップを描く構図。しばしば指摘されることだが、マンガは自在にフレームを変形させられる表現であり、それに対して、アニメのフレームは原則、一定だ。くわえて止め絵と動画という根本的な差異もあり、マンガとアニメは表現媒体として近いようで遠い存在なのである。その昔、「メディアの違いを理解せよ!」と桜野くりむちゃんも言っていた。ザ・正論。くりむちゃん正しい。くりむちゃんはかわいい(……このネタ、どれくらい通じてます?)。ともあれ、そんなマンガならではの技法を映像に見事にコンバートし、「ここぞ!」という場面で効果的に取り入れている。
 画面にザラザラとした撮影処理を加え、これまた原作にしばしば見られる、インクの掠れ、汚しのようなものをアニメ的に再現して見せた表現もおもしろい。制作会社が「ジョジョの奇妙な冒険」のdavid productionで、監督の加藤敏幸さんも「ジョジョ」シリーズでチーフ演出、シリーズディレクターとして気を吐いてきた。そうした経験が今作に活かされているのかもしれない。
 アニメ化には、映像作品はあくまで映像作品として、原作とは離れた見せ方を追求するやり方もある。実際、そうした作品もあるなかで今作と並べたとき、今、「マンガをアニメ化する」とはどういうことなのか? 何が正解なのか? とついつい考えてしまう。
 そしてもうひとつ。「キャプテン翼」といえば、これまで無数のフォロワーを生み出してきたことはつとに知られている。おなじ「週刊少年ジャンプ」連載のスポーツ作品で、原作でもアニメでも、人が吹っ飛び大地が割れる破天荒な表現が話題となった「テニスの王子様」。サッカーを題材にしたゲームで、アニメでも次元を超越したプレイの連発が人気の「イナズマイレブン」。そのほかにも、影響下にある作品は枚挙にいとまがない。今回のアニメ化では、そうしたフォロワー作品に対するオリジンからのアンサーめいた雰囲気が感じられる。
 たとえば、キャラが見得を切るような局面で、バックからやや過剰なほどの透過光が射し込み、グッと感情が強調される。試合の決めプレイでは、原作の演出をより膨らませるような形で、ダイナミックなキャラクターの動きや、爆発光、煙のエフェクトによって、「必殺技」感がマシマシにされている。オリジンとして、その孕んでいた要素をさらに先鋭化、誇張して継承したと思われる後続作品を、どうやって乗り越えるか。そんな挑戦の意識がうかがえるのは、気のせいだろうか。
 どちらの話も、つまりは絶大な人気、影響を誇る原作をアニメ化するとはどういうことか。その答えを、以前よりもはるかに複雑に、いろいろな要素を加味して模索しなければならない時代が訪れていることのひとつのあらわれに思えるな、と。
 今期放映のタイトルでは「銀河英雄伝説 Die Neue These」「ゲゲゲの鬼太郎(第6期)」「メガロボクス」なども、偉大な旧作とどう向き合うか、そして、旧作が生み出したフォロワー……同時代のライバルとどう戦うかに心が砕かれている様子をひしひしと感じられる作りになっている。
 いずれも、ただただ魅力的な1本のアニメとして堪能することもできるものではある(ねこ姉さん、好き……)。しかし、そこにたどり着くまでの軌跡を、原作や周辺状況といったレイヤーを重ね合わせてみると、また違った見え方をしてくるところがあり、そういうことをするのもまたアニメの楽しみ方だよなぁ……などと思うのでありました。以上!

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