『決定版!女性画家たちの大阪』の見
どころは「多様性」ーー美術が盛んだ
った近代大阪と、59名の女性画家との
関わりを紐解く

江戸時代から経済力を持ち、豊かな文化を育んできた大阪。大正時代には『日展』の前身となる『文部省美術展覧会』、通称『文展』に若くして入選した島成園を始め、大阪における女性画家の活躍は目覚ましいものとなった。時代は令和に移り、島成園のほか木谷千種、生田花朝​など59名の近代の女性日本画家たちの活動をフィーチャーした『決定版!女性画家たちの大阪』が、12月23日(土)から2024年2月25日(日)の期間、大阪中之島美術館にて開催される。約150点の作品と関連資料で紹介する華やかな展覧会となる。女性画家たちのたおやかな生き様や豊かな文化を育む大阪の地域性など、様々な要素が詰まった味わい深いものとなっている。その見どころについて、大阪中之島美術館の小川知子学芸員に訊いた。
島成園 「桜花美人」 大正12年(1923)頃 木原文庫【通期展示】
●女性画家、総勢59名全員の略歴が一堂に●
――なぜ今、大阪の女性画家をフィーチャーしたのでしょうか。
このテーマの展覧会、実は3回目です。1回目は2006年の『島成園と浪華の女性画家』。産経新聞社の企画で大阪中之島美術館の準備室が協力し、大阪のなんば・髙島屋を会場に開催したところ、13日間の会期で2万人以上のお客さんが来られました。反響と要望があり、美術館の準備室としても2008年に『女性画家の大阪 —美人画と前衛の20世紀—』という展覧会を当時の心斎橋展示室で開催しました。その時の図録に、「美術館が開館したら最終的にきちんと位置付けたい」と書いていました。この17年間でわかったことや新たに発掘された​作品を、展覧会としてようやく皆さんにお示しできます。
――集大成となる展覧会なのですね。
今回はこれまでの最多となる、59名の作家を取り上げます。一人一人に目配りをしようと、全員の略歴を書きました。
――それは大変ですね(笑)。
かなりしんどかったです(笑)。今回の特徴としては、2006年の展覧会は美人画などの人物を描いた作品が多かったのですが、今回はそれに加えて、大阪に大勢いた文人画の女性画家たちなども取り上げます。そうすることでいろいろ画家がいたという「多様性」を示せたと思っています。
――文人画というと男性文化というイメージがありますが、女性も活躍していたのですね。
確かに男性の文人画家は圧倒的に多いです。ですが女性であっても、教養さえあれば描けます。画家の奥さんや娘さんたちは家で教わるなどして活躍していました。また文人画は絵だけでなく漢詩の部分もあるため、教養があり絵も描ければ尊敬される実力の世界でした。大阪に限らず東京をはじめ各地に名を成した女性文人画家がたくさんいます。
――実力主義なのですね。今回のタイトルは『大阪の女性画家たち』ではなく、『女性画家たちの大阪』。「大阪」という場所が大切だということでしょうか。
大阪ゆかりの女性のうち、大阪にずっといた人もいれば、海外経験がある人、逆に大阪にいながら京都の画塾に通った人もいます。それぞれの大阪との関わりがあって一概には言えません。期間も明治時代から昭和前期の戦争が起きる前まで、かなり長いスパンの中でそれぞれの画家が大阪と関わってきた。生田花朝は戦後の作品もあります。「大阪の女性画家」だと大阪の中だけで活躍したという意味になってしまうためこのタイトルになっています。
――今回の展覧会で小川さんが特に好きな作品や注目している作品はありますか。
本当にいろいろとあります。発掘された作品としては、岡本更園が19歳で『文展』に入選した「秋のうた」。大阪では初公開です。当時、女優の松井須磨子を描いたのではと噂されましたが、​鏡を見て描いた自分の顔だそうです。
●「女性の人間らしさ」を描く女性画家たち●
――女性、男性とひとくくりにしたくはないのですが、やはり女性の描く美人画は本当の女性を描いている感じがすると私は思います。
本当にそれは私も思うところです。むしろ美人画は当時、男性が描くものだという通念がありました。男性が欲しい女性の絵は、若くて綺麗な人なんですよ。
島成園 「無題」 大正7年(1918) 大阪市立美術館【通期展示】
――確かに(苦笑)。理想化されています。
人間としての女性を描いているところが大阪の女性画家たちの大きな特徴だと思っています。もちろん型にハマったような美人画もあるのですが、美しいだけではない部分も​描いている作品があります。島成園「無題」は、やはり女の心を描いています。この作品は(当時)評判が良くありませんでした。
―― 確かに、一見怖いと感じますね。
女の心を分かった人が描くのと、表面的な美しさを取り上げるのとはちょっと違っていて。それぞれの画家によって傾向が違いますが、島成園の他にもこのように人間の心に迫るような表現をする人たちも出てきています。
――痣のある女性というのはインパクトがあって、とても興味が湧きます。
なぜ痣のある人を描いたのだろう、この痣の意味は何だろうと響くものがありますね。これは自画像ですが、実際には島成園の顔に痣はありませんでした。でも、痣がある女性を描いて世の中を恨む気持ちを描こうとしたと本人が述べています。痣があるとみんながジロジロ見て、すごく傷つく。彼女は大阪の女性画家の中で最初に『文展』に入選した人、つまりトップランナーで、「女、しかも若い女」と世間から変な注目を浴びていました。「無題」を描いた時は数えの27歳だったのですが、求婚広告じゃないかとも言われました。新聞にすっごくえげつない(大阪弁で露骨でいやらしいという意味)取り上げられ方をされていました。
――やはり女性ならではの苦労というのがかなりあったということですね。
すごくあったと思います。美術界というのは大阪も含めて実質的に男性が仕切っていたわけです。その中に一人で参加することもあれば、声もかけられないことも。その時の彼女の心持ちや気持ちが現れた作品です。
木谷千種 「をんごく」 大正7年(1918) 大阪中之島美術館【前期展示:2024年1月21日まで】
――島成園は、結婚した後に描く作品の数が減ったと聞きました。ライフステージの変化がキャリアに影響するというのは現代でもよくあることですね。
彼女が結婚したのが大正9年。代表作「伽羅の薫」を『帝国美術院美術​展覧会(帝展)』に出した頃です。お化けの絵みたいな感じ。これまでの絵と全く違う作風で、『帝展』に入選させるかどうかも議論がありました。実は彼女はこの絵を描いた時に覚悟を決めていました。「自分は絵一筋でやっていく」、「関西の女性画家たちのリーダー的な存在になる」という決意を述べていました。その直後にお父さんがお見合いを設定して、銀行員と結婚をしました。旦那さんは彼女に絵を描いてはダメだと言う人ではなかったのですが、普通のサラリーマンで、芸術にあまり関心がない人でした。彼女はその後、心の中で何か大きな変化があったのか、苦しみます。毎年『帝展』に作品を出すのに上手く描けず、落選します。実際に彼女が次に入選するのは8年後の昭和2年です。理屈であれば、安定収入がある旦那さんがいたら、これから絵の具も自由に買えると思いますが、島成園はどちらかというと天才肌の人。理屈ではなくて、芸術家としての自分が急に普通の人と一緒に暮らすことになって、何か心に大きな変化があったように思います。でも結婚すると女性画家がダメになるというわけではありません。木谷千種という人は文楽研究家の木谷蓬吟と25歳で結婚します。彼女は大変な努力家で、理路整然とした人。結婚した年に画塾を作って、すぐに子供を産んで、子供を育てながら家事もしながら画塾経営をして、自分も展覧会に出品しました。女性画家と言っても本当に様々なので、一概に言い切れないところがあります。
――いろんな人生を知ることができて勇気をもらえます。生田花朝が何度も諦めずに挑戦し『帝展』に入選したというエピソードも素敵です。
生田花朝はすごく努力家で、大正3~4年頃から『帝展』を意識しており、大正14年に36歳でやっと初めての入選。島成園の20歳、岡本更園の19歳に比べたら遅いですよね。ですがその翌年は女性初の特選になり、努力が実ったことが分かります。彼女が『帝展』で特選を得た作品「浪花天神祭」の絵葉書が残っています。船が60艘くらい、人も大勢描かれた壮大な絵でした。
――後進の育成に力を入れた人も多かったのですか。
島成園の画塾もありましたし、女性の画塾に通いたい人は大勢いました。男性がいないため「悪い虫がつかない」という安心感もあったと思います。和気あいあいと語り合える場でもあったし、女性同士だと写生なども交代でモデルを務めたり、いろんなメリットがあったでしょうね。男性の画家に学ぶ女性画家、女性の画家に学ぶ女性画家、誰もが仲が良く互いに認め合って活躍していました。
――仲が良かったと聞くとなんだか嬉しいですね。
大阪の女性画家では、ライバル関係があったという資料は一つも出てきません。平和でみんなすごく仲が良くて、一緒に歌舞伎に行ったり写生旅行に行ったり。本当にいい雰囲気でした。彼女たちは同じ境遇にある人たちが多かったので、反目をする理由もなかったのかもしれません。実際はわかりませんが(笑)。
――先ほど話された大阪の女性画家たちが同じ境遇というのは例えばどんなところですか。
特に木谷千種のお弟子さんは裕福な家のお嬢様や奥様が多かったようです。画塾の「八千草会」では大正15年から毎年『八千草会展』という展覧会を開いていました。当時印刷代などはすごく高かったと思うのですがちゃんと目録も作り、絵葉書も作って。そういうのは財力がないとできないことですね。生田花朝の画塾も、戦後は大阪市長の奥様が画塾生でした。そもそも絵をたしなむということ自体がハイクラスのことであったとは思います。
――大阪は文楽など豊かな文化的土壌があることも影響したのでしょうか。
大阪は江戸時代から経済力もありました。お稽古事もお琴、茶の湯、生け花など多岐にわたっていて、絵画というのはその中の一つの選択肢に過ぎません。それでもこれだけの人たちがお稽古事から(画家として)出てきているということは、大阪という土地の文化レベルが高かったのだと思います。
●多様性の街、大阪●
生田花朝 「だいがく」 昭和時代 大阪府立中之島図書館【後期展示:2024年1月23日から】
――生田花朝の絵はほがらかで福福しいですね。
「極楽門の春」は四天王寺さんの桜が描かれた絵。図録の裏表紙にも載っていますよ。
――大阪に住んでいる方にとっては知っている地名や景色がたくさん描かれていて嬉しいですね。
一番大阪らしい女性画家と言ったら、生田花朝だと思います。初めて展示する「なんばの綱引き」という神事を描いたものもあります。大阪ラブに溢れた人なんです。誇りにも思っているし、昔の風情が無くなってしまうことが残念だから絵に描いて残していく。戦後もずっと長く活躍し、亡くなったのが1978年(昭和53年)ですので、リアルタイムで知っている方もいらっしゃるかもしれないですね。
――展覧会のチラシに「女絵師女うたびとなど多く 浪華は春も早く来るらし」という短歌が書かれていますね。
吉井勇という東京の詩人が大阪に来た印象を詠んでいるのですが、彼の目で見てもやはり大正9年頃は大阪の女性画家の活躍がピークだった時期。大正時代に限ると東京、京都、大阪の三都の中で、大阪が官展(政府主催の美術展)での女性画家の活躍が一番大きかったことは、私が書いた論文でも数で証明しています。大正時代、島成園の『文展』入選に始まり大阪の女性画家たちの活躍が花開きました。そういう役割を図らずも島成園が担った。控えめな人ですが、彼女がいなかったら何も起きなかったかもしれません。
『決定版!女性画家たちの大阪』チラシ
――大阪には島成園がいたからこそ、多く女性画家が活躍したのですね。
そうだと思います。島成園自身の画業のピークは短いものでしたが、彼女が残した功績は大きかった。一方では文人画家なども活動していましたが、『文展』や『帝展』への入選を女性として最初に目指したのは島成園でした。
――大阪の女性のパワーを感じますね。
大阪という街が面白いという部分はきっとあると思います。大正時代に限っては、『文展』と『帝展』に入選した大阪の画家のおよそ四分の一が女性でした。
――男性画家が少なかったのですか。
大阪にも画家は大勢いて、裾野が広かったのです。船場派という、花鳥画を描いてパトロンがいる画家たちもいれば、文人画の中でも展覧会を出す人も出さない人もいて、(「画壇の悪魔派」と呼ばれる)北野恒富みたいな人がいて、といったように大阪は美術においても多様性の街でしたね。
――多様性があるということは豊かだということですね。
美術が盛んな街でした。それは東京画壇や京都画壇でみられるヒエラルキーがなかったからかもしれません。大阪は画壇という言葉が使えるかどうか、未だに研究者が議論しています。大阪に美術はありましたが、組織的ではなかった。その大きな要因の一つは、大阪には私立の学校はたくさんありますが、国公立の美術学校が未だにないということ。大阪でも作られる話はありましたが、結局作られなかった。大阪の行政は、昔から美術より経済のほうに力を注いでいるところがありますね。
――行政がやらなくても、大阪の街の人がやってくれるといった感じでしょうか。
大阪市立美術館も計画されてから長年建たなくて、やっと昭和11年に開館しました。大阪中之島美術館も準備室が長かったです。最後には完成しますが、時間がかかりすぎでしょう(笑)。その辺が組織的に官や国がやっている東京・京都との違い。くやしいけど面白いと思います。
取材・文=井川茉代

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