「攻殻機動隊」25周年リレー
インタビュー 黄瀬和哉 前編 レイア
ウト・システムの功罪

 当時、大阪の作画会社・スタジオムーに在籍していた黄瀬が上京し、作画監督として参加したのが1989年の「機動警察パトレイバー the Movie」だ。大阪から東京に移ったことによる変化で感じたことは、「とにかく面倒くさかった」という。

 「大阪では絵を描いているだけでよかったんですが、東京にくると演出はいるわ、たまに監督はくるわで面倒くさかったですね。打ち合わせも、それまでは電話で終わらせていたものが、作監だからとずっと立ち会わされて、これも面倒くさいなあと。ゴチャゴチャ言う人がいっぱいいるんだなと思いました」

 押井監督との初仕事も「面倒くさかった」ことが印象に残っているという。

 「『パト1』で押井さんが始めたレイアウト・システムは、(アニメーターにとって)単純に面倒くさいだけなんです。大きな紙に、背景まできっちり一生懸命描かなければいけなくて、ひたすら面倒くさいなあと思っていました。若いからできたというのはありますね」

 「機動警察パトレイバー the Movie」では、「自由にやっていいと言われていたので、勝手にやった」結果、完成後に波乱を呼んだことがある。キャラクターがそれまでのOVAとは大幅に違っていたのだ。

 「キャラがおばさんみたいだと言われて、当時はヘッドギア(『パトレイバー』原作チーム)の方たちから冷たい目で見られてましたね。今は仲がいい人もいますし、大丈夫だと思いますけれど。後年、出渕(裕)さんは、『当時は可愛くないと思った。いま見たらそんなでもないけれど』と言ってくださいました」

 「機動警察パトレイバー2 the Movie」では、キャラクターデザインの高田明美氏が、1作目の黄瀬の絵に寄せたリアルめのキャラクターを描かれてきたのだという。

 「それをまた無視して、もっとひどくリアルに描いていましたね。『パト2』には亡くなられた今(敏)さんがレイアウトで参加していて、今さんは高田さんの絵そっくりにレイアウトをおこしていたんですよ。僕のレイアウトをみて、『そこまでやっていいんだったら、最初に言ってよ』と言われたことを覚えています」

 「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」の頃にはProduction I.Gに入社していた黄瀬は、「また押井さんの作品が動くからよろしく」と言われて、同作に参加する。

 「『(作品は)なんですか?』と聞いたら『攻殻』でした。士郎(正宗)さんの作品は、大阪時代に『ブラックマジック M-66』で関わったことがあるんです。あの作品は士郎さんが絵コンテを描かれていて、漫画と同じように枠外に箇条書きのメモがいっぱいあるんです。『兵士はこういう動きで』とか説明されていて面白かったですね。『攻殻』の押井さんのコンテの絵はさっぱりしていて、『まあ、そうだよね』と思いました」

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