L→R 大槻ケンヂ(Vo)、内田雄一郎(Ba)

L→R 大槻ケンヂ(Vo)、内田雄一郎(Ba)

デビューするよりも
継続することが難しい

遊ぶような感覚でバンドを始め、“お客さんも一緒に笑ってくれるんじゃないか?”と思っていたのが、ロックバンドとして盛り上がっていく反応が意外だったと。予想外の反響を受け、もともとやろうとしていたことから変わっていくことに戸惑いませんでしたか?

大槻
戸惑いも含めて初めての体験で、それが楽しかったです。
内田
バンドブームが過ぎた頃、それまでたくさんいたロックバンドが解散したりしていなくなっちゃったんで、“こりゃあ大袈裟なロックをやっている筋少が頑張んなきゃな”とか思って王道ロックをちょっと意識したかな?

今でもあまりプロ意識がないとおっしゃっていても、“バンドを続けていこう”と心に決めた時はあったのでしょうか?

大槻
ありがたいことにリスナーのニーズが止まらないと分かったあたりからです。再結成後かな?
内田
一大決心してバンドをやるとかいう感じじゃなくて、面白そうだから続けていたら今に至ってしまったわけで。でも、デビューするよりも継続することのほうが難しい。ブームの時は急に規模が大きくなって、かかわる人たちもどんどん増えてきて、トラブルが起きれば火消しにまわったり…“あぁ、音楽以外のバンド維持行動もたくさんあったなぁ”と今思い出した(笑)。

今の筋肉少女帯と、若い頃の筋肉少女帯で、変わっていないことを挙げるとした何がありますか?

内田
いくじなし(笑)。
大槻
リスナー、オーディエンスに対するサービス精神だと思います。

最後に、筋肉少女帯にとってのキーパーソンをおうかがいします。冒頭でお名前が出てきたケラさんとはデビューライヴ以外にも、83年に空手バカボンを結成したり、のちに筋肉少女帯はケラさんが立ち上げたナゴムレコードから自主制作シングル「高木ブー伝説」をリリースして話題となりますが。

内田
うん。キーパーソンですよ。先輩なんですけど、上下関係がない先輩で、つき合いやすくて、それもナゴムのカラーになったんだろうね。空手バカボンはすぐにソノシートを作ってくれたのに、ケラさんはハードロックが嫌いだと言って、なかなか筋少のレコードは出してくれなくて。しばらくしてパンクの要素を取り入れてきた頃、“筋少も出してあげるよ”という感じだったなぁ。
大槻
ひとり挙げるとしたらケラさんです。バイタリティーのある先輩で、ケラさんと会ったことで筋肉少女帯は生まれたので。

他にも思い浮かぶ方がいらっしゃいますか?

大槻
個人的には橘高文彦くんです。彼がいなかったら今の筋少のサウンドスタイルはできていないと思う。ライヴ映像作品の編集も長いこと彼が中心にやっているしね。近年の筋少のライヴDVDはみんなかな? 橘高文彦作品色が濃い。あと、初代ドラマーの鈴木直人くん。小学校の同級生だったんですが、今思うと彼からロックやジャズやいろんな文化を教えてもらった。彼は高校くらいで筋少を辞めてしまって、今は音信不通です。元気かな?
内田
筋少は高校生バンドだった頃からメンバーの入れ替わりが激しくて、大勢の“ex筋肉少女帯”がいまして。デビュー後もメンバーチェンジをしているし、何人もゲスト参加してもらって、もう故人の方もいます。それら全ての人々がキーパーソンでありましょう。

取材:千々和香苗

OKMusic編集部

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