【kannivalism】リアルなものをその
まま見せた方がいい
ニューシングル「ユリカゴが揺れている」はアコースティックギターのやわらかな音色を基調としたスローナンバー。昨年来、常にバンドの新境地を見せ続けているkannivalismだが、彼らはまた新たな局面に突入したようだ。怜(Vo)に制作背景を訊いた。
取材:帆苅智之
ニューシングル「ユリカゴが揺れている」のサウンドはアコギに若干のエフェクトという実にシンプルなものに仕上がりましたね。
今回はベースも入れてないんですよ。録り方もギターとヴォーカルが同時で、しかもワンテイク。テンポもフリーです。で、その後で圭(Gu)がシーケンス類を足していったという。
基は弾き語りのような感じなんですね。
そうですね。一緒にスタジオに入って、同じ場所で“弾きたい時に弾き始めていいよ”“じゃあ、やろっか?”って。普通な感じでやりました(笑)
今回どうしてそういったレコーディングをしたいと思ったのでしょうか?
これは他のメンバーも言ってることなんですが、今って機械を使えばいくらでも(サウンドを)きれいにできるけど、そうではなくて、人間味というか、そういうものがあった方がいいんじゃないかと思うんです。そのために“レコーディング方法を変えたい”という気持ちがあって、ずっと葛藤していたんですよ。で、今回それができる曲がちょうどあったので、“そんなにきれいにやる必要はないし、テンポなんてあってないようなものでいいし…”って、今までのやり方を一度崩して、普通にやれることをやってみようとしたんですね。テイクも5回くらい録ったんですけど、結局その日の一発目を選んだんです、“これが一番言いたいことなんじゃないかな”って。
なるほど。サウンドもシンプルなんですが、歌詞もシンプルなものになりましたよね。
そうですね。これは前作『rememor・r・』でも心がけたことなんですけど、普通のことを描こうと思ったんです。普通のことをちょっと角度を変えて見たり、やさしいことは究極にやさしくしようとか。それは『ユリカゴが揺れている』だけじゃなく、カップリング(『passing moments』『オワリマヂカノハジマリ』)も同じですよ。あと、言葉に関しては“制限を設けることはやめよう”と思いました。ウチの場合はメロディー先行が多いから、言葉を乗せる幅が決まってくるんだけど、そこも取り外そうとしました。だから、自分が好きな言葉使いも出てきたし、意外に思われる言葉もあるんじゃないですかね。
作詞面でも自然体で臨んだということですね。
これは裕地(Ba)が言ってたことなんですけど、“言いたいことがあるのにそれがメロディーにはまらないなら、言いたいことがはまるメロディーに変えましょう”と。今まではそこで僕の葛藤もあったんですよ。言いたいことを凝縮させることと、言いたいことをそのまま伝えることは歌い手として全然違うことだし。
で、今回は伝えたいことをしっかり伝えようと。
鳴りがいいメロディーに変えるのではなく、言葉でメロディーを思い切り変えることは今までなかったんですけど、今回は“いいんだよ、言いたいことを言って”という空気だったので、“じゃあ、ちょっとやっちゃいますか”って(笑)
つまり、最近の怜さんにはリスナーに伝えたいこと、感じてほしいことがあふれているということでしょうか?
それはどうしてだと思いますか?
分からない(苦笑)。…分からないですけど、これはいい状況だとは思いますよ。
ここ1年間ほど、kannivalismはそれまでに比べてライヴ本数が増えていますよね。オーディエンスと対峙したことで、伝えたいこと、感じてほしいことが増えてきたようなところはありませんか?
ああ…確かに、ライヴで感じたことが大きかったのかもしれないですね。“この曲は(オーディエンスには)どういうふうに聴こえているんだろう?”とか、“人を喜ばせるために歌った方がいいんじゃないか?”って思った時期もあったんですけど、僕のスタイルはリアルなものをそのまま見せた方がいい…“ライヴでは苦しいものは苦しいまま見せた方がいい”って思ったし。
ステージ上では素直に感情を露呈するだけでいいと?
そうです。演じないことを常に意識する方がいいんじゃないかと思ったんです。前回のツアーでは“普通でいようよ”ってことを意識しましたし。
普通のままでいる…かなり潔い行為ですね。
でも、一番難しい。僕は言葉(歌詞)では絶対にそうしたいと思っていましたから、そこまで難しいとは思ってなかったんですけど、実際にやってみると難しかった。
「ユリカゴが揺れている」に“心の部屋に篭っても 鏡のボクミエナクテ 憶いを切り取っても 今はまだ ワカラナクて”という歌詞がありますが、これはまさに自然体が表れたものではないでしょうか? “分からないなら分からないことをそのまま歌詞にしてしまえばいい”ということだと解釈できますし、これもかなり潔いと思いますよ。
言葉をきれいにまとめることはできるんですけど、足りないところがあるからって無理にきれいにまとめたりすることはやめようと…書き切った時点でその歌詞をそれ以上にきれいにするのはやめようとは意識しましたね。結論があるものはいいですけど、結論がないものに何かを付け足すようなことはしないと。“悔しい”なら“悔しい”。“どうして悔しいのか?”って後付けするのはやめようと思ったんです。
こうしてお話を聞いてますと、私が言うのもおこがましい気もしますが、怜さんはタフになられたというか、精神的なステージが上がったような印象があります。怜さん自身も自らをそんなふうには感じているのではないですか?
そうですね。今は歌い手として“これは自分が弱いから言ってるんじゃなくて、言いたいことのひとつなんだから…”と思えるようにはなりましたよね。だから、歌詞を書くにもそんなに苦労しないし、言いたいこともバーッと出てくる。あと、最近はあんまり歌詞と意識して書いてないのかもしれない。言いたいことがそこにあるから、それを乗せているだけといったところもあります。昔は文章と詩と歌詞を分けて考えていたんですけど、最近はそれが自分の中でひとつになっているかな? …うん、今はそういう時期なのかもしれない。でも、それはもともと自分が求めていたことなんですよ。歌い手として飾らずに、“作る”のではなく、“そのままの姿に戻る”ということを目指していたので、それがちょうど『ユリカゴが揺れている』で出たように見えるかもしれませんね。
05年12月、10代の頃にそれぞれが数組のバンド活動を経験し、圭(g)、怜(vo)、裕地(b)の3人が再結集して結成されたビジュアル系ミクスチャー・ロック・バンド、kannivalism。結成後間もなく、名古屋・新宿でシークレット・ライヴを行い、06年3月に新木場STUDIO COASTで行われた『independence-D 2006』に出演した際には入場規制がかかる程多くのファンが集まった。
06年4月、1stミニ・アルバム『奏功 humority』でインディーズ・デビュー。そこから約5ヶ月という猛スピードで、<avex trax>より1stシングル「リトリ」でメジャー・デビューを飾った。07年2月に1stフル・アルバム『Nu age.』をリリースし、初の全国ツアーでも大成功を収め、シングル作品を順調にリリースしていた最中、怜(vo)の適応障害による入院のため08年1月をもって活動休止を発表。
その後1年7ヶ月を経て、怜(vo)の回復を機に活動再開を宣言。さらに新メンバーとして光也(dr)を迎え、バンドとして再スタートを切った。 メンバーの音楽的志向、音楽的バック・グラウンドは幅広くそれぞれ異なるが、それを自由奔放にクロス・オーバーさせ作る楽曲はジャンルレス&新感覚なものだ。オフィシャルHP
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